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会社倒産その7

2021-01-23 05:05:00 | 日記
 その日は、中退共(会社が外部にお願いして退職金を積み立てる制度。ただし退職金は掛け金に上乗せされるものてわはなく、掛金×掛けた月数)の書類を受け取り10時位に解散となりました。
 もう会わないような店長と最後の挨拶をし、割と仲がいい店長と後本社の人間と近くのファミレスに行き色々お話しました。
 今回の倒産の件、今後の事、etc・・・。

 ただやはり将来には不安でした。

 でも私は決めました。

起業してみる

 前回も書いたように今の会社では給料は上がりません。
 老後も不安です。

 副業から始めようと思っていましたが、その前に倒産してしまいました。
 自分で何か始めようと思いました。

 その為今の自分に何が足りないか??
 スキルです。

 私はとにかく2週間スキルの勉強をしようと思いました。どうせまだ離職票やらは来ないのです。
 それならそらまでは勉強しようと思いました。


 私は会社を辞めたの過去3回(今回の倒産解雇を含めると4回)です。
 初めて就職したのは紳士服。一年も持ちませんでした。就職活動も適当にしていました。別に受かればどこでもいいかな?という気持ちでした。紳士服が受かると就職活動を辞めてしまい、のんびりしていました。そこの最初の就職先は大阪。地元を離れて1人見知らぬ土地へ行きました。まぁそれなりに適応したつもりではありましたが、一つだけ慣れなかったのは、そこの社長でした。
「お前らは俺がいないと洋服の一つでも売れないのか!!」
と当時は珍しく衛星放送(インターネットは普及されておらず、それすらも電話回線しかない時代でした。)というのを駆使し全店へ社長メッセージを伝えます。そして、売上悪い店舗と売上がいい店舗を突撃隣の晩御飯!!なみに取材していましたが、売上のいい店はやらせ、悪い店は本気で突撃だったようで、売上悪い店は店が悪い、従業員が悪いとコテンパンに言われ、噂では店長は降格左遷だったそうです。
 この時「思てたんと違う」となり辞める決意をしました。元々全国規模の会社だったので、あちこち移動も嫌でした。

 二つ目は小さな葬儀屋でした。ここには夫婦経営で旦那さんが会長、奥さんが社長で2人はとてもいがみあい、別居していました。
営業部長と言う人がいましたが、この人は葬儀のど素人、葬儀に関しては私に教えられるような事はしませんでした。後は我関せずのマイペースなおじさんと世話好きなおばさんでやってる葬儀屋でした。
 紳士服販売していた夏に私は祖父を亡くし葬儀を行ったのですが、その時葬儀なら興味を持ち葬儀屋に就職してみようと思ったのです。
 そこの事務所はズダボロのプレハブで、葬儀場も少し大きめの家を改造した感じでした。大丈夫かな?とは思いましたが、葬儀屋自体は面白いものでした。最初に見たご遺体も綺麗だったから抵抗はありませんでした。しかしその時まだ色々分からない事だらけてわしたが、部長は葬儀に関してはど素人で、葬儀に関する事は教えて貰えず、ただお手伝いばかりしていました。そして会長の悪口をこの部長と社長にずっと洗脳され続け、会長は悪い人なんだと思っていました。
その会社たまーにおかしな人達が来るのです。どんなおかしさかと言うと、イカツイアメ車で会社に乗り付け、明らかに普通では無い人が2人組できて、
「社長はおるかー」
てな感じで事務所に入ってきます。その時事務所にいるものは社長によって追い出されます。
 社長がどうも、普通では無い所からお金を借りていてその返済の為に普通では無い人達が来ていたようです。
 そして世話好きなおばさん社長と部長は「デキとる」と言って来ました。そのおばさんの話によると部長は社長の自宅によく行っていると言うのです。まぁ私にはどうでもいい事でした。
 この時私は2回連続で2週間程入院してしまいました。
 喘息の悪化と、自病の発作が出てしまいました。退院後世話好きのおばさんから社長が私の悪口言ってると言われました。それまで私につきっきりだった部長が急に私から離れて何の指示もしなくなったのです。そして初めて社長と部長はデキて私を良く思っていないんだなという信憑性が取れました。その後世話好きなおばさんが別の葬儀屋を紹介してくれてそこを去ることになりました。

 


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