大生命の方程式

人間から新人類へと進化と次元の仕組み。
人間能力が開化する時。
炭素系人間から珪素系人間にと変身し新人類と成る。

般若心経(A)面 2013年新人類の解脱法 世界主・釈迦は仰言われた。

2013-08-19 08:20:54 | アクエリアス
般若心経(A) 実相観(故・辛嶋正美);鑑修・藤本満正

 佛  説 :  一切の心、事物の束縛から解かれた『生命』を、説明します。
 摩  訶 : 本当に偉大で、何ものよりも、勝れた、
 般  若 : すでに、全ての点で恵まれた「生命」を知る事とは、
 波羅密多 : 実相(実在の本当の)世界に生かされている「生命」と、
    : 思・想・念の受信器であり、発信器である心を、
    : 経 (たて)糸で結ぶごとく一つにすれば良いのです。
般若心経 : 全ての事物において、すでに、恵まれた、如意自在
「万事意の如く、自由自在」の生命を智る事により 心を、本来の相(実相)に戻し、あらゆる、願望成就苦悩解消が得られる。 心を「生命の恵まれた世界・魂に意識を入れる」(入我)、その「生命・魂・ハート」と「心」を、現象体に戻す、(我入)とは、……目を閉じ、完全円満なる大調和、全智全能の、自分の「生命・魂・ハート」を一心に観じる事により、なされます。般若心経は、この、実相生命観を、実行する方法と、それにより、心が、体が、環境が、行動が思い通りに、現象化される事を説き、本来、恵まれている自分の「生命・魂・ハート」は、神そのものであり、明るく、光そのものであり、比べるもの、等しいものは、何一つ無いし、実相の自分自身に、ただ、ただ感謝するしかない、と賛美する経です。
読経、写経により、高級霊(般若心経を守る霊)の、輝きが、御自分の雰囲気となり、人生が、明らかになるのですが、最も、素晴らしい事は、般若心経そのものを実行して、御自分」の素晴らしさ、偉大さを体得され、再認識される事にあります。

観 自 在 : 自分とは?一体、その実(本当)の相(姿)は、
何であるか? 目を閉じ靜かに、自分の実在を観てみると

菩   薩 : 自分一人の為でなく、一切の衆生、三世の諸霊諸共に、目覚めさせ、共に歓喜する大いなる乗り物(大乗)を、自分であると覚悟し、生命・魂・ハート〓如来の元へ昇華しようと道(真理)を求めた時、
行   深 :   深く深く、自分の実在を、みつめて行くと、静寂の、
般若波羅密多: すでに、実相、彼岸(本当の実在)世界に。
すでに行きついて、全ての点で満たされ、恵まれている、自分の「生命・魂・ハート」と知り、

