藤流夢一座「風KAZE」の今日も一所懸命・・ 代表 藤均太郎

田舎の小さな舞踊集団 藤流夢一座「風KAZE」
風にのせて夢の時間をご一緒に今日は何処の空の下・・。

解離性大動脈瘤…人工大動脈置換手術

2016-10-21 | 日記
藤均太郎の昔話

10月に入院し検査に検査…リハビリにリハビリ…
11月も歯の治療に検査…そしてリハビリ…
17階のリハビリ室から見える外の景色…
秋から冬に移り変わる…
9階の病室から見える仙台大観音さまに
毎日静かに手を合わせる毎日…

2011年は様々な事があり過ぎて…
東日本大震災という悲惨な天災にも遭遇…

手術が難しいために手術医が複数居ないと
出来ないらしく…齋木教授をはじめ川本教授や
斎藤先生、熊谷先生とチームで…
東北大学病院の心臓血管外科のスペシャリストの
みなさんに助けていただきました…

12月7日の回診で『12日に決まりました…大至急家族を呼んでください…‼︎』と…

50パーセント…歩けないかも
成功…25パーセント、などなど…
今も家族説明の時の緊張を覚えてますが
自分の大動脈の映像を3Dでパソコンに写され
手術で使用する人工血管を見せられ…

12月11日…手術日前日…手術準備の手術…
脳と脊髄を守るための水冷パイプ?を脊髄に
2本差し込む手術を2時間かけて…
小心者の均太郎はこれだけで…グロッキー

つづく

解離性大動脈瘤…

2016-10-20 | 日記
藤均太郎の昔話

手術が難しいため…なのか、私の状態を診てたのか
10月に入院するも…来る日も来る日も手術の日を
待つ日々が…早く手術をしたいような…
一生手術をしたくないような…

不安で夜も眠れず毎晩睡眠薬を飲まないと眠れない…
子供達に対して遺言を書いたのもこの時期に…

それでも病院に持ち込んだパソコンに入れておいた
子供達の踊りのビデオを見るたびに勇気づけられ…
わざわざ青森や岩手の遠くから見舞いに
来てくれる友達や仲間や家族に勇気づけられ
弱気な自分に初めて気付き…慌てて遺言をゴミ箱へ…
『生きて帰ればいいだけ…何弱気になって
んだ!』

ここから毎日毎日体力をつけるために…
血圧を上げないようにリハビリを…

手術日を教えられないまま毎日毎日リハビリを
そして検査の日々…

いよいよ手術へ つづく

お知らせです
10月23日日曜日に岩手県は奥州市は衣川の
秋まつりに行きます\(^o^)/
お近くのみなさん…
是非観に来て下さいね〜待ってます(^o^)/

解離性大動脈瘤…

2016-10-19 | 日記
藤均太郎の昔話

9年前…会社の帰りに突然襲われた
気絶する程の全身が引き裂かれるような痛み…
呼吸する事すら痛くて出来ない…

意識が戻った時にはすでに倒れた日から
2週間が過ぎてました…

お医者さんの必死の救命措置と
回復を願う家族や仲間たちの祈りのおかげで
奇跡的に一命を取りとめていただきました…
しかし解離のショックで右側の腎臓が不全に…

緊急の手術では助からないとの判断から
温存治療に…
胸から太腿の付け根まで大動脈が裂けたそのまま
に温存治療…そして4年目
いよいよ裂けて薄くなった動脈は年と共に風船の
ように膨らみ破裂したら即死なので…お医者さんから人工血管への置換手術しかない…と

脳を守りながら
心臓を守りながら
その他の臓器を守りながらの
心臓移植の手術より難しい手術になりますと
家族説明のときに…
下半身麻痺になる事も考えて家のリフォームを
進められました…

つづく

ちょうど5年…

2016-10-18 | 日記
今日10月18日は私…藤均太郎が
2011年に大学病院に入院した日です…
忘れられない日です…
毎年思うのですが…5年前のこの日の気持ち…
『もう二度と生まれ育ったこの家に帰ってこれないのでは…』と…本当にその思いで仙台まで
向かったことを…

この日から約4か月の闘病生活が始まりました…

急性大動脈解離を発症し盛岡中央病院に緊急搬送され…一命を助けてもらい…
4年目の解離性大動脈瘤のため大動脈の置換手術
を受けるための入院です

同じ病気で苦労したり悩んだりしている人に
少しでも力になれたらと5年目の日記を書いて行きますので…