人生のすべてをかけ、あらゆる手法と必死の粘りで
14年かけて創り上げた四天王寺羽曳丘も私が
退職して9年間で学校が消えた。
卒業生から多くの残念がる声が続いた。
私の知らない全寮時代の生徒から学校の批判が
あいついだ。
私が行く前の全寮時代は学校と言えない
無茶苦茶な学校だったらしいとわかった。
昔の多くの卒業生は
「閉校になって良かった。イヤな思い出も
消える」なんと情けない学校を創ったものだ。
四天王寺のトップ漣は誰一人としてみんなの望む
学校つくりをしなかった。ダメな学校として
大阪NO.1の呼び声高い四天王寺羽曳丘へ地元
公立の中学校長を退職して飛び込んだ。
公立中高・私立中高は強い付き合いの中、
ドン底の私学へ・・・苦労に苦労をかさねて
長くにわたって創り上げた驚異の人脈を生かし
頭と足のフルコースは
必死の情熱で道を切り開いた。
苦しかったが頑張って楽しかった。
多くの優秀な生徒がどんどん集まって来る人気校に
なるまで中学校や塾の先生に随分助けてもらった。
退職して10年、がんばった思い出の学校がないのは寂しい。
苦労された多くの全寮時代の生徒さん達へ・・・
苦しかった学校時代の思い出を生かして力強く
人生を歩んで下さい。
85歳になる今年、「苦労は人生の種」と思い、まだ人生を
「人のため」「子供のため」に頑張るつもりです。