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会社倒産その9

2021-01-24 03:55:00 | 日記
 12日の倒産説明会(?)の翌日に、私は急遽聞いたスタッフ数名のLINEに説明会の内容を伝え、他のスタッフに回して貰いました。
 
 13日からとにかく勉強すると決めました。
 目標は自分でホームページを作成する事です。
 勉強初日が始まると共に、14日の事について考えていました。14日は弁護士が店の状況の確認に来るようです。私は厳密に言えばもう社員ではないのですが、最後の作業となります。これで全て終わるのだなという気持ちです。
 またこの日に元会社のグループLINEに「社労士が健康保険資格喪失証だけは19日までに送ってくれるそうです。」と本社の方から連絡ありまして、ダメダメ社労士がなかなかやるやんと思いました。

 14日、指定した時間の1時間前位に店に到着し、店内を感慨深く見てまわりました。13年お世話になった店でした。スタッフとの思い出や(やましい事はありません。そこだけは線引きしてました)、色々な事件もありました。
 そうこうしているうちに弁護士さんが来ました。
 まずは店に残っている現金の引き渡し、それからいらない食材等の廃棄等行いました。
その後は2点程お話しました。

まずは健康保険証について。

基本的には退職と同時に保険証の返却を行わなければなりませんが、結局離職票や、保険資格喪失証明が来ないと保険の切り替えや、雇用保険手続きはできません。

でも私は指定難病の病気持ちですので、保険証は持っておきたいと述べると、弁護士さんは快く承諾してくれました。また会社の現金を集めたら従業員及びスタッフ全員分の解雇予告手当が出せそうなのですぐにでも振り込む準備をしてくれるという事でした。これは社長の意向という事で、経営方針や手法はともかく、人の良い社長の元で働けて良かったです。
 
 その後鍵を渡して店を去りました。
 
 14日には解雇予告手当の分の入金確認できました。

 この会社に勤めた15年間がこんな形で終わるとは思いもしませんでした。


後日談1  
 1月20日に元会社の本社の方からグループLINEが入りまして、「社労士さんから連絡ありまして、(保険の)手続ですが、もうしばらくお時間がかかると思います。
ただいま弁護士事務所から、管財人の決定の連絡を待っている状態です。
管財人しか印鑑を押すことができないので、資格喪失証明書に印鑑をもらえない状態です。
今日決定するだろうと午前中連絡があったので、状況が進展しましたらご連絡いたします。」
・・・だそうです。

あのさぁ、それもうちょい早く連絡できたよね?19日までに送るという事は最低でも18日にポスト入れないといけないし、それまでに書類完成させないといけないから、18日にはどうなるかわかってたよね??それなのに連絡よこすの20日??本当に後か後からあーだ、こーだ言ってくる典型的なダメ人間ぶりで、最後まで期待を裏切らないダメダメ社労士でした。

 ちなみに1月23日の今現在何の書類も届いていないです。

後日談2  
 中退共の退職金ですが、いくら出るのか電話で問い合わせたのですが、これが絶対教えてくれません。請求するまでのお楽しみという事ですかね??

後日談3
  保険切り替えについて少し調べたのですが、コロナ倒産の場合は任意継続よりも、国保が少し安くなるかもです。

 後日談4
 当社の閉店物件に興味を持ったAさんという方が、店を継続する意思のある元店長にお話がしたいと言うことをまた元会社のグループLINEできました。
 しかしこのAさんは、過去に会社の運営絡みで何度か逮捕されるというあやしい方でして、色々法律無視した営業ばかりされているのでもちろんパスです。

後日談5 
   本社のECサイトが何故か生きてる・・・。あら?うちの会社倒産しましたよね??
まさか私だけ騙されてる???

 会社倒産 おわり



会社倒産その8

2021-01-23 05:50:00 | 日記
一回目の葬儀屋をやめ、別の葬儀屋に紹介で入りました。
しかしそこも複雑な所でした。
社長のムスコがとてもクセのある人で、今でいうパワハラを平気で行う人でした。
 でもパワハラて自分に自信の無い人が行っていますよね??
パワハラを行う事が、自分が上司である事を確認する手段だったのではと思います。あいにくこの時代にパワハラ等という言葉はなかったのです。
この葬儀屋にいたのは約9年、私も最初の2年は本当に悩みましたが、後は適当に流す事でなんとかすることができました。
他の先輩の方達は信頼できる人達だったのが続けられる力だったのもあります。しかし私のいる間に3名の人がこの上司のパワハラで辞めていきました。最後に辞めた後輩はこの上司と社員旅行の帰りに殴られていました。たしかに顔が、腫れ上がっていました。その後輩は警察に被害届けを出したそうですが、示談したらしく上司はそのままでした。私はそんな上司にはついていけないのと、辞める一年前位から当時結婚していた妻に会社辞めたいと、伝えていました。理由は私の親が亡くなっても泣ける気がしなかったからです。葬儀に慣れてすぎていました。
妻に葬儀屋辞めて沖縄(何故沖縄なのかは別の機会に)をツーリングさせてくれと話はしていましたし、もう上司による暴力事件にはウンザリでした。私も酔った上司に何度か平手打ちを喰らわされた事があったからです。
後輩への暴力事件の3ヶ月後、その葬儀屋を辞めました。

