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清水湯 そして 五百羅漢寺から円融寺

武蔵小山温泉清水湯・五百羅漢寺・目黒不動・円融寺
いずれも目黒駅を起点に目黒線(旧目蒲線のうち目黒から田園調布まで)に沿って尋ねることができる。

武蔵小山温泉清水湯 
目黒線で不動前の隣の駅である武蔵小山駅東口から徒歩5分にある温泉銭湯(料金:手拭い持参で450円)。2008年5月にリニューアルオープン。2010年7月より温泉水のナノバブル化。営業12時-24時。泉質:重炭酸ソーダ泉(黒湯)、ナトリウム塩化物強塩温泉。

五百羅漢寺(1695開基 1908現在地に移転)(天恩山羅漢寺 単立宗派)
仏師松雲元慶(1648-1711)は、耶馬溪の羅漢寺で五百羅漢像に出会って感動し羅漢像彫刻を願うようになった。そして江戸中から寄進を受けて1691年から10年の年月をかけて536体の羅漢像を完成させた。その間の1695年には本所深川(現在の墨田区)に土地を得て本山を開基した。1724年には八代将軍徳川吉宗(1684-1751 将軍1716-1745)が参っており、1734年には吉宗は土地(ご朱印地)を与えている。その後の100年あまりの間、羅漢寺は江戸市中最大の禅林としてまた観光地として賑わった。しかし1846年の本所の洪水。さらに1855年に安政の大地震で大きな被害を受けてから寺勢は急速に傾いた。1887年に緑町に移転、つぎに1908年に現在地に移転(これ以降を目黒羅漢寺ともいう)。しかしほどなく関東大震災(1923年)でも被害をこうむり、第二次大戦にかけて経済的に窮迫するに至った。しかし幸い1970年に東京都の重要文化財の指定を受け、1981年には近代的な堂塔を完成している。現在305体の羅漢像が残されている。交通 JR線・東急目黒線など目黒駅より徒歩10分。東京都目黒区下目黒。

目黒不動尊(泰叡山祐天寺 天台宗) 
慈覚大師円仁(794-864)が不動明王を祀って平安初期に開基(天台宗)。関東最古の不動霊場にして、熊本の木原不動尊、千葉の成田不動尊と並ぶ日本三大不動の一つ。なお不動明王は本尊にして秘仏。目黒不動は三代将軍徳川家光が江戸守護のため1634年に伽藍を造営整備してのち、江戸市中からの行楽地として賑わうようになり江戸後期には門前町が発達した(目黒詣で)。目黒不動は谷中の感応寺、湯島天神喜見院と合わせ「江戸三富」と呼ばれる「富くじ」が行われた場所としても知られる。本堂裏手には本尊の本地仏として銅造大日如来像(1683)。それに江戸時代の蘭学者青木昆陽(1698-1769)がある。また境内には思想家、北一輝(1883-1937)の顕彰碑(大川周明書)がひっそりと立っている。目黒の目は馬の意味、黒は畦道を意味するが、近くの「駒場」の地名とともに、これはこの一帯が放牧地だったことを意味する。交通 東急目黒線不動前駅下車、徒歩8分。東京都目黒区下目黒。

円融寺(経王山円融寺 天台宗)
目黒線をさらに一駅進んだ西小山にある古刹。848年に慈覚大師円仁(748-864)により天台宗の寺として開基。法勝寺とも称した。その後、日蓮(1222-1282)の弟子の日源上人により1283年日蓮宗に改宗。法華寺と改名した。世田谷吉良氏からも崇敬を受けた。しかし不受不施の教義を抱えて他宗への攻撃を行うところがあり江戸時代に入ると、基督教と同じとみなされ幕府から弾圧を受けることになった。そのため1698年に天台宗に戻され経王山円融寺と称するようになった。16世紀半ばと推定される仁王門があり、仁王門には鎌倉扇ケ谷法眼作の銘が入った仁王像(1559年製作)がある。仁王門奥には室町初期(14世紀半ば)と推定される釈迦堂。これは東京都23区内最古の木造建築物にして重要文化財。仁王門右手の梵鐘は1643年鋳造である。交通 東急目黒線西小山駅下車。立会緑道沿いに徒歩10分。東京都目黒区碑文谷。

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