ロシア五人組 ・・
19世紀後半、
ロシアの民族主義的な音楽を志向 した作曲家集団で、
ロシア独自の音楽の開拓者たちです。
いずれもサンクトペテルブルグを拠点に活動し、
五人は揃って 「チフヴィン墓地」 に埋葬されています。
(9月27日のブログ参照 )
Mily Alexeyevich Balakirev
ミリイ・アレクセエヴィッチ・バラキレフ (1837年ー1910年)
ロシア五人組の中心的な存在です。
ロシア民謡をモチーフ にした音楽の完成を模索した
作曲家として知られています。
Alexander Porfiryevich Borodin
アレクサンドル・ポルフィーリエヴィチ・ボロディン
(1833年ー1887年)
化学者であり、医師でもあるという作曲家です。
残した作品は少なく、
ボロディン自身が自らを 「日曜日の作曲家」 と呼んでいました。
また、高等教育や女医の育成など、
女性の地位向上に尽力した人物です。
César Antonovich Cui
ツェーザリ・アントーノヴィチ・キュイ (1835年ー1918年)
軍人が本業であったキュイは長寿を全うし、音楽家としては
オペラ、ピアノ曲など膨大な数の作品を残しています。
1918年、没後他の墓地に埋葬されますが、
1939年、遺骸が 「チフヴィン墓地」 に移されました。
Modest Petrovich Mussorgsky
モデスト・ペトローヴィチ・ムソルグスキー ( 1839年ー1881年)
ロシアの史実や当時の暮らしをモチーフとした
歌劇の作曲家として知られています。
また、
交響詩 『禿山の一夜』、ピアノ組曲 『展覧会の絵』 が有名です。
Nikolai Andreyevich Rimsky-Korsakov
ニコライ・アンドレイェヴィチ・リムスキー-コルサコフ
(1844年ー1908年)
多くの民族色豊かな作品を残した作曲家であると同時に、
人望のある教師として多くの音楽家を育てた人物です。
「サンクトペテルブルグ音楽院」 における貢献は、
前述の通りです。
(9月25日のブログ参照 )
余談ですが、同時期同じくサンクトペテルブルグを拠点とした
チャイコフスキー、アントン・ルビンシュタインは、
五人組とは一線を画 していたそうです。
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