 そして沖縄へ3週間ツーリングしました。(この間の話も別の機会に)
 沖縄のツーリングは最高の思い出となりました。

 私は沖縄から帰ると2週間程寝込んでしまいました。喉が痛くて熱が出てしまってらいました。
 この時くらいから妻の態度がおかしくなりました。寝込んでいると、仕事から帰ってきた妻が一言、

「まだ就職活動せんの?」
あれ?なんか厳しくないですか?身体大丈夫?とかてわはないのですか?
この時私は本当に何も知らないバカでした。
妻の気持ちはもう私には無かったのです。でもこの時点で私は気付きませんでした。(元妻との話も別の機会にでも)

やっと体が回復すると、ハロワに行き就職活動をしました。
この時5社位受けたのですが、一社目は何故か面接中にちょっと用事あるから後日連絡するから帰ってと言われました。意味がわかりませんでしたし、連絡くることもありませんでしたが、私なんぞ面接するに値しないと言うことだったようです。他は二つの会社落とされ、2つは受かったのですが、そのうちの一つは面接官が嫌だったので受かったのですが、辞退しました。再就職するにあたりやはりスキルがない私は厳しいと本当に思いました。
そう思いながらも、就職受かったのが今回倒産した会社だったのです。

ちなみに再就職後1年で妻とは離婚しました。

 大学でも何も考えず趣味ばかりして、就職しても本も読まずバイクでツーリングばかりして、将来自分がどうあるべきかなど考えず、自分磨きというものを疎かにした結果が今回なら倒産という結果に繋がったのだと思います。

もうちょっと未来を考えていたらと思うと・・・。後悔しかありません。
 
本当にもっと勉強しとくべきだったと。

しかし今回は3度目の離職とは訳が違います。私は1月12日から1月23日にまで朝昼、そして子供がら寝静まった夜中に起きてひたすら勉強しました。
少し自信はつきました。

※次回はちゃんと倒産後のお話です。



会社倒産その7

2021-01-23 05:05:00 | 日記
 その日は、中退共(会社が外部にお願いして退職金を積み立てる制度。ただし退職金は掛け金に上乗せされるものてわはなく、掛金×掛けた月数)の書類を受け取り10時位に解散となりました。
 もう会わないような店長と最後の挨拶をし、割と仲がいい店長と後本社の人間と近くのファミレスに行き色々お話しました。
 今回の倒産の件、今後の事、etc・・・。

 ただやはり将来には不安でした。

 でも私は決めました。

起業してみる

 前回も書いたように今の会社では給料は上がりません。
 老後も不安です。

 副業から始めようと思っていましたが、その前に倒産してしまいました。
 自分で何か始めようと思いました。

 その為今の自分に何が足りないか??
 スキルです。

 私はとにかく2週間スキルの勉強をしようと思いました。どうせまだ離職票やらは来ないのです。
 それならそらまでは勉強しようと思いました。


 私は会社を辞めたの過去3回(今回の倒産解雇を含めると4回)です。
 初めて就職したのは紳士服。一年も持ちませんでした。就職活動も適当にしていました。別に受かればどこでもいいかな?という気持ちでした。紳士服が受かると就職活動を辞めてしまい、のんびりしていました。そこの最初の就職先は大阪。地元を離れて1人見知らぬ土地へ行きました。まぁそれなりに適応したつもりではありましたが、一つだけ慣れなかったのは、そこの社長でした。
「お前らは俺がいないと洋服の一つでも売れないのか!!」
と当時は珍しく衛星放送(インターネットは普及されておらず、それすらも電話回線しかない時代でした。)というのを駆使し全店へ社長メッセージを伝えます。そして、売上悪い店舗と売上がいい店舗を突撃隣の晩御飯!!なみに取材していましたが、売上のいい店はやらせ、悪い店は本気で突撃だったようで、売上悪い店は店が悪い、従業員が悪いとコテンパンに言われ、噂では店長は降格左遷だったそうです。
 この時「思てたんと違う」となり辞める決意をしました。元々全国規模の会社だったので、あちこち移動も嫌でした。

