価値ある無価値を追い求め~ゲームプロモーション博物館~

VHS・DVD・各ゲーム機ソフトと様々な媒体にわたって存在した【PV】なる存在を追い求めて、ひっそり存在する場所。

●コラム『レアなプロモーションビデオとは何だろう?』 ~価値について考えてみよう~

2019-12-28 13:59:45 | その他

  ■レトロゲーム高騰化から考える価値感


世にわかりやすく物事の凄さ・大切さを伝えるための手段として、よく使われるのは”数字”ではないでしょうか?


昨今レトロゲームの高騰化が注目されています。「価格」という”数字”故、注目されやすくなります。ゲームになじみのある人にも無い人にも、誰にでもわかりやすく”レア”という概念が伝わるのです。(こういった例はゲームに限った話ではありませんが)

そしてこのレトロゲーム高騰化の話題があがると、よく見かける”説”のようなものが引っ付いてきます。
それは

『高いからといって、必ずしも万人にとって面白いモノとは限らない』説です。


よく言われる作品かも。私は大好きです!



これはとっても当たり前。その作品の感じ方は人それぞれなのですから。
しかしわざわざこんな当たり前すぎることが、言われてしまっている現状はなんとも悲しき事態ではないでしょうか?


そんな当たり前な事を言われようと、現在レアと謡われているゲームを買う人にも”理由”は当然ながら数多にあるのでしょう。





しかし、数多の中で1つだけ疑問を感じる”理由”がその中にあるとするならば・・・

 もし買う理由が「レアだから」だった場合です・・・ 





 ■レアを買うにも訳がある可能性 

以降お話する”レア”という概念はここでは、『市場価格が現在高い品物』と定義してお話します。

レアなゲームになるには、
「市場人気」「話題性」「希少性」など、一言でまとめれば「人気」になればレアになっている気がします。これ以上の市場の原理やらをここで語ろうとは思いません。




このレアなゲームをもしもわずか1つだけ、この「レアだから」なる理由で買ったとしても、様々なケースが想定されます。

たとえば・・・

「とあるハードをコレクションしていて、最後の数本がどうしてもレアだった」
「ある会社が作ったゲームのコレクションの頂点になるような作品がレアだった」
「単に面白そうだと思った」



先日話題になったレアソフト。

・・・など 「レアゲームを買う根本たる原因・理由・根拠」 とも言えるでしょうか、それがはっきりしているのであれば仕方ありません。むしろ応援したくなります。




しかし、最終目標が「レアだから」であり、そこで終わってしまっている人もいるのではないでしょうか。どうもそのような存在を感じたり、上記のように根本たる理由が表面的な発言からは見えにくい時があったりするのでしょう。



それ故に当たり前の考え『高いからと言って、面白いとは限らない』などと言われてしまっている、言う人はその行動を批判的に見ているのではないでしょうか?
(そもそも高くなった理由=面白いのみって考えて買う人って意外に多いのかも?ならばこのような発言がよく出てくるのも納得。)



「価格」は大事な価値の1つであることに違いはありません。この原則を誰しも否定はできません。
ここで言いたいのは、「価格という価値感のみで見ている人」がいる可能性がある。その価値感に頼っているのはどうも面白くはないと思ってしまうのです。。



 ■レアって何だ???オールレアであり、オールノーレアなプロモーションビデオ 



「価格という価値感のみで見ている人」

正直私の経験からでもわかる面も確かにあります。
とある作品が数百円で売っていたが購入せず。
→しかし数年後に高騰化。なんて例は最近では珍しくないかも知れませんね。

ここで感じた思いは、
「損得勘定」と「自分の価値感の無さ」

この2つでしょうか。
後々手放す際に少しでもお金になれば良いと思うこともあります。
また、なぜそこで気になったのにも関わらず、買わなかったのか。


結局、昔の私なのです。「価格という価値感のみで見ている人」というのは。


昔ということなので、今の私はそのときよりちょっとは変わったのではないかと自負しています。それはこの「プロモーションビデオ」を追い始めてからだと思います。



私がこの趣味を追い始めて、価値感が変わったと思われる理由を挙げていきます。

私はこれで変われた!(怪しさ満点風)







1つめ

 「ゲームプロモーションビデオ」はほとんど市場価格はありません。 
ほとんどと書いた訳は、プレゼントや人気作品系とかだとあったりはします。
「ぽっぷるメイル」「慶応遊撃隊活劇編」のプレゼントビデオは高額でとどまっている印象があります。






参照:駿河屋より
この時、ぽっぷる買取33,000円。慶応買取5,500円。ちゃんと市場価格があるのはこの2つくらいな気がする。




それでもほとんどのモノは「価格という価値感のみ」で見ることができないのです。

これが理由で悲しくなるときもあります。
手にいれるまで中身がわからないケースが多々あります。それもまた面白みの1つなのですがね。
そこそこなお値段が掛かったビデオを見てみると、なんと全長1分。まあショックでしたね。
あと上書きされている時。これはもう仕方ありません・・・


