薔薇の園を夢みて
宝塚歌劇を観に行った時、その日宿泊のホテルのフロントに大輪の黒薔薇が飾られてあった。「まさか本物?……」と触れてみると、ビロード布のような手触りの、視覚、臭覚、触覚が一瞬に目覚め、心動かされた薔薇との出会いだった。約1年後、薔薇のショップのホームページを開いていた時、「あの時の薔薇に間違いない」と思い、昨年の暮に大苗を注文した。
苗を買い付ける醍醐味は、到着の日まで恋人が訪れるのを待ち焦がれる心境と同じである。待つこと3週間、一目惚れの出会いから1年後の再会であった。花の名は「ブラックバッカラ」
薔薇の魅力は、何といっても自分だけのために咲いてくれている様な存在感と、芳しい香りと、半年で咲き、挿し木で増やせる事である。一季咲きと四季咲きがあり、一季咲きは桜のように一度しか咲かないが、四季咲きは年中ポツポツと花をつけている。花びらが重なり合った妖艶なものから一重の清楚で上品なもの等、原種から現代薔薇まで、交雑や交配を重ねて品種も多く、葉の色、形もすべて違い、個性を主張している。
平成18年、念願の家が新築完成し、狭いながら庭が待てるようになった。その時、3人の友人からもらった思い出の八重の四季咲きの白の蔓薔薇(イングリッシュローズ)は、今や枝を伸ばし大きな垣根となり落ち着きを見せている。窓を覆うように植えたピンクの八重の大輪の「ピエールドロンサール」は屋根まで伸び、昨年は300個の花をつけた。今年の剪定、蔓の誘引では、庇に釘を打ち込み、屋根伝いに蔓を這わした。建具屋さんに木のアーチも作ってもらい、5年経った今では植える場所がない程で、消毒などが大変になって来た。
新居から五分くらいの所に別宅があり空家になっているが、その庭で薔薇の花が3本痛々しく咲いていた。主人の他界した両親の慈しみ育てたものであった。もう何年も置き去りにされていたのだが、「助けて」と私に訴えかけているようだった。
私はそれらを新居の庭に移し植えた。薔薇たちはいったいどんな花をつけるのだろう。私の期待に応えてくれた。オレンジ鮮やかな薔薇。ローズ赤に白の絞りの浮き立つ薔薇。芳しい香を放ち、どこか違うと思った薔薇。どれもみごとだった。過去をたどると、もう何十年も前に亡き両親によって植えられたものだった。「この家の庭の薔薇はすごく綺麗だったのよ」と言っていた亡き母の声が思い出され、薔薇を愛でつつ暮した時代の生活が偲ばれた。
これらは名前知らずの薔薇として、毎年違った表情で楽しませてくれていたが、ある時カタログを見ていて、そのうちの一本の名は「モダンタイムス」と知った。なんて素敵な響きだろう。1956年オランダ産のもの。四季咲きのすらりと長い蕾から展開するローズ赤に白い絞り。この花の秋の咲き様は、春とは違う洗練された美しさを持っている。俳句になる薔薇として好ましい。俳句にするなら春より秋の薔薇である。改めて、薔薇の奥深さを思う昨今である。
薔薇は古代、中世の時代より生存しており、あのクレオパトラもバスタイムに花びらを浮かべて入浴したことは有名な話である。薔薇にまつわる歌もたくさんあるが、私が好きなのは、オペラ「カルメン」のホセの歌う「花の歌」である。ジプシー女カルメンと竜騎兵伍長ドン・ホセの恋と悲劇に終るオペラの中で歌われる。「君の投げた一輪の赤い薔薇を日夜、牢の中で慈しみ、花は萎えて枯れた後も、その甘い香りに酔った。ひと目カルメンに逢いたいと、それだけを思い獄中で暮した」と歌うのだが、一輪の薔薇に真情を託した名歌で心を打たれる。それから、「セレナード」は、夜、花の香り満つ月の光の中、恋人の家の窓辺で愛を告白する歌である。シューベルト、ブラームスなど、すべての歌曲の作曲家が「セレナード」を作曲している。素敵な声で歌われたら、さぞかし、ロマンチックであろう。
心の庭の薔薇の花
君の恵みの陽差し受け
暖められて花びら開く
高く梢に日影慕いて
恋しさつのり開く花
今年も薔薇との蜜月を過ごす事にしよう。
🎶1分の短い動画です。バラ色の人生 La vie en rose
歌は私です。
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