皆さん、こんばんは。
昨夜、3年振りに来日した台湾のお客さんとの会食がありました。
台湾では既に国民の7割がコロナに感染済みと言うことで、既に集団免疫状態なのだとか。。。
小さなお孫さん二人も感染済みだそうで、「もう心配ない~」とけろっとしていました。
集団免疫が本当かどうかは兎も角、遠来の旧知と酒杯を交わして、楽しい時間を過ごしました!
有朋自遠方来、不亦楽乎。
朋あり遠方より来る、亦楽しからずや☺️
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中央区湊町・鉄砲洲界隈
月曜日の通勤散歩のおまけです。
隅田川の中央大橋を渡った後、かつて鉄砲洲と呼ばれていた界隈を探索しました。
中央大橋で隅田川を渡ると中央区新川町です。
左手に亀島川の南高橋が見えます。
亀島川の船溜り
南高橋を渡ると中央区湊一丁目、
かつて鉄砲洲と呼ばれていた界隈です。
鉄砲洲
かつて京橋川が隅田川に合流する河口から南の方へ細長い洲が「鐵砲洲」と呼ばれ、鐵砲洲から芝浦までが「江戸湊」と呼ばれていた。
名の由来は、種子島に伝来した鐵砲に似ていたとも、徳川家入府の際、大筒の試射場であったからとも言わる。
(鐵砲洲稲荷神社HPから要約)
由緒ありそうな神社がありました。
マニアを自認する私には堪らない珍狛犬!
石柱には鉄砲洲稲荷神社とあります。
提灯の紋は稲が実ったデザインです。
消毒液のボトルが手水代わり
威張ると神に捨てられ、
欲張れば金に背かれ、
妬めば友を失い、
怒れば己を失う。
・・・反省 !
鐵砲洲稲荷神社
京橋地区一帯の産土神 (うぶすなのかみ)
平安時代に荏原郡桜田郷(現在の桜田門近辺)の郷民が生成大神(いなりのおおかみ)を祀ったことが始まりとされ、その後、江戸湾の埋め立てと共に、京橋、新京橋、鉄砲洲へと遷座を重ね、明治元年より今の地に鎮座している。
拝殿前の立派な狛犬(獅子像)
神楽殿と摂社の八幡社
令和では冷遇されがちな二宮尊徳さん
す組
力石
鉄砲洲の富士山
境内の奥に立派な富士塚がありました。
鉄砲洲富士と呼ばれ、江戸時代から人気を博したとか。
現在の境内で3回移築され、現在の高さは5.4mだそうです。
私が今まで見た中で一番高いと思います。
残念ながら登頂禁止でした~😅
散策の間も参拝の方が後を絶ちませんでした。
偶然見付けた鐵砲洲稲荷神社。。。
江戸の町の拡張と共に、産土神社として此処まで引っ越して来たなんて、とても興味をそそられます。☺️
(おまけ)
歌川広重『名所江戸百景』
「鉄炮洲稲荷橋湊神社」
朱塗りの壁と社殿が描かれていますが、この頃は未だ、今より少し離れた場所だったそうです。
本日もご訪問頂きまして有難うございました。