 二つ目は小さな葬儀屋でした。ここには夫婦経営で旦那さんが会長、奥さんが社長で2人はとてもいがみあい、別居していました。
営業部長と言う人がいましたが、この人は葬儀のど素人、葬儀に関しては私に教えられるような事はしませんでした。後は我関せずのマイペースなおじさんと世話好きなおばさんでやってる葬儀屋でした。
 紳士服販売していた夏に私は祖父を亡くし葬儀を行ったのですが、その時葬儀なら興味を持ち葬儀屋に就職してみようと思ったのです。
 そこの事務所はズダボロのプレハブで、葬儀場も少し大きめの家を改造した感じでした。大丈夫かな?とは思いましたが、葬儀屋自体は面白いものでした。最初に見たご遺体も綺麗だったから抵抗はありませんでした。しかしその時まだ色々分からない事だらけてわしたが、部長は葬儀に関してはど素人で、葬儀に関する事は教えて貰えず、ただお手伝いばかりしていました。そして会長の悪口をこの部長と社長にずっと洗脳され続け、会長は悪い人なんだと思っていました。
その会社たまーにおかしな人達が来るのです。どんなおかしさかと言うと、イカツイアメ車で会社に乗り付け、明らかに普通では無い人が2人組できて、
「社長はおるかー」
てな感じで事務所に入ってきます。その時事務所にいるものは社長によって追い出されます。
 社長がどうも、普通では無い所からお金を借りていてその返済の為に普通では無い人達が来ていたようです。
 そして世話好きなおばさん社長と部長は「デキとる」と言って来ました。そのおばさんの話によると部長は社長の自宅によく行っていると言うのです。まぁ私にはどうでもいい事でした。
 この時私は2回連続で2週間程入院してしまいました。
 喘息の悪化と、自病の発作が出てしまいました。退院後世話好きのおばさんから社長が私の悪口言ってると言われました。それまで私につきっきりだった部長が急に私から離れて何の指示もしなくなったのです。そして初めて社長と部長はデキて私を良く思っていないんだなという信憑性が取れました。その後世話好きなおばさんが別の葬儀屋を紹介してくれてそこを去ることになりました。

 

会社倒産その6

2021-01-21 04:59:00 | 日記
12日の続きです。

一通り社長と弁護士さんの話が終わり、後は中退共の書類(退職金)や、雇用保険等受け取りました。離職票は後日社労士から送ってくるという事ですが、うちの契約してる社労士なんかできないヤツなんですよね。
前に手続き用の個人情報の入った申請書を本社の駐車場に落として行ったりする、髪の毛は油ぎって汚い等ありまして、手続きに関しても後から後からこの書類が足りないとか言ってくる。絶対離職票遅くなるよと思いつつ、後処理を待っていました。
この時本社は12日を持って全員解雇ですが、倒産の通知を送る15日までは倒産がバレないように本社通いの人は本社に出勤するという事でした。
また、本社の赤字でない部門は知り合いの会社に譲渡予定らしく、そこの社長が面談に来ていました。ただそこの社長もかなりクセの強い社長で、会社用の塾?宗教?ポイの受けていて、毎月社員に感想文提出させたり、社員を社会保険に入れないを自慢したりする方でした。勿論私はその面談は関係ないのでした。

私は再就職には厳しい年齢で、再就職しても今と同じ給料を貰えるませんし、また子供が小さく退職後もある程度働かないとダメなので、どうにかしないとダメだという事は考えてました。

今の世の中働きにくくないですか??

働いても毎年健康保険だけ上がって給料上がらない事や、私のように会社が倒産したりします。また、AIの発達によって仕事の効率があがり働き手が少なくて済み、AIの自動運転も取りいられようとしています。それに伴い配達もドローンを導入しようとされます。今スーパーやドラッグストアのレジもセルフもしくはセミセルフ、一部店では電子マネーを持っていれば、商品を取り店から出ると勝手に決済されてしまいます。

これって誰得ですか??

今の世の中誰得ですか??

