鶴鳴于九皐 聲聞于野
(澤深く 鶴が鳴き その声が野に透る)
魚潜在淵 或在于渚
(魚は淵にひそみ 時に渚に遊ぶ)
樂彼之園
(樂しい園に)
爰有樹檀 其下維擇
(樹(う)えた檀がある その下には楮(こうぞ))
佗山之石 可以為錯
(他山の石も 我が玉を磨くべきぞ)
「他山の石(たざんのいし)」とは、中国最古の詩集「詩経(しきょう)」(小雅・鶴鳴篇)にある故事に由来する言葉で、「他山之石可二以攻一レ玉」とあり、これは、「他山の石 以て玉を攻むべし(たざんのいしをもってたまをおさむべし)」と読みます。
「玉を攻む」は「玉を磨く」という意味であり、文字的には、「他の山からもたらされた粗悪な、磨いても玉にはならない石は、然るべき山から産する玉を磨くのに使え」といった意味になります。そして、ここから転じて、「他人の誤った言行も自分の行いの参考となる」といった意味になりました。
ちなみに、「詩経」は、中国最古の詩篇で、周代(紀元前1050年ころ~256年ころの中国古代の王朝)に作られたものです。孔子さんの編ともいわれていますが、詳しくはわかっていません。
さて、先日、公職選挙法違反の罪に問われた元;法務大臣について自民党幹事長が、「党としても、他山の石として、しっかり対応していかなければ」と、他人事のように表現し、野党などから、「日本語を理解されていないのか、ちょっと意味不明の発言」「他山の石ではなく『自山の石』ではないか」などと批判があがりました。
2005年に公表された文化庁の「平成16年度『国語に関する世論調査』の結果について」では、「他山の石」の意味を、「他人の誤った言行も自分の行いの参考となる」という正しい意味で使っている人が26.8%でした。間違った意味での、「他人の良い言行は自分の行いの手本となる」で使っていた人は18.1%、「わからない」と回答した人が27.2%でした。
今回の「他山の石」発言を批判については、「他山=他人」というのが、参議院選挙当時自民党員で元;法務大臣を「他人」というのは、当事者意識を欠くものでおかしいということになり、批判発言はごもっともだと思います。一方で、「他山=他人」であるとしたら、文字どおり「他の人=自分以外の人」であるから、「他人のふり見て、我がふり直せ」という意味で、発言自体には何ら違和感はないとも思えます。
幹事長は本当の意味を知っていて発言したのかは、過去の発言からはいささかあやしいものであり、どういう趣旨で発言したのかは不明ですが、私にとってはおかげさまで、「他山の石」の意味を再度勉強することができたのは、よかったと思います。
さてさて、「いささかあやしいこと」という意味では、「ターザンの石」なるものも同じことがいえます。
「ターザン」とは、米国の小説家のエドガー・ライス・バローズさんが 1914年に発表した小説「猿人ターザン」から始まる連作の主人公です。アフリカのジャングルで類人猿に育てられた英国貴族の血をひくターザンが、ジャングルを荒しに来る文明人を相手に戦い、平和を守るというもので、小説はベストセラーとなり、後に漫画や映画化もされています。
架空の人物ですので、もちろん、「ターザンの石」というものを持っている人がいるとなりますと、映画で使われていたものならともかく、あやしさ満載でしょう。ちなみに、映画の中でターザンが石を使っている場面があるのかどうかは私は知らないです。
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