ピョートル大帝がサンクトペテルブルグに求めたものは、
ヨーロッパ風の街づくりです。
彼は、ヨーロッパ諸国を初めて訪れたロシア皇帝です。
1697年から1698年にかけての18ヶ月間に及ぶ歴訪で、
ロシアの後進性に気がついた彼は、
ロシアの近代化とヨーロッパ化を急速に実現しなければならないと
痛切に感じていました。
街並みの整備には、
当時の先進諸国であったフランス、イタリアから
有能な建築家を呼び寄せ、
旧来のロシアのものとは違うヨーロッパの建築様式を採用しました。
(2009年2月10日のブログ参照 )
サンクトペテルブルグの街の印象が、
他のロシアの都市と異なるのはそのためです。
また、ピョートル大帝は、
洪水の多い泥湿地であるネヴァ川の河岸にこだわりました。
その理由は、この川がフィンランド湾を経て
バルト海に繋がるゲートウェイであることがあげられます。
さらに彼は、
柔らかい土地はむしろ運河を張り巡らすには
適していると考えました。
彼の頭の中には、
運河に紡がれた壮大な街の構想が出来上がっていたのでしょう。
それまでフィンランド湾は、
100年にわたりスウェーデンによって閉ざされていました。
それによりロシアは、ヨーロッパとの交易ができずにいました。
ピョートル大帝は、この地 サンクトペテルブルグに
ヨーロッパへの拠点を築くことが、
帝政ロシアを文化的、経済的に発展させるために
不可欠であると考えたのです。
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