素人、考古学・古生物学を学ぶ

人類の起源・進化・移動や太古の昔、日本に棲んでいたゾウ類にも関心があり、素人の目線で考えてみます。

絶滅したナウマンゾウのはなし(1) 中本博皓

2021年12月29日 11時32分33秒 | 絶滅したナウマンゾウのはなし
   絶滅したナウマンゾウのはなし―太古の昔 ゾウの楽園だった
     日本列島(1) 中本博皓

   〈(1)の前置き〉 
以下、絶滅したナウマンゾウのはなし―太古の昔 ゾウの楽園だった日本列島―と題して、これまでに、断片的に述べてきた「ナウマンゾウについて」、その内容を少しばかり系統的にまとめておくことにします。



 (1)ナウマンゾウはどこから来たかー忠類(北海道)にもいたナウ
  マンゾウー
  
 1)実は、ナウマンゾウの祖先のことははっきりとは分かっていません。日本列島に生息するようになったのは、一説には180万年前ともいわれていますが、多くの専門家の見方としては、「100万年ほど前のアフリカにいたエレファス・レッキ(Elephas recki)という種類から進化した子孫がユーラシアに広がり、そのうちの一つが日本に渡り、それがナウマンゾウの直接の祖先らしいという説がある」(『太古の哺乳類展』、84頁)ことは分かっていますが、それ以上のことは、専門家の先生方は別として、一般には余りよく知られていないのが正直なところだと思います。

 そんなわけで、古生物学や地層学などの専門家の先生方の研究成果を踏まえてのことですが、現在われわれ日本人がナウマンゾウと呼んでいるゾウは、いまから40万年前頃ないし30万年前頃に、中国大陸から陸橋を渡り、日本列島に渡来したのではないかと推測されているに過ぎません。ミンデル氷期(47.8万前~42.4万年前)からリス氷期(20万年前〜13万年前)にかけて、ユーラシア大陸から陸続きの日本列島に渡って来たという説が専門家の間では有力です。 

 古生物学者の犬塚則久によりますと、ナウマンゾウの祖先はアンティクウスでもナルバタゾウでもなく、それは、大昔アフリカに生息していたゾウの一種で、エレファス・レッキー (Elephas recki)だ、といわれています。

 また、もう亡くなられましたが、ナウマンゾウ研究の大家亀井節夫は、自身の著作『日本の長鼻類化石』(1991)において、「パレオロクソドン属の中では原始的なレッキからナルバタゾウ、アンティクウス、トルクメンゾウなどとともにナウマンゾウも分化した」のだ、と述べています。
日本列島に渡来し、生息するようになったナウマンゾウの中には、温暖な四国に渡ったもの、さらには南へ、あるいは何万年単位の期間を経て、間氷期には中部、関東甲信越、そしてさらに北に向かって移動した一群もいたのではないかと推測しています。

 2)しかし、北海道となりますと、一寸頭を抱えてしまいます。ゾウのような大型動物が果たして、津軽海峡を渡れたのだろうか。それとも、大陸からいきなり北海道に渡って来たのだろうか。それを思案するのも小生にとりましてはとても楽しいひと時なのです。

 ナウマンゾウは、一般に南方系と思われていますが、それは間違いではないと思うのですが、ミンデル氷期とリス氷期の間、温暖な間氷期(ミンデル・リス間氷期)が数万年から10万年くらい続いた時期があったと考えられています。

 ミンデル・リス間氷期の末葉の時期にやって来たゾウたちは、高温期を避けて列島を北へ移動したのではないかと思われます。しかし、高温・温暖化の時期は、海水準が高くなりますから、津軽海峡が形成されており、陸橋は消滅していたでしょうし、何十万年もの太古の時代に生息していたナウマンゾウを知っている現代人はいませんから、ナウマンゾウがどうやって津軽から北海道に渡ったか、本当のところ、正確なことは誰も分からないのです。

 人類についても、縄文人と現代人とでは、1.5万年くらいでその姿かたちはまるで違っています。ゾウ類だけが何十万年も何百万年も、その体型が変わっていないなど正直いって考えられません。ナウマンゾウもはじめて日本列島に渡来した40万年前と絶滅した1万数千年前頃とでは、その間にそれなりに体型も進化を遂げていた筈なのです。

 大雑把な話になりますが、500万年前のツダンスキーゾウから、400万年前のミエゾウ、250万年前のハチオウジゾウ、約200万年前から100万年前のアケボノゾウ、約120万年前から約70万年前のムカシマンモス、約50万年前のトウヨウゾウ、そして約40万年前ないし30万年前にやって来たといわれているナウマンゾウ、これらはどれも大陸から日本列島に渡って来て、生息していた経歴をもつゾウ類です。

 3)本書で扱っているナウマンゾウは、後期更新世の末頃(2万年前頃〜1万5000年前頃)に絶滅してしまったといわれていますから、確かなことは、誰も自信をもって語ることはできないのですが、唯一の科学的手掛かりは、化石の研究ではないかと思います。

 ナウマンゾウが生息していた時代、それは太古も太古そのまた太古のことですから、これがナウマンゾウだと、絵や写真そして想像的な模型やゾウの骨格標本を見せられても中々納得がいきません。確かに、動物園の飼育ゾウの姿を頭の中に思い描くことはできても、ナウマンゾウをイメージするのはわたしには正直難しいことです。

 野尻湖のナウマンゾウ博物館や忠類のナウマンゾウ記念館に鎮座している実物大のナウマンゾウの模擬「像」や本物そっくりに復元された全身骨格標本を何度観察しましても、また遠近ところを変えて眺め直しましても、繰り返しになりますが、何十万年前のナウマンゾウの姿を思い浮かべることは、素人には難し過ぎます。

 どの種類のゾウも耳の形や大きさ、牙(切歯)の長さ、太さ、そして体型に違いがあっても絵本や図鑑などで眺める限りでは、ほとんど同じようにしか目に映らないのも素人だからなのかも知れません。それでもアフリカゾウの特徴的な耳の大きさだけは分かります。

 ところで、ゾウの故郷は、アフリカ大陸の北部といわれています。大昔のゾウは、どれも中新世(1)以降に、アフリカ大陸とユーラシア大陸が陸続きになり、ゾウなどの大型哺乳類の多くはその時代に、ユーラシア大陸へ移動を始めた、と考えられています。

 日本列島にやって来たナウマンゾウは、現在われわれが知るアフリカゾウやアジアゾウとは違って、寒さに耐えられるように、マンモスゾウほどではないにしても、かなり体毛が発達していたと考えられていますし、氷期を過ごせるように皮下脂肪も多かったようです。
ナウマンゾウについて、イラストなど見る限りでは、そういったイメージをもっておられる専門家の先生方も少なくないように思います。 



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