素人、考古学・古生物学を学ぶ

人類の起源・進化・移動や太古の昔、日本に棲んでいたゾウ類にも関心があり、素人の目線で考えてみます。

人種とは・日本人の昔を探る(24):中本博皓

2020年09月06日 11時07分20秒 | 人種とは・日本人の昔を探る

    人種とは・日本人の昔を探る(24)

 

  

  日本人の昔を探る(その2)

 (8)縄文人の暮らしと「食」について-その1-

 縄文時代の人たちが、日々何を食べていたかは、太古の昔を知る上で大変興味のあることです。

 わたしも含めて、われわれは日本の歴史を学んだ際に、縄文時代の人々は狩猟や採集を生業としていましたので、草食獣を射止めその獣肉や木々の芽や野草そしてドングリなどの木の実や野草の実、稗などを主食にしていたと考えられますが、縄文時代の食生活では「火」が重要な役割を持っていたと思います。

 つまり狩猟した動物や採集した木の実などをそのまま生で食していたわけではありません。火を使ったし、土器なども作っていましたので、「煮炊き」をしていたと思います。住まいが定住型になりますと、狩猟した肉や木の実などを貯蔵するようになり、そのための穴を住まいの中に作っていた痕跡が検出されています。

 食べ物も縄文時代として一括りには出来ないと思います。草創期、前期の1万3,4000年前と後期、晩期とでは、1万年もの時代差があるわけですから、縄文人とは言え食べるものも、食べ方にも相当の違いがあったと考えるべきだと思います。

 土偶を見ましても、女性の髪の結い方、ピアスを付けた土偶、衣類につきましても筒状の布(あんぎん)から、晴れ着のような模様の入ったもの、ズボンのようなものを身に纏った土偶を出土していますから、縄文の食の世界にも大きな変遷を経ていたものと推測出来ます。

 漁撈技術、漁撈具なども遺跡から出土していますが、相当種類がありますし遺跡によっては進化した漁撈用の道具の類が出土しています。

 たとえば、北の方では、狩猟が海棲哺乳類で大型の海獣、トド、オットセイ、アザラシさらには鯨まで狩猟していたと言われています。そのために漁撈具にも進化が見られます。

 わたしも見たわけではないのですが、文献で紹介されているもの中で、「回転式離頭銛(かいてんしきりとうもり)」と呼ばれる猟具には驚かされました。

 海に近い地域の縄文人の食生活は単に魚を釣ったり、突いたり、掴まえたりする魚介類の「漁」だけでなく、海獣と呼ばれる海棲哺乳獣の「猟」まで行われ、食べ物も多様だったことが推察されます。縄文人はグルメだった、と言われる理由もわかる気がします。



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