亜熱帯に属するイースター島は、
元々は木々に覆われていたはずです。
(木々のない島には人は住み着かなかったでしょう )
しかし、およそ 700年間続いたというモアイづくり ・・
そのモアイを運ぶために森の木は伐採され、
イースター島の自然環境は激変しました。
それに反して人口は増加し (推定 1万人以上) 、
深刻な食糧危機がイースター島を襲いました。
食料をめぐって部族間の対立が起こり、
やがてそれは争いへと発展しました。
ざっとこれが、一般的に考えられている
「フリ モアイ モアイ倒し戦争 」 に至った経緯です。
これは、
学術調査のため 「ラノ ララク 」 のモアイを発掘している写真です。
モアイがいかに巨大であるかがわかります。
(12月 4日のブログ参照 )
「アフ トンガリキ 」 のモアイ。
(12月 6日のブログ参照 )
「タハイの儀式村 」 のモアイ。
(12月 7日のブログ参照 )
この巨大なモアイを倒すには相当な力が必要です。
飢えの中で発揮された 『力 』 ・・
食べ物の恨みはかく恐ろしき ・・ ということでしょうか ・・
『短耳族 』 と 『長耳族 』 の争い ・・
「フリ モアイ 」 のもうひとつの興味深い説です。
『短耳族 』 はポリネシア系の人々 ・・
『長耳族 』 は南米大陸からの渡来民族であると、
この説では規定しています。
確かに、1722年にイースター島を発見したオランダ人も、
ここにはふたつの人種が暮らしている ・・ と報告しています。
元々ポリネシア人が暮らしていたイースター島に
南米大陸から人が渡ってきます。
石加工に長けていた彼らはモアイづくりを広め、
やがてそれは彼らの生業となります。
「フリ モアイ 」 は 『短耳族 』 と 『長耳族 』 の争いであった、
という説です。
モアイをつくり運んだ人たちだから、倒すことも容易だった ・・
とこの説は唱えています。
(12月 9日のブログ参照 )
この説の派生でさらにおもしろいのは、
「ラノ ララク 」 は、モアイの製作場所であると同時に、
モアイづくりを受注するための展示場だったと考えていることです。
つまり、各部族の首長に対して、
モアイのサンプルを示す場所だったというものです。
様々な説が渦巻くイースター島 ・・
実に不思議な島です。
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