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3/19で
やっとこ半世紀(●´ω`●)
お誕生日メッセージありがとうございます!!
(^O^)
誕生日の時には色々と己史として、過去編を残すようにしているここ近年。
そろそろ自分に何が起こっていたのかを思い出して書き記さないと記憶が削れていくから、少しずつ…いつものように長いので今回は生まれと住んだ所、その辺りの仕事とかをほんのりと…
(住まいの話は今度分けて話すね)
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産み落とされた?のが広尾の日赤。
そこから、育てられたのが六本木、テレ朝通りのテレ朝向かって左隣のオンボロアパート。(通称ツタハウス&おばけ屋敷)
アパートだけど、一応鉄骨入ってて、外が見える半地下、地上3階あるから合計4階か…
その半地下に住んでいた。
母が物件を見た時に庭側の窓を開けると日差しが素敵〜で決めたそうだ。
しかし、すぐにテレ朝の入り口スロープが作られて、日照時間1日5分といつ過酷な陰の家になった。
芸能人らが日々集うテレビ局はうるさい。
そして、陽は当たらないくせに夜も電気がピカピカ。
夜はカーテン閉めても明るい。
日陰で寒い。
25年ほど住んで最後の方は水道管が錆びて、蛇口捻ると錆び水しか出ない。
外の◯◯から水を汲んで保存していた。
当時はまだペットボトルではなく、レモンウォーターの500ml瓶だった。
酷い家だった。
ひとつだけ良かったのは、小学生の頃にドラえもんカレンダーが近隣には無料で配られていたのでドヤれた( ̄∇ ̄)
立ち退きだったが、色々あって貰える物は無かった…(この話はwebでは言えない闇なので対面で逢った人には話しますよ、すげぇ長いけど)
因みに六本木なんぞも昔は家賃5万以下くらいのアパートがいっぱいあったからね。
そんなに綺麗な街とは言えなかったね〜
意外とスラムよ←イメージ
17歳で母は他界の前辺りから、入院してる頃から、ほぼ独りで生活している感じだった。
親父とも反りが合わないので、16歳辺りから、飯とかどうしてたんだろな〜元々貧乏なので。
バイト代でパンばっか食ってた。
いつも腹空かしてたな〜
今でもパン大好き。
安い物ばかり食べてるから、現在の美味しいパン屋さんは超高級、コンビニパンは高級。
あんまし買えなくなったな〜…金銭感覚が貧乏幼少期の頃と変わらないな。
環境のせいか、おかげか、早いうちに自立していたと思う。
長いので後編へつづく