多くの説が 『聖職者の区域 』 と唱えている場所に、
「Royal Palace 皇帝の宮殿 」 ではないかといわれている
建物があります。
(王女の宮殿 ・・ という説もあり )
(矢印の場所 遺跡のほぼ中心 )
マチュピチュは、
皇帝 (パチャクテク 11月16日のブログ参照 ) の私領であり、
離宮のような存在であったという説が
現在では主流となっています。
皇帝のマチュピチュでの宮殿とされる建物は、
3つの部屋で構成されています。
皇帝がここで何かの儀式を執り行ったのでしょうか ・・
技術者 (研究者 ) の区域と同様の 『石臼 』 があります。
(12月7日のブログ参照 )
また、この 『石臼 』 が在る状況から、
部屋の床は土間であったことが推察されます。
建物は2階建て構造で、
2階には窓のような開口部が設けられています。
居室の壁には窓のような窪み ・・
ここは祭壇になっていたと考えられています。
インカ帝国は、
アンデス地方に点在した多くの部族を統合し、
広大な領地を支配するに至りました。
その形成の経緯から考えて、
インカ帝国は繁栄の頂点を迎えた
パチャクテクの時代においても、
地方部族の謀反や反乱が常に脅威だったと思います。
そんな状況下において、皇帝パチャクテクは、
マチュピチュで優雅な時間を過ごす余裕が
果たしてあったでしょうか ・・
(入り口から見たマチュピチュ遺跡全体 )
多くの民の人心をひとつに束ねるシンボルとして
マチュピチュを建設することには、
大きな意味があったと思います。
たぶんパチャクテクは、
定期的 (たとえば1年に1度 ・・ ) にマチュピチュを訪れ、
カリスマ性を示す神事を行ったのではないでしょうか。
その際に寝泊りしたのが、
「皇帝の宮殿 」 だったのかも知れません。
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