あんまり、浸ったり、発言したり、
どーもね、アレだな~~って思ってやめておこうとしたんだけどさ
いざね、その時間を思い出したりするとね~
黙祷したら、意外にも涙がでたよ、びっくりした。
あ、まだ枯れてない!て。
自分の経験としては、揺れたな・・なんかすげーな
って事くらいしかなかった。
被害は酷く、検索すればいくらでわかるので自分は言わない。
いやいや、画像や情報がわかるだけで、わかった気がするだけだ。
今でも、困っている方も沢山いると思う。
いると思うというだけで、本当のことは分かっていない。
しかし、わかろうとするのは大事なことだ。
戦争のような、「繰り返してはいけない」というものとは、ちょっと違う。
繰り返したくなくとも、自然なものはね・・・
あ、原発やらの二次災害などはまた違うけどね、サラっと。
自分は地震が怖いからと言って、外国へ逃げたりはしない。
それも込みでの日本を出る気はない。
この国で生きていき、全うするだろう。
5年前の今日~しばらくの間に何をしてきたか?
たいした事はできていないが、チャリティーイベントを開催したり。
復興支援へ行ったりした。
復興支援というよりは、復興支援をする人たちを支援する作業かな?
自分しかできないであろうことをしたと思っている。
たいしたことはできなかったが、その時の現場のことは確実に脳裏やココロに
焼き付いている。
それを事あるたびに語ることはできる。
チカラは無くても、語ることくらいはできる。
そして、その場所を何度も訪れる。
金が無ければ、
体力もない、
頭も良くなく、
時間もない。
しかし、しかしだ、オレが見た物や感じたことは、
オレの言葉でオレの口からしか語れない。
現場でご一緒した仲間へ、「考えるな感じろ」ってことを素で言っていた。
人によってできることは違うんだ。
感じた事を何に転換できるかが問題なのだ。
例え、その時に感じたものがすぐに役立ったり、動けたりしないかもしれない。
それでも、その時、その場所で、「感じたという行動」が自分のモノになる。
確実に自分にしか得ることのできないモノだ。
感じたからって、
「だから、どうした? どうもしねーよ。」
それでもいいんだ。
オレは、あの場所に行きたい、何かの役に立ちたい!と思って
たまたま行くことができ、感じて、今に至る。
「行けて良かった、見ることができてよかった」
と、思えただけでも、糧になっている。
人の為に尽くすだけが、支援ではない。
~~~~~~~~
以前、ブログにも書いたが、良い事言ってたオレ。。。
「祈るという行為は誰にでもできるようにみえるけど
あなたが祈る心を持つということは他人には代われないのだよ。
あなたにしかできない、そのココロは。」
今、実際に思うことは、「祈る=思い出すこと」これが大事だなと。
思い出すことで、次世代へは伝えることができる。
まだまだ、広い範囲の現地では、多くの土地や人々が頭を抱えている。
そう簡単には元には戻らない。
しかし、人間は逞しい。
絶対に前に進む。
これだけは、間違っていない。
現地を大して知るワケではないが、ちゃんと見ています。
今でもココロの何処かではしっかりと覚えております。
そして、オレも共に進んでいると思っております。
これからも、前へ、少しずつでも前へと・・・・
以前のブログはこちら
1:地震の時の話
2:地震の前からの話
3:地震の現場に行く人の話
ふんず
2016.03.11 記
・・・・・・・
5年経ちましたが、当時お逢いすることが皆さん、
奇跡のようなタイミングで話をすることができた皆さん、
出逢えただけでも、ありがとうございます!!!
オレの事は忘れてOKです!
でも、オレは忘れません。
いつまでも忘れません
またいつかお逢いできればと思っております。