
「揚屋 」 のこだわりをいまに伝える遺構 『角屋 』 ・・・
(6月4日のブログ参照 )

料理と、

室礼 (しつらい ) によるおもてなし ・・・

ここには、京ならではの文化が宿っています。

島原の歴史は、
門があることから遊郭から始まったと思われます。
(門は江戸 吉原などと同様、
遊郭を隔離し、また遊女を逃がさないためのもの。
6月3日のブログ参照 )

しかし、都人の感性は、
単なる享楽以上のものをそこに求めました。

年月を経るほどに味わいの出る
『網代天井 (あじろてんじょう ) 』 ・・・

四方八方に明かりを照らすことから
『八方 』 と呼ばれた吊行燈 ・・・
一種の縁起物ではないでしょうか。

障子や、

欄間にも贅を尽くしています。

厠に続く廊下にも風情が ・・・

そして、舞妓、芸妓は、文字通り舞や芸を売る存在 ・・・
このようにして、遊郭とは違う 『花街 』 が生まれました。
注: 京都の人は花街 = かがい と呼び、
遊郭とは一線を画し、高い誇りを持っている。

角屋に設けられた茶室 ・・・
江戸中期、島原俳壇が形成され、
老若男女を問わず粋人が角屋に集いました。

江戸後期から明治初期にかけての歌人
大田垣 蓮月 (おおたがき れんげつ 1791年ー1875年 ) は、
島原 大門の柳に寄せてこんな歌を遺しています。
『なつかしき やなぎのまゆの春風に
なびくほかげや さとの夕ぐれ 』
注: 陶芸家でもあった大田垣 蓮月。
晩年は出家し尼僧となる。
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