一部の経営者得ですよね。

今働く事についてめちゃくちゃ不安で仕方ありません。もうすぐしたら労働者がいらない世の中が到来するのです。(ゲームでデトロイトてありましたね。アンドロイドが仕事を行い人は職を失いうという・・・。)

私は独立しなければならないと思っていました。

今回の倒産はいい機会だと思うようにしています。
少し私の予定が早まったという事なのです。

高齢で店長もキツいですし、上に上がる(というよりも、給料上がるための)ポストはなく、このままいられないとも思っていました。また上司の保守的な方針により、ライバル店に先を越されると追いつく事ができず、差が開くばかりでした。店長の移動も無いため、立地がよく、売れる店舗はボーナスにプラス(勿論私の店は売上悪いです。家賃だけでも他の店に比べても約1.5〜2倍と高く、周辺地域のマーケティングも行わず需要があるとかないとか関係なく店を作る事を行っていたためダメな店舗に仕上がってしまいました。)などという謎のシステムが出来上がり、手詰まり感がありました。

そして私は前に今の上司(もう上司でもないですけどね)に嵌められて、社長や常務に、会社に対して反乱を起こす人物の1人と思われていました。

少し前に見た本で、’夢をかなえるゾウ'というのに、「自分を追い込め!」と書いてあり、不本意ながらも追い込まれたわけです。

本当に不本意ですが、追い込まれてしまいました・・・。


会社倒産その5

2021-01-19 05:38:00 | 日記
12日の続きです。

本社に入り、おはなしがあるのを待っていました。それまでは皆さんに挨拶を行いましたが、もうなんか皆んな目が死んでいました。

その後、社長と男性2人入ってきました。
弁護士さんでした。

まず社長から弁護士に相談した経緯、倒産という決断に至る経緯を話されました。倒産の時の負債の金額は4億超えだそうです。

今倒産すれば従業員全員の給料はなんとか出来る事がポイントだったようです。まだ給与出るだけいいです。倒産時に給与出ないなんてザラでしょう。

そして弁護士さんから今後の事について話されました。

①早めの給与振り込み(先に倒産とバレると銀行凍結され給与が払えなくなる)

②業者、従業員、スタッフに対し倒産の通知。

③各店の荷物整理及びかぎの引き渡し

④裁判所へ倒産の申請

⑤債務確認と債権者集会を定期的に行う。そこで資産の売却状況などを報告する。

⑥資産売却が完了したら債権者の債権の割合によって分配する。

⑦ 上記が終わったら全て終了。

ザックリこんな感じでした。
おまけに社長は自己破産だそうです。
その際弁護士さんから倒産イコール即解雇という説明をされました。

解雇ということは、会社は通常一ヶ月前に解雇予告手当(1ヶ月分の給料)を出さなければいけないという事ですが、そこまで会社から出せないので、もし解雇予告手当が欲しいなら債権者として最終的に分配に加わらなければならないそうです。
勿論満額は貰えないでしょう。
その説明を弁護士さんがしていたのですが、こちらにしては
「ほら、労働債権手放した方が楽ですよ。面倒くさいですよ」
と言われてるようで複雑でした。

そして各店店長は13日か14日に鍵引き渡しを行うので立ち会って欲しいと言われました。その時いらないものを捨てたりするので手伝って欲しいそうです。
私はこれに違和感を覚えました。

また資産売却の際、店ごと売れるなら売る。その際そこで働いていた従業員は売却先が引き取るかましれないという事も言われました。
私の店は家賃が凄く高く、黒字経営は少し厳しいのでこれには該当しないし、もう歳なので雇ってくれる所もほぼないでしょう。期待なんかしちゃいません。

その後弁護士さんへの質問コーナーになったので私は質問したました。

ワイ「私達はいつまで社員なのでしょうか?」

弁「今日(12日)までです。」

それを聞き思わず言ってしまいました。

ワイ「ならば後日の店の整理というのは私達に義務はありませんよね?」

弁「・・・、はい、強制はできません。」

ワイ「わかりました。」

社員ではなくなった私は先に進まねばなりません。
それなのに。片付けなど過去に縛られたくありませんでした。

まぁ、でも周りからするとワイは冷たい、とか思われるのでしょうね。

でも、この倒産ある程度計画は前々からしてたようで、本社の別事業は譲渡、採算取れる店舗は売却の話は進めていたようです。
ただ倒産前に売却すると倒産が認めて貰えない場合もあるそうで、倒産後の店舗売却や事業譲渡になるそうです。

確かに社長の自己破産も大変でしょうが、行き先がある程度ある人もあるのに、私を含め放り出された者もいるのも事実。
現実は酷いです。

でも、それでも前に進むのです。
前に進まなければならないのです。

私はこの時この後何をするかは心に決めていました。