専門学校をクビになった時に実家が嫌でしょうがなくて19歳で家を出た、埼玉川口122号マック横入った所に部屋借りた。
バイクで事故った事故金で敷金礼金ミラクルゲット。
はじめに就職したインテリア屋で、話とかなり違うのとチェーンスモーカーの社長と喧嘩して退職。
初任給9万円。
次に上野の老舗刺繍屋に職安から入る。
今でいう結構ブラックで残業代貰えず、労働基準監督署に相談したら、そこの所長と社長が仲良しでニヤニヤしながら訴えは取り下げられた。
辞めた。
暫く日雇いで食い繋ぐ。
そして、家賃滞納6ヶ月。
追い出された。当たり前だ。
追い出される直前にまたバイク事故。
ちょうど姉が結婚して部屋がたまたま空いたので実家へ戻る、3畳部屋。
21歳で友人の親戚の看板屋へ就職。
とても良い環境の為、10年勤めることができた。
辞めるキッカケになったのは、着物で目立ちはじめたときに出逢った某大手リサイクル着物チェーン店の社長に誘われて原宿に店を作るから、店長やらないか?というので転職しようとした。
看板屋社長に話すと「お前の人生のステップになるのなら良いじゃん!」と快く受けてくれた。
感謝しかない。
辞める事になり、着物屋の方に連絡すると、携帯メールで「借りれなかったから、あの話無しで!」と一言で終了した。
おいコラ!…このオレにそんな態度して、どうなるかしらんぞ?と思ったら、それから月日が流れて、最近倒産したようだ。ホラミロ。
人に対して、ちゃんとしてたらそんな事にはならなかったんだろうな〜…
少し遡り、六本木は再開発で立ち退きの話があったらしいが、直前にオレだけは引越していた。
再開発後は、6ヒルになった。
次に行き着くのが、世田谷等々力。
そこには10年住んだ。
とても良い部屋だった。
綺麗な水が出て、風が通り、よく日が当たる。
こんな当たり前のことが素敵に思えた。
悪い環境は、少しの変化ですら素敵に変化させる心を育ててくれた事に気づいた。
仕事が下北沢になり、楽しかったが、立ち退き。
そのあとの住居の東松原も立ち退きにあった。
そして、横浜大倉山…ここも立ち退き。
人生4回の立ち退きを味わってきた。
(オレには一銭も入らない残念立ち退き)
オレの人生ってなんだろうな〜と思いながらもめげることは無かった。
いや、あったのか?
現在、東京小平は、様々なものに恵まれている気がする。
良き縁があり、良き仲間と出逢い、語らう。
そんな穏やかな?日々を過ごすことが出来ている。
六本木生まれって、凄いっすね〜と言われる事がよくあるが、最悪だよ。
人が住むような街ではないし、無理してるよ。
お金を沢山稼ぐ人、元々持ってる人、そんな人は一握り。
それが良いのかすらわからない。
自分が思う人生をちゃんと歩んでいれば、何があろうがどっちでも良い。
都会に生まれてしまったので、都会に興味がないのはラッキー。
だからとても楽。無理しなくて良いから。
進学校に無理して通ってる感覚はない。
オレはお金大好きだけど、仕事という束縛のような感覚は苦手だと思う。
お金があれば、沢山助けることができる。
困っている人がいた時にも自分が動く為の時間を作ることができる。
世迷い事と思われても、自分の思う生き方をする。
そのお金たちに自分も沢山助けられているのも事実だ。
やりたくない事はやらない。
それがこれからの半世紀。
常にポジティブでいられるような環境づくりをし続けていこう。
自分にとってツマラナイ事はやらない方がいい。
何かを失うくらいなら、やらない。
自分勝手でも自分の意思でいく。
それがこれからの半世紀。
共に何かをご一緒するのは、これはとても面白いと思ったんだな〜好きなことなんだな〜、だから一緒にやるんだな、と思ってもらって良いかと。
色々な事にありがとう。
何とか生きてるよ。
20230319 ふんずお誕。