11:48 from web
父は日本に帰った後、日本の業界からボイコット、村八分にされ二度と
医療器具の製作現場には戻れませんでした・・・・。
11:50 from web
パキスタンから安価で高品質のものが入ってくるようになり、
国内の製造業者たちに脅威を与えることになったからです・・・。
11:56 from web
ぼくは日本の業界の狭い心、国際的視野のなさにあきれました・・・
今でこそ国際的競争力はあたりまえでしたが当時は・・・・・なんですね。
11:58 from web
父のパキスタンでの功績は
パキスタンの経済発展に貢献したということだと思っています。
12:02 from web
当時のパキスタンの子供たちは
父がちょうど丁稚奉公した年代と同じ状況の子どもたちが多かったようです・・・
12:04 from web
子どもたちが父母や家族を支えるために一生懸命働く姿に父は自分の持っている
すべての技術をパキスタンの子どもたちや製造技術者に差し出したのだと
今も思っています・・・。
12:04 from web
日本に帰ってからの父はどうなったかというと・・
12:07 from web
肉の万世に面接に行ったり、いろいろ職を探しましたが最終的にビルメンテナンスの下請けの職につきました・・・そこではだいぶ虐げられたそうです・・・。
12:11 from web
それでも一生懸命働いている姿に清掃を頼んでいた会社。モービル石油の担当の方が父を見、モービルの営繕の担当として厚く可愛がっていただき、多くの社員の方の愛されたそうです・・・。
12:13 from web
ここ数年はおふくろさんの介護や、ぼくたち家族が手の回らないところを支えてくれていました。
12:14 from web
いまぼくは腰を痛めているのですが
父の寝ていたベッドに寝て夜は母の介護をしています・・・。
12:16 from web
父も腰椎を三か所圧迫骨折しており、寝ることも痛くて辛い中にありながら
最後まで母や、家族、のためにたんたんと愛を与えてくれていました・・・。
12:18 from web
もう、限界だったのですね。。
本当に命を使いきった・・・そんなちちでした。
12:20 from web
そんな父が亡くなった時、
ぼくは宮沢賢治の天ニモ負ケズの一節を思い出していました・・。
12:25 from web
じぶんをかんじょうにいれづ
よくみ ききし わかり ・・・・・
本当にそんな生き方の父でした。
15日の帰天式では主エル・カンターレの大いなる御光に包まれ
光の世界へと帰っていくことでしょう。。
12:28 from web
親父さん!本当にありがとうございました!!
そして、主の御光に包まれての帰天、
本当におめでとうございます。。 息子より
by nippori77 on Twitter
父は日本に帰った後、日本の業界からボイコット、村八分にされ二度と
医療器具の製作現場には戻れませんでした・・・・。
11:50 from web
パキスタンから安価で高品質のものが入ってくるようになり、
国内の製造業者たちに脅威を与えることになったからです・・・。
11:56 from web
ぼくは日本の業界の狭い心、国際的視野のなさにあきれました・・・
今でこそ国際的競争力はあたりまえでしたが当時は・・・・・なんですね。
11:58 from web
父のパキスタンでの功績は
パキスタンの経済発展に貢献したということだと思っています。
12:02 from web
当時のパキスタンの子供たちは
父がちょうど丁稚奉公した年代と同じ状況の子どもたちが多かったようです・・・
12:04 from web
子どもたちが父母や家族を支えるために一生懸命働く姿に父は自分の持っている
すべての技術をパキスタンの子どもたちや製造技術者に差し出したのだと
今も思っています・・・。
12:04 from web
日本に帰ってからの父はどうなったかというと・・
12:07 from web
肉の万世に面接に行ったり、いろいろ職を探しましたが最終的にビルメンテナンスの下請けの職につきました・・・そこではだいぶ虐げられたそうです・・・。
12:11 from web
それでも一生懸命働いている姿に清掃を頼んでいた会社。モービル石油の担当の方が父を見、モービルの営繕の担当として厚く可愛がっていただき、多くの社員の方の愛されたそうです・・・。
12:13 from web
ここ数年はおふくろさんの介護や、ぼくたち家族が手の回らないところを支えてくれていました。
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いまぼくは腰を痛めているのですが
父の寝ていたベッドに寝て夜は母の介護をしています・・・。
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父も腰椎を三か所圧迫骨折しており、寝ることも痛くて辛い中にありながら
最後まで母や、家族、のためにたんたんと愛を与えてくれていました・・・。
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もう、限界だったのですね。。
本当に命を使いきった・・・そんなちちでした。
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そんな父が亡くなった時、
ぼくは宮沢賢治の天ニモ負ケズの一節を思い出していました・・。
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じぶんをかんじょうにいれづ
よくみ ききし わかり ・・・・・
本当にそんな生き方の父でした。
15日の帰天式では主エル・カンターレの大いなる御光に包まれ
光の世界へと帰っていくことでしょう。。
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親父さん!本当にありがとうございました!!
そして、主の御光に包まれての帰天、
本当におめでとうございます。。 息子より
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