素人、考古学・古生物学を学ぶ

人類の起源・進化・移動や太古の昔、日本に棲んでいたゾウ類にも関心があり、素人の目線で考えてみます。

絶滅したナウマンゾウのはなし(15)

2022年02月18日 12時04分05秒 | 絶滅したナウマンゾウのはなし
       絶滅したナウマンゾウのはなしー太古の昔 ゾウの楽園だった
       日本列島―(15)


  
   第Ⅲ部 ナウマンゾウ、北の大地へ

  〈第Ⅲ部1.の(2)と(3)の前置き〉

  少しばかり日本列島の内陸部から見つかったマンモスの化石について少しばかり言及しておきます。マンモスは「マンモスゾウ」と呼ばわれるようにゾウの仲間と考えられますが、全く同種ではありません。例えば、マンモスの分類学上の目は、ゾウ目 (Proboscidea)です。科は、ゾウ科(Elephantidae)です。また亜科でもゾウ亜科(Elephantinae)ですが、族ではアジアゾウ族(Elephantini)に分類されます。しかし次に属はどうかを見ますと、マンモス属(Mammuthus)に分類されます。

 次に、マンモスの化石が日本列島の内陸部で発見されたのは、本当なのかと言う問題です。以下の本文(2)でも述べましたが、本当なのです。2011年3月7日の『日本経済新聞電子版』は、「長野で発見の化石は古型マンモス〔現場の勝利〕」と報じた記事があります。

 記事では、2008年12月、長野県佐久市でトンネル工事中に出土したゾウの歯と牙の化石は、「120万~70万年前の古型マンモスのものである」と報じています。作業員が「土を掘り返す重機のシャベルから『湯たんぽのような』塊がこぼれ落ちた。作業員がインターネットで形がよく似たゾウの化石の写真を発見し、施主を通じて博物館に連絡した」とあります。

 ここで言う「博物館」とは、長野県信濃町にある「野尻湖ナウマンゾウ博物館」です。館長は近藤洋一学芸員です。近藤さんは、現場の人々が化石に関心をもったこが発見のきっかけであり、「現場の勝利」だと輪成しておりますし、日経は「歯と牙が同時に見つかるのは国内初。海岸線や湖近くでない山中の発見も珍しい。ゾウの進化や移動ルートをたどる貴重な資料と期待」が集めている、と報じています。


 
 (2)内陸でも見つかったマンモスの化石
 
 1)ナウマンゾウの北海道生息論とともに、もう一つ考えてみたいことは、マンモスゾウは、北海道以外にはいなかったのか、いわゆるマンモス本州生息論についてであります。

 最近になって、日本のマンモスゾウの話題といいますか、マンモス内陸生息論に火を点けるような新たな事実が発見されました。

 シベリアなど寒い地域から北海道に南下してきた、マンモスゾウやヘラジカそしてバイソンなどのいわゆるマンモス動物群の中で、ヘラジカなどは津軽の海を越えて本州にも移動した可能性が相当に高いことが、これまでに発見された化石の分析からも分かっています。

 しかし、マンモスゾウが津軽海峡を渡った形跡はどうでしょうか。「その形跡はない」、とする説が、これまでは有力でした。しかし、そうもいっていられないようなのです。

 2008(平成20)年11月27日、中部横断自動車道(新清水JCT〜佐久小諸JCTの間)臼田トンネル工事現場から古型(こけい)マンモスゾウの左上顎第3大臼歯などが発見されました。これまでにもマンモスゾウの化石は、房総半島、新潟県、滋賀県、大阪府、四国、九州で見つかっていますが、ほとんど海寄りの地域でした。

 臼田(長野県の東部、2005年4月から佐久市臼田となる)のように内陸部の山の中でマンモスゾウの化石が発見されたのは初めてのことだと思います。津軽の海を越えたのかどうかに関心が集まりますが、まだまだ結論は先になるでしょう。

 最近発見されたというマンモスの臼歯化石は、佐久市教育委員会に展示されています。その展示パネル(写真:割愛しました。)には、「古型マンモス、上顎臼歯、100万年前、発見場所 佐久市臼田/所蔵 佐久市教育委員会」と表記されています。

 また、北海道のナウマンゾウが、マンモスゾウと共存していたかについても大変興味のある話題には違いないのですが、とても「イエス」とはいえそうにありません。ところで、古型マンモスについてですが、マンモスといえばケナガマンモスを指すことが多いのですが、その先祖にあたるのが古型マンモスとみられています。

 日本には120万年前頃、中国大陸から渡ってきたと考えられていて、専門家の研究では120万年~70万年前頃までは生息していたのではないかと推測されています。臼田産標本からは、全体像が分かっていないようですが、古型マンモスはかなり大きくて、発見されている化石から、大きいものでは高さが4mくらい、重さが7、8トンのものもあったようです。

 2)忠類に生息していたナウマンゾウが、忠類にいたかも知れないマンモスゾウと、たとえ忠類でなくとも、十勝平野のどこかで、同時代的に共存していたとは、両ゾウの包含されていた層準の違いが大きく、どう考えても両ゾウの共存は難しいように思います。

