皆さん、こんばんは~
今日は2022年11月11日で20221111、、、
という事は、、、
200年後の今日は22221111ですね!😆
下らない前置きでスミマセン!、
今日も禄でも無いニュースばかりなもので、、、
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今朝、満を持して永代橋を渡って来ました。
門前仲町からトコトコ
見どころ満載の深川界隈。。。
朝の通勤散歩で歩くには内容が濃過ぎますので、悩んだ末の皮切りコースです。
写真が多くなりますがご容赦を。。。
門前仲町と言えば富岡八幡宮
今回はサクッとご挨拶のみ、、、
二の酉は11月16日、三の酉は11月28日です。
続けて深川不動尊にもご挨拶。
富岡八幡と深川不動は、後日改めて探索予定です。
辰巳新道
最初のお目当ては辰巳新道の呑み屋街です。
ザ・下町のディープな雰囲気に満ちています。
夜に歩いたら遭難しそう!(笑)
呑み客専用の共同トイレです。
路地のドン突き。
この空間に一体何軒の店があるのか!?
清澄通りを渡ります。
戦災殉難者慰霊碑
明暦大火、大震災、大空襲と再三焼き尽くされた歴史を持つ深川界隈には、このような慰霊碑が随所に見られます。
伊能忠敬住居跡(旧深川黒江町)
寛政7年(1795年)、下総国香取郡佐原村の名主を引退して江戸に移った伊能忠敬の住居跡。
その5年後、忠孝はここから蝦夷の測量に出発したのだそうです。
渋沢栄一宅跡(旧深川福住町)
渋沢栄一は明治9年から12年間こちらに居を構え、深川区会議長などを務めたそうです。
福島橋で掘割を渡ります。
佐久間象山砲術塾跡
此方は信濃松代藩真田家の屋敷跡です。
永代通りから逸れて、赤穂義士休息の地へ。。。
赤穂義士休息の地碑(佐賀町河岸通り)
討ち入りを果たした赤穂義士一行が泉岳寺に向かう途中、ここで乳熊屋味噌店初代竹口作兵衛に甘酒を振舞われたと。
記念碑には「ちくま味噌十六代竹口作兵衛識」とあります。
さて、いよいよ永代橋です~。
永代橋の面影
元禄11年(1698年)の初代創架以来幾多の変遷を経て、関東大震災後の大正15年に現在の橋が再架橋された。
ドイツのライン川に架かるレマゲン鉄橋をモデルにした現存最古のタイドアーチ橋で、当時は「帝都東京の門」とも呼ばれたと。
一旦、橋脚を潜って下流側からUPで一枚。
河岸の遊歩道を上流側に少し遡ると、、、
永代橋碑
江戸の永代橋は今の橋から150m程上流のこの場所に架けられていたそうな。
因みにその木造橋の長さは200mもあったとか!
永代橋碑からの現在の永代橋。
では、現代の永代橋を渡ります。
対岸に日本橋川に架かる豊海橋が見えます。
下流側に月島のタワマン群
上流側には隅田川大橋とスカイツリー
美しい橋です。
豊海(とよみ)橋
永代橋西詰を右折して日本橋川に架かる豊海橋を渡ります。
江戸の古地図には「ホウカイハシ」とあります。
日本橋川にはこの豊海橋から一石橋まで、計8本の橋が架かっているそうです。
日本橋川の左岸(北岸)は箱崎町、
その先は小網町と蛎殻町です。
今は静かな裏道ですが、かつてはこの道が日本橋から永代橋に続く目抜き通りだった筈です。
お腹一杯、制限時間も一杯で、日本橋駅から銀座線を使って会社に向かいました。。。
とても一度では味わい切れない深川から日本橋界隈一帯、、、
この冬、何回かに分けながら探索したいと思っています。。。
本日もご訪問頂きまして有難うございました。
明日はブログの週休日とさせて頂きます。
皆様、素晴らしい週末をお過ごしください。