Dr. Maria Reiche
マリア・ライヘ博士 (1903年ー1998年 )
ドイツ人の数学者・考古学者 晩年はペルー国籍。
ナスカの地上絵に魅せられ、生涯をその研究と保護に捧げる。
(4才のマリア・ライヘ )
(左 妹 Renate (レナーテ ) 右 マリア )
ドイツ ドレスデンに生まれた彼女は、
ドレスデン工科大学で数学を学びます。
1932年 29才の時、台頭してくるナチス ドイツに嫌気が差し、
故国を離れペルーに移り住みました。
クスコのドイツ領事官邸で家庭教師の職を得た彼女は、
アンデスの魅力を知り、
休みの日には高原を散策する日々を送りました。
この時、アクシデントが彼女を見舞いました。
サボテンの棘が刺さった指が壊疽 (えそ ) を起こしたのです。
彼女は、左手の中指を失いました。
後年、
このアクシデントに彼女は運命の不思議を思い知ります。
(ポール・コソック博士とマリア・レイヘ )
1940年代になり、彼女はナスカの地上絵研究の
先駆者 ポール・コソック博士と出会い、
助手として働き出しました。
(2013年12月30日のブログ参照 )
(日の出とポール・コソック博士 )
ポール・コソック博士の学説の根拠となった自然現象 ・・
冬至の日、地上絵の直線上に一致する日の出の写真です。
この写真は、助手であった彼女が撮ったと思われます。
彼女は、地上絵の研究にのめり込んでいきます。
(1946年 ナスカで撮られた写真 )
1948年、ポール・コソック博士がペルーを去ります。
しかし、彼女は留まり、
単独で地上絵の研究と保護に生涯を費やしました。
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