現代建築も素晴らしいところはありますが、過去に建築されたものの中にも時代を越えて称賛されるものがあります。当時の最先端技術を工法に採り入れた、それでいて時を経ても色褪せない建物があります。【気になる本】『にっぽん建築散歩』小林泰彦https://t.co/75jGdUghby
— 丸善ジュンク堂書店劇場 (@junkudo_net) December 2, 2019
商港ならではの銀行建築が残る小樽、江戸以来の学問と文化の街・神田、ヴォーリズ建築が残る近江八幡―。日本全国30エリアの歴史的建物をイラストと地図とともに紹介する。雑誌『パートナー』掲載を加筆し…#帰る前には書店へGO pic.twitter.com/cWl8XLqflR
然し乍ら、こと阪神淡路大震災や東日本大震災を経てきてからというもの、こうした過去の建築物に対して耐震性云々で取り壊してしまう傾向が高くなってきた様に思います。
勿論、建物は管理し続けなければ傷みます。たとえ地震に耐えられたとしても風雨に晒された外部から傷む場合があるのは事実です。
とはいえ、それでも我々だけの判断で簡単に“取り壊すという決定権”を持って良いものでしょうか。我々の時代に於いても建物を共有して次の世代へと繋ぐべきなのではないでしょうか。
海外には多くの世界遺産が現存しています。その中には日本と同じ様に地震大国な場所もありますが、それでも現地の人たちは基本的に取り壊したりしません。補強できるところは補強して、常に世代間を問わず共有していると思うのです。
確かに我々は時代の最先端を生きてはいますが、だからといって我々が全てではありません。所詮、我々は其の時代と国を共有している1人に過ぎないのです。勿論、生きている以上は何らかの目標を持っていますが、それはそれであり、それが全ての決定権を持つとは違うと思うのです。
日本の様に過去の歴史を簡単に壊してしまうと、いざ自国の歴史を振り返る際の生きた教材がなくなってしまうんです。文献には遺っていても、実際を知ることができないのはトータルで考えると不幸だと思うのです。
その点、海外では世代間を問わず遺産を共有しているので実際が常に存在しているのです。この差は本当に大きいですね😩 。