カリーニングラード駅
ここからユーラシア大陸が繋がっています。
1929年、ドイツによって敷かれた鉄道の駅舎 (再建) は、
カリーニングラードが開かれた都市となったいまも、
どこか旧ソ連的な雰囲気を漂わせています。
(11月10日のブログ参照 )
第 2次世界大戦以前は定期便であり、
戦争末期には多くの避難民と傷病兵を乗せて
ベルリンに向かった列車 ・・
戦後長い間廃止になっていましたが、
ペレストロイカ以降再び復活しています。
ヨーロッパの鉄道網は、まさに 『網の目』 のようです。
ほとんどの国が1435ミリの標準軌道に統一していて、
ヨーロッパのどこまでも鉄道が繋がっているという感じです。
戦後、動乱の中 「琥珀の間」 が列車で運ばれるのを見た ・・
という証言者がたくさんいたそうです。
もしそれが事実なら、「琥珀の間」 は、
いまもヨーロッパの街のどこかに眠っているはずです。
しかし、多くの人は 『琥珀の間は戦争で焼失した』 と言います。
『戦争で燃え尽きた』 ・・
この言葉は、すべてを無に帰す呪文のようです。
忘却は最大の無慈悲です。
私自身も 「琥珀の間」 は、戦火とともに焼失したと思っています。
どこかにそれが眠っていて欲しいと願うのは、
儚いロマンであることもよくわかっています。
大切なのは 『記憶にとどめておくこと』 ・・
それが歴史という過去への畏敬の念ではないでしょうか。
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