カトリーヌ・ド・メディシス ・・・
フランスの食文化を変えた王妃 ・・・
残虐な王妃 ・・・ など、
スキャンダラスな言葉で語られる王妃ですが、
真実はすべて歴史の闇の中 ・・・
ひとつだけ確かなことは、
彼女が生きた時代
フランスはとても豊かだったということです。
(1600年 )
1564年、摂政を務めるカトリーヌ・ド・メディシスは、
ルーブル宮殿に直結する
新たな宮殿建設に着手しました。
それは、Tuile = タイル をつくっていた場所に
建てられたことから
Palais des Tuileries = テュイルリー宮殿
と命名されました。
(1615年 )
手前がテュイルリー宮殿、奥がルーブル宮殿です。
Louis XIV of France
ルイ14世 (1638年ー1715年 ) の時代になっても、
道楽とも思える城の改築、造営は続きました。
(ベルサイユ宮殿 )
さらに、ルイ14世は ベルサイユ宮殿 を建設 ・・・
(17世紀半ばのルーブル宮殿 )
ルーブル宮殿は、戦利品として略奪した
美術工芸品の保管場所となりました。
フランス革命を経て、
Napoléon Bonaparte
ナポレオン・ボナパルト (1769年ー1821年 )
の時代にも歴史は繰り返されました。
つまり、
勝ち取った美術工芸品はルーブルへ ・・・
これは、
ナポレオン時代のルーブル宮殿内の様子です。
(ルーブル美術館内 )
このようにして歴的建造物と美術工芸品の
コラボレーションが生まれました。
贅を尽くし、人が英知を結集して
つくりあげた宮殿という建造物 ・・・
そこに美術工芸品を展示しパビリオンとする ・・・
これは誰かが意図したものではなく、
時の流れの中で偶然に生まれたものだと思います。
現代の言葉で表現すれば “見事なビジネスモデル”
エルミタージュ 然り ・・・
島国だからでしょうか?
それとも、質素倹約を美徳としてきたからでしょうか?
日本にはこの例がありません。
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