いまは博物館となっている アルベール・カーンの元私邸 ・・
(5月8日のブログ参照 )
4ヘクタールにおよぶ広大な敷地には、フランス庭園をはじめ、
イギリス庭園など様々な庭園が造られています。
アルベール・カーンは、
庭園にも世界の調和を求めたといわれています。
その中には日本庭園もあります。
これは、コート ダジュールのマルタン岬にある
アルベール・カーンの別荘で、1923年に撮影された写真です。
一緒に写っているのは、皇族
北白川宮成久王
(きたしらかわのみや なるひさおう 1887年ー1923年 )
房子内親王(ふさこないしんのう 1890年ー1974年 )
です。
注: 房子内親王は明治天皇の第7皇女
1921年からフランスに留学していたご夫妻は、
アルベール・カーンとは家族ぐるみの親交がありました。
注: 北白川宮成久王は写真が撮られたこの年、
フランスで自らの運転でドライブ中事故死
1926年、アルベール・カーンが派遣したカメラマンが
高輪御殿で撮った写真には、房子内親王の子女と一緒に
昭和天皇 (1901年ー1989年 ) が写っています。
(向かって左 )
注: 1926年12月25日 大正天皇 崩御
注: 昭和天皇の即位礼、大嘗祭は1928年
当時は 『現人神 (あらひとがみ ) 』 とされた天皇陛下 ・・
その日常の撮影が許されたというところに、
日本政府のアルベール・カーンに対する信頼の高さが伺えます。
写真は1926年の東京駅
アルベール・カーンは、1897年と1908年に2度来日しています。
最初の来日で、日本資本主義の父と呼ばれる
澁澤 榮一 (しぶさわ えいいち 1840年ー1931年 )
との親交が始まりました。
元々は、
アフリカへの投機によって財を成したアルベール・カーンは、
日本の潜在力を評価し、
新たな投機先として日本を考えていました。
1908年の2度目の来日時には、
大隈 重信 (おおくま しげのぶ 1838年ー1922年 )
から厚遇を受けています。
日本は、日露戦争 (1904年ー1905年 ) に勝利するも、
経済的には疲弊していた時期でした。
1912年に京都で撮られた写真
アルベール・カーンが派遣したカメラマンは、
20世紀初頭の日本を色鮮やかに捉えています。
1926年に東京で撮られた写真
写真の記録には 『モガ 』 という言葉が使われています。
大正末期から昭和初期にかけて日本の若者の間に流行した
『モダンガール・モダンボーイ 』 と呼ばれた風俗 ・・
略して 『モガ・モボ 』 ・・
同じ撮影者としてこれらの写真を見れば、
その表現力の高さ、そして美しさにただ驚嘆するだけです。
1929年に始まった 『The Great Depression 世界大恐慌 』 ・・
アルベール・カーンはすべてを失いました。
私財のすべては差し押さえられましたが、
この私邸に住むことだけは許されました。
そして、彼の情熱の結晶 ・・ 膨大な数の写真は守られました。
死の直前まで、
庭園の中をひとりで散歩する姿が見られたそうです。
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