
豊臣秀吉 (1537年ー1598年 )
北野天満宮での大茶会 (1587年 )
醍醐の花見 (1598年 花見という風習の起源とされる )
どちらも、秀吉一世一代の大イベント ・・・
秀吉の京の都への強い憧れが窺えます。
一方、 『天正の地割 (7月3日のブログ参照 ) 』 、
東海道につながる三条大橋の架け替えなど、
秀吉は、京の町づくりに大きな貢献を果たしました。

東山の麓に建つ 『方広寺 (ほうこうじ ) 』
その巨大な鐘楼 ・・・
(方広寺は、大仏殿として秀吉が建立 )

徳川家康に豊臣攻めの口実を与えた、
といわれる鐘に刻まれた文字を見ることが出来ます。
(鐘楼は、秀吉の死後秀頼が建立 )

『国家安康 』 『君臣豊楽 』 ・・・
『家康 』 を切り離した、
という (家康の ) 言いがかりは有名です。

方広寺のすぐ隣りには、

秀吉を祀る 『豊国神社 (とよくにじんじゃ ) 』

秀吉の馬印 = 千成瓢箪にちなんで、

絵馬は瓢箪の形をしています。

また、境内には瓢箪が栽培されています。

豊国神社の前には 『耳塚 』 ・・・
秀吉が指揮した朝鮮出兵の際、
戦功の証として兵士が持ち帰った
数万人の 『耳 』 を弔い供養しています。
古来、戦においては、
敵兵の耳を持ち帰ることは常套手段だったそうで、
耳へんの 『取 (とる ) 』 という字は、
そのことに由来するそうです。

耳塚に、献花が絶えることはありません。

1615年 大阪夏の陣 ・・・
今年は、豊臣家の滅亡から400年です。
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