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小國裕美の部屋

フランスのピアニスト、レミさんとの出会い


ジャン・ピエール・レミさんと出会ったのは、平成27年のことでした。
それまで4年間フランス語を習い、フランスにも旅行し、レベルがアップしてきた頃で楽しくなっていました。
フランス語は不思議です。
その頃は、1日中、フランス語を聞いていたいと思っていました。
私にとって、フランス語自体が、音楽なのです。
レミさんを紹介して下さったのは、まだ一度もお会いしていないのですが、フランス在住の「長南さん」という方でした。
この方は、聞くところによると、日本人でフランスに住んでおり、いろいろとシャンソンの事情をご存じで、日本人の芸術家の応援をしてくれる方ということしか、私は知りません。

パリのメトロのサンラザール駅。
ここはもと国立高等音楽院のあった所で、通りには楽器店、楽譜店がたくさん並んでおり、レミさんとのレッスンは、この界隈のスタジオで3日間行われました。
スタジオは貸しピアノが何台か置いてあり、音楽院の学生等が使用しているような所で、広いレッスン室もありました。

半年前には、シャンソンは5曲のレパートリーしかなかったのです。
「15曲、フランス語で歌って下さい。レッスンは1日3時間くらいやります」
とレミさんに決められ、あと10曲を半年でやらなければならなくなったのです。
この時が何しろ大変でした。

レミさんは、クラシックからシャンソンのピアニストに転向して、クラブなどで、シャンソン歌手のピアニストとして活躍していました。
また、コラヴォケールの専属ピアニストでした。
私はコラヴォケールとレミさんの、東京の草月ホールでの来日リサイタルのCDを聞き、彼女の代表曲としての、 枯葉、さくらんぼの実る頃、モンマルトルの丘 をレッスンの曲として選んで入れました。
これらは私にとって、音程が低いものでありましたが、高く歌うとシャンソンにならないようで、声は次第に低いのにもなれていきました。

ロアール地方にお住まいのレミさんは、パリまで列車で来られ、サンラザールの通りをニコニコ笑いながらスタジオに来てくれました。
忘れもしない、ぬけるようなブルーの服で…
2日間は通訳の人に来てもらったけど、1日だけは私とレミさんと夫だけの日もありましたが、あまり会話は必要なく、次の日のレッスンの時間だけはちゃんと会話して確認したような記憶……

レッスンは、私自身、異国の地で歌うという、緊張感と解放感が全身を巡り、三時間歌ってもまだ歌えました。
しかし、日本からフランスの、行きの飛行機での腰の痛みに耐えながらの3日間であったのだけど。
「ブラボー!」
と言って下さり嬉しかったです。
しかし、フランス語の発音は、日本人に苦手な発音があるのをまだ克服できていなかったのです。

続く……





レミさんがクリスマスに送ってくれた写真(左)
パリ観光(右上)
レッスン(右下)



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