 後述しますが、専門家の一人高橋啓一もまた忠類での両ゾウの出会い、共存は推定できないとした学会報告(2013)をしています。

 しかしながら、ナウマンゾウとマンモスゾウが北海道で共存していた裏付けになるかも知れない情報が全くないわけではありません。北海道開拓記念館(現北海道博物館)が2013年に刊行した調査報告書、『北方地域の人と環境の関係史 : 2010-12年度調査報告』には、添田雄二、 高橋啓一、 小田寛貴による論文〈環境と動植物相〉「北広島市音江別川流域から産出した象類臼歯化石の14C年代測定結果」が掲載されています。

 この論文(2013)によりますと、1975~78年にかけて、音江別川流域の野幌丘陵で発見された5つの古型マンモスゾウの臼歯化石と考えられていたものが、実は、名古屋大学年代測定総合研究センターと滋賀県立琵琶湖博物館の共同研究の結果、それらが古型(こけい)マンモスゾウとケナガマンモスゾウ、そしてナウマンゾウの3種類のゾウの臼歯であること、また年代測定の結果からは4万5000年前頃と判明しました。

 3)しかし、そう簡単には、両ゾウが共存していたという話にはならないようです。その理由ですが、確かに、マンモスゾウの化石もナウマンゾウの化石も、ともに野幌丘陵で発見されたものですが、同じ層準から発掘された化石であることを証明する手がかりが存在しないからです。
古型マンモスゾウは、前述しましたように、120万年前から70万年前頃までは生息していたようですが、その後は姿を消し絶滅したと考えられています。

 前述のように、古型マンモスゾウは、ケナガマンモスゾウの祖先といわれています。これら2種のマンモスゾウの臼歯化石が同じ野幌丘陵で発見されたのも奇遇ですが、そこにナウマンゾウの臼歯化石も絡んできますと、素人にはもうお手上げの状態です。

 忠類も含めて北海道におけるマンモスとナウマンゾウの同時代共存説の答えは、専門家の先生方のこれからの研究にゆだねるしかなさそうです。

(3)ナウマンゾウの移動と亀井の見解
 
 1)また、亀井は別の論文「忠類産のナウマンゾウPalaeoloxodon naumanni(MAKIYAMA)」(地団研専報22・地学団体研究会『十勝平野』・1978年、345~356頁)において、Maglio.V.J.の1973年の論文を使って「Primelephasから LoxdontaおよびMammuthus,Elephasが分化したのは鮮新世前期であり、ElephasからPalaeoloxodonの系列が分化したのは鮮新世末期とされている」(1978、352頁)と述べています。

 また、「Palaeoloxodon系列のものはアフリカにとどまったrecki-iolensisの系列とユーラシアに移動したnamadicusの系列のものとがある」(1978、352頁)、ことに言及されています。したがって、この亀井の考えによれば、ナウマンゾウは、「鮮新世末期にアフリカからユーラシアに移動し、洪積世前期にインド、中国を経て北上し、洪積世中期に日本列島に到達したことになる」(1978、352頁)のですが、亀井は、この考え方には疑義を唱えています。

 すなわち、「この考えのもとでは、P.namadicus,antiquus,naumanniは同一種として扱われているが、形態・分布(時間的・地理的)・古生態を考慮すると、この考えにはかなりの無理がある」(1978、353頁)、と指摘されています。

 2)ここで「洪積世」とは、地質時代の区分の一つで、約258万8000年前から約1万1700年前までをいいますが、この区分はIUGS(国際地質科学連合)が2009年6月に新たに定義したものです。現在では、更新世と呼ぶことが多いようです。そして、古い方から前期、中期、後期といいますが、更新世後期(後期更新世)は、西暦2000年を基準にして、12万6000年前から1万1700年前の時代を指しています。

 日本のナウマンゾウは、鮮新世(約533万3000年前から約 258万年前の期間)末期にアフリカ大陸を後にして、更新世の前期(前期更新世)にはインド、中国へ到達し、その後、中国を北上したナウマンゾウは、更新世の中期(中期更新世)に日本列島に渡来したとする説があります。

 しかし亀井は、更新世前期のジェーラ期からだと、更新世の中期までは180万年もあるので、その間に進化がなく同一種のナウマンゾウを想定しているのはおかしいのではないか、と疑問を呈されたことがあります。

 3)マグリオ(Maglio.V.J.)によりますと、日本に生息するようになったナウマンゾウが中国を経て北上したとしていますが、もしそう想定するならば、ナウマンゾウはシベリア経由で北海道に渡って来たということも考えられなくはないのです。

 もしそうだとしますと、この時代の海底地形環境の変動にも言及されなくてはならない筈で、亀井は、この点にも大きな疑問を持っていたのではないかと考えられます。

 また、亀井は、日本で発見される多くのナウマンゾウの化石骨を考察したとき、一概にインドのナルバダゾウ(Elephas namadicus)やヨーロッパのアンチクウス(antiquus)などと同一種として扱われるべきではないし、むしろ独立の種として扱われるべきものだといい、

 頭骨の形態からは、前頭・頭頂隆起や広く開いた切歯骨というパレオロクソドン(Palaeoloxodon)としての共通の形質をもつものの、その他の点につては大きく異なっているのが日本列島に生息していたナウマンゾウであり、マグリオのように、臼歯の形態の類似性のみで、それらを同一種に含めるべきではない、と語っています(「ナウマンゾウについて」・『自然史研究会講演集録Ⅲ』、1977年4月)。



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