JFK-World 世界の撮影・取材地トピック

Freelance Film Director
TV-CMおよびTVドキュメンタリー番組のディレクター & カメラマン

幕末の角屋

2015年06月05日 | 京都
(映画 『壬生義士伝 』 より )
新選組隊士による島原 『角屋 』 での饗宴の様子 ・・・



43畳の大座敷 ・・・
大切に保存されている角屋の 『松の間 』 ・・・


(映画 『壬生義士伝 』 より )
映画では、角屋の雰囲気がよく再現されています。



島原 西門跡 ・・・
ここから徒歩で15分ほどのところに
新選組 壬生の屯所がありました。
(5月30日のブログ参照 )

注: 大門は東側 (6月3日のブログ参照 )



角屋は、新選組がよく利用していた揚屋でした。



一方、角屋は、
長州藩士 久坂玄瑞の密議の場所としても知られています。
(豪商たちを相手に資金援助の申し入れなど )



久坂 玄瑞 (くさか げんずい 1840年ー1864年 )
高杉晋作とともに松下村塾 (しょうかそんじゅく ) で学ぶ。
1864年、池田屋騒動の報復ともいえる
『蛤御門の変 (はまぐりごもんのへん ) 』 において、
24才の若さで自刃を遂げる。
(5月5日のブログ参照 )



久坂玄瑞の妻 文 (ふみ 吉田松陰の末妹 ) は、
NHKの大河ドラマ 『花燃ゆ 』 で
主人公として描かれています。



新選組と長州藩士 ・・・
奇しくも宿敵同士がともに角屋の顧客でした。
(西郷隆盛も利用したと伝えられる )



鉢合わせを避けるために、



角屋には相当な差配の苦労があったそうです。



また、
新選組調役から角屋に宛てたこんな書簡が残っています。
日付は1866年9月 ・・・
『今後一切新選組隊士への掛売りはやめてほしい 』
という内容です。
時は、西本願寺へと屯所を移し、新選組絶頂の頃 ・・・
(6月2日のブログ参照 )
隊士の驕りを諌めるためか ・・・
それとも、迫り来る新選組の運命を察してのことか ・・・
いまとなっては知るすべがありません。



角屋の玄関に残る新選組による刀痕 ・・・
やがて儚く散った若き隊士たちの、
ひと時の鬱憤晴らしだったのではないでしょうか。

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