JFK-World 世界の撮影・取材地トピック

Freelance Film Director
TV-CMおよびTVドキュメンタリー番組のディレクター & カメラマン

Chocolat Menier ショコラ ムニエ

2014年07月18日 | ヨーロッパ
(写真は Antique Shop Le271 のサイトより借用 )
1816年にフランス パリで創業したチョコレートメーカー
「Chocolat Menier ショコラ ムニエ 」 ・・・



愛らしいポスターやパッケージでチョコレートの一時代を築いた、
フランスを代表するメーカーです。
(現在はネスレの傘下 )



Antoine Brutus Menier
アントワール・ブルータス・ムニエ (1795年ー1853年 )
ショコラ ムニエの創業者。
衛生兵として
ナポレオンのロシア遠征 (1812年 ) に従軍した彼は、
退役後、医薬品の製造を始めました。
同時に、少量ながらチョコレートもつくり始めました。
(薬剤のカカオ パウダーをチョコレートに転用 )



Henri Menier
アンリ・ムニエ (1853年ー1913年 )
アントワール・ブルータス・ムニエの孫。
ショコラ ムニエの3代目CEO。
狩が趣味であった彼は、
1913年シュノンソー城を購入しました。
しかし、城を手に入れてから程なく、
アンリ・ムニエは肺結核で死去 ・・・



Gaston Menier
ガストン・ムニエ (1855年–1934年 )
ショコラ ムニエの経営権およびシュノンソー城は、
弟のガストン・ムニエに引き継がれました。
男性の城主 ・・・ と思いきや ・・・



1914年第1次世界戦が勃発 ・・・
ガストン・ムニエは、シュノンソー城の大広間を
軍事病院として開放しました。
(7月16日のブログ参照 )



Simonne Menier
シモーヌ・ムニエ (1881年ー1972年 )
ガストン・ムニエの娘。
彼女は、看護婦長 (当時は女性だけの仕事 ) として
この臨時病院を取り仕切りました。
戦時下の女性城主です。



創業者のアントワール・ブルータス・ムニエが元軍人であり、
祖国フランスのために戦った ・・・



また、ショコラ ムニエは、
元々医薬品のメーカーであった ・・・ などの理由が、
戦時下におけるこの慈善活動の背景にあると想像出来ます。



シュノンソー城は、現在もムニエ ファミリーの所有です。
大広間に花が絶えることはありません。
壁には、
『1914年から1918年の間 (第1次世界大戦 )
 2254人がここで負傷の治療を受けた 』
と刻まれています。

注: 大広間に限らず、
   シュノンソー城には多くの生花が飾られている。
   ムニエ ファミリーの城に対する愛着と敬意の表れである。

jfk-world





































































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