   : 出合った今、この時、「心」は「生命・魂・ハート」と一体となり、
照   見 : 「生命・魂・ハート」の輝く光により、全てが照らされ、明らかに、見えたのです。
五   蘊 : 私が今まで、認識し『事実』と思って信じてきた事は、物は、実は、心・三界の五つの「色、受、想、行、識」の波動であり、それは、現象世界(色)を感覚器で受けて(受)、連想的に心・三界に映った思い・想い(想)を、心の作用、念の働らきにより、言動化し(行)、体験した認識の全てを事実とし、知識として、潜在意識に記録したもの(識)。五つの波動の重なりあった相でしたが、
皆   空  : その全ては、ことごとく皆、大~小波動であり、大~小磁力であり、 大~小 大は実在認識できるが、小では認識できないが、存在するのです。事実では、認識出来なかったとことも、「生命・魂・ハートの輝き」により、明らかに見えたのです。
度一切苦厄 : 過去の心の三界・五蘊(潜在意識に残っている記録)も、これからの五蘊も、皆、小波動で空のように解釈され、 実在、認識・事実できない為、本来、記録されている。 それにより苦しみや厄は、心の三界を越えた、「生命・魂・ハートの輝き」では、本来ないと、一切の苦厄を因縁を度(超越)し、救われている。すでに、救われていた。という眞理が観えたのです。
舎 利 子 : 釈迦十大弟子で智恵一と称される舎利子(シャーリブトラ)よ! 自分の為だけの悟りの智恵は、自己の内なる世界中心に向かう小さな乗り物(小乗)で、又、外なる世界の中心・菩薩の全人類、三界の諸霊共に救われる、悟りの智恵(般若波羅密多)こそ、大きな乗り物(大乗)の、智恵である。それは、般若心経を行深(深く行する)、実相智恵観(生命をみつめる瞑想禅)によって、実感出来るのである。
色不異空 : 全ての現象(色)は、実体は、あるけれども認識出来ない
空不異色 : 生命・魂・ハートの輝き(空)より、心と、異ならず
色即是空 :  実体の認識出来ない波動が、心に映る、映画と、全ての現象(色)と異ならず、
空即是色 : 現象(心霊現象)は、そのまま、実体は、あるけれども認識出来ない(空)ものであり実体は、あるけれども認識出来ない心(空)は、そのまま、一切の現象となって現われる。
受想行識 :   五蘊の他の受想行識(感受し、想い、行ない)、
亦復如是 : 知識となったと記録された。事実であると認めたことも、また、かくの如く、一切は空(実体は、あるけれども認識出来ない)、
舎 利 子 : シャーリプトラよ! これが私舎利子だ! と思っている。その心も空であり、実体は、あるけれども認識出来ない。現象(肉体)も、実体は、あるけれども認識出来ないのだ。
是諸法空相 : これ故、諸々の今まで、心で観じ、認識し、知識として、得たと思っている法(眞理)も、法則も、ことごとく、その実体は、あるけれども認識出来なく、実在は、あるけれども認識出来ないのが、真実の空なる相(姿)です。
不生不滅 : 実在であり、実相である「生命」は、生まれたり、滅したりしない永遠に、生き通しである。(ここでは、舎利子の生命)
不垢不浄 : 本当であり、真実である『生命』は、垢がついたり、浄いになったりしない、極限、無限に、清まった相(姿)です。
不増不減 : 増殖する事も、滅る事もない。一即多、自他一体、常に無限大、それが「生命」の相(姿)です。
是故空中 : これ故に、実体は、あるけれども認識出来ない(空)の、心の中で、現われる。
無  色 : 現象世界(色)も、本来実在は、あるけれども認識出来ない、
無受想行識  : 五蘊のことごとく感受した事。記録、知識も一切、波動の重なりあった、中味の空なるもので実在は、あるけれども認識出来ない。今、過去の想念、因縁を現わす事も、出来ず、本来、実在は、あるけれども認識出来ないのです。
無眼耳鼻 :  それは、この眼も、耳も、鼻も、舌も、身も、
  舌身意 : 意(心)も、本来の私達の実在は、あるけれども認識出来ないのです。それであとから、
無色声香 : 眼で現象を見て、耳で聲いて、鼻で香いで、
  味触法 : 舌で味わって、身で触れて、意(心)で、これが、現象が法(眞理)だと体験し、知識として、左大脳皮質を働らかせ、記録した事の全ては、実在は、あるけれども認識出来ないのです。
無 眼 界 : 眼で見える現象世界も、実在は、あるけれども認識出来ないのです。生命は見えない。
乃至無意識界: 乃至(耳で聞く現象世界、鼻で香ぐ現象世界、舌で味わう現象世界、身で触れる現象世界)。意(心)で、意識、認識する現象知識も、実在は、あるけれども認識出来ないのです。
無 無 明 : ここまで「生命が、実在であると、照らかになれば、無明(明るさが無い、迷い、心配一切の闇、病)も、実在は、あるけれども、生命の光に照らされ、実在が消されるのです。光のみ、照らされた、実相世界のみ、生命のみ実在である。
亦無無明尽 : 無明(明るさが無く、迷う、闇)が、本来、実在は、あるけれども、生命の光に照らされ、実在が消されるのです。無明の盡くる事、(闘争いや貧困、病気等)も、本来、実在は、あるけれども、生命の光に照らされ、実在が消されるのです。
乃至無老死 : 実相の生命は、完全に恵まれ、円満なのだから、生のみ。老化や病気や死は、『生命』本来の生には、本来、実在は、あるけれども、生命の光に照らされ、実在が消されるのです。
亦無老死尽 : また、老化現象が、出て、病気で苦しみ死んで灰になる。と、いう現象も映画の影みたいなもので実在の、生命なる本体、本来、実在は、あるけれども、生命の光に照らされ、実在が消されるのです。
無苦集滅道 : 四諦(苦、集、滅、道)苦しみの念が、集まり、破滅の道へ到る。終末、末法も無い。苦しみは、十二因縁(無明・行・識・名色・六入・触・受・愛・取・有・生・老四)の集まりであるが、本来、現象は、空(実体のない心)の現われであり、本来、実在は、あるけれども認識出来ないのです。これを滅して、悟りの道(眞理)に、到達する事も無い、すでに、全ての点で、恵まれている生命の実在を、自分の本体と観じたのだから、
無智亦無得 : 全智全能なる「生命」は、そのままで、完全光明智であり、必要な全てを得ているので、何も新たに智る必要はなく、得る必要もない。満たされていると感謝せよ。
以無所得故 : これ以上得る事も、取る事(執着)も無い具足円満の生命は、
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