1836年、流刑者植民地ではなく自由移民の植民地として
計画的に街づくりが始まったアデレード ・・
(10月16日のブログ参照 )
街の建設責任者にひとりの測量技師が任命されました。
Colonel William Light
ウィリアム・ライト 大佐 (1786年ー1839年 )
測量技師でありイギリス軍人
アデレードの小高い丘に
ウィリアム・ライトの銅像が立っています。
ウィリアム・ライトが指し示す先には
アデレードの街が広がっています。
Torrens River トレンス川のほとり ・・
ウィリアム・ライトはアデレードの街づくりにあたり、
背後にゆるやかな丘陵を抱くこの地を選びました。
丘陵地帯には雲がかかり、
農業に欠かせない雨をこの地に降らせるだろう ・・
街は将来発展し、多くの人がここに暮らすようになる ・・
トレンス川は新鮮な水の供給源となるだろう ・・
「Light's Vision ライトのビジョン 」 ・・
ウィリアム・ライトが街づくりに寄せた思いは、
後年こう呼ばれるようになりました。
道幅の広い道路 ・・
碁盤の目のように整然と ・・
そして、都市機能を緑で囲むという発想 ・・
19世紀初頭、既にヨーロッパでは、
都市における空気の汚れが問題となっていました。
ウィリアム・ライトは、
アデレードの街づくりに未来永劫を見据えた理想郷を思い描き、
それを実現させました。
しかし、街づくりに着手してからわずか3年 ・・
病 (肺結核 ) に冒されたウィリアム・ライトは、
アデレードの繁栄を見届けることなく他界します。
ウィリアム・ライトはこんな言葉を遺しています。
『私がこの地を選んで実行した
街づくり(Light's Vision ライトのビジョン ) の可否は
後年の人が決めること ・・ 』
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