しかし、嬉しいことも当然多くあります。
画質が標準で残されているので当時のCMがキレイに残っていることが多かったりします。
また開発者の姿・声が見れたり、当時の風景が生生しく見れたり。
未発売ソフトの情報がさらりと載っているとまあ嬉しいものです。


上記の例で上げた品々のどれも値段はバラバラ。上から下まで。
そんなのこそ、値段で見ていると出会いはなかったでしょう。



2つめ


そしてどれもかしこも、現存数は少ないです。 
当然ながら販促物、使用される期間は短く、役目が終わればもう意味は持ちません。捨てられる運命なのです。現存数が減ると、レア化しやすくなるのは世の摂理。
そう、数で言えばつまり「全てレア」なのですよ!
これもまた現存数というわかりやすい数を元にした価値感の1つなので、よくあるものですかね。

でもやはりここがちゃんとした市場が無いゆえなのですが、この世に残り1個であろうと100個であろうと、値段はしっかりとつかないでしょう。
どれも高いかも知れないし、安いかも知れない。

市場がないからこそ店頭などで販売した際、売り手側がすべて高値・もしくは安値に設定することもありえます。
いわば価格と言う価値感のみで見た際に、オールレア・オールノーレアになりうる可能性があります。

しかし現実では、

現存数では少なくても、価格ではノーレアかも
現存数では多くても、価格ではレアかも。 


現存数という数の根拠でさえ、あてにならずその価値を決めるのは自分なのです。 


3つめ

実はこの現存数についてもどこからが多いか、少ないかもはっきりしません。
現存数は少ないとは確かに思いますが、その裏づけもなければ根拠もありません。
私が思っているよりも、残っている可能性だってあります。
数年の間に2~3度同じタイトルのプロモーションビデオを見ると、残ってる方かな?と考えてしまいます。過去に見た回数が1本だけなら少ないが、3本ならば多いとも感じてしまう不思議な世界。多い・少ないという数の根拠でさえ、自分の判断にゆだねられているのです。 


つまるところ、数やら価格やらの価値感ですら頼りにならず、すべては自分に委ねられている趣味なのです。 



 ■つまり何がいいたいのさ? 


私のブログのタイトルでも使っている『価値ある無価値』
この考え方の言い換えは様々にできると思いますが、このコラムではこう解釈したいと思います。

「自分の面白さに正直に生きよう」  

レアなので価格がいくら、世に何個しかない、世では好評・不評。
そんな世の中の価値感にとらわれすぎると、出会いを減らし、面白さを減少させると思っています。

◎ここで勘違いして欲しくないのは、こういった「レアだから買う」という価値感のみでいる人を否定するわけではありません。
それが「自分で考えた故の理由」であれば全く問題ないわけです。
自分で考えた面白い根拠がそこにあったのですから。


しかし誰かの、もしくは世の中からただ価値感を持ち込んでその行動をしているならば、もっと面白いものがあるよと言いたいだけなのです。
それは自分に隠れているはずです。価格が安い、いつでも手に入れられる、不評等々だったとしても、自分は気になる時は正直になると面白いものです。


一度

安い、いつでも手に入る、不評、

な評価のソフトを買って遊んでみましょう。


その理由に納得すれば「なんて自分は変わったものに惹かれることができるんだろう!」と褒めてみましょう。

その理由に納得できなければ「なぜなんだろう!?世の中変わっているな、自分も変わっているけど!」と褒めてみましょう。

世の価値感と自分の価値感を照らし合わせる機会は毎日のように訪れますし、同時に興味のないものは避ける事も増えているのも事実。
いつもなら避ける機会をたまにはあえてぶつかってみたら面白い・・・かも




このコラムを書くにあたって、「価格という価値感のみで見ている人」がどの業界にもいる、ないし増えている可能性があるということを前提に書きました。
この前提自体がずれている可能性も十分ありますし、そんな人が大勢にあって欲しくありません。

こんな長々と書いておいて、その前提が間違いであることが最良の結果をもたらす。そんなコラムだったのです。


なんにせよ、これだけははっきりと言えるわけです。



どこにでもあるはずです、自分の面白さが、自分という面白さが。

2019-12-08 16:21:23 | VHS・PS2


あの”スパイク”と”アクワイア”が手を組んだソフトといえば・・・

  『侍』  


先にちょっと本編とは別の話をさせていただきます・・・

●「PV」の使われ方● 


ゲーム業界と同じくらい「PV」を大事にし、宣伝方法として頻繁に使っている業界としてあるのが音楽業界ではないでしょうか?


ミュージシャンの新曲紹介等で製作されることが多い「PV」。
音楽シーンにおいての「PV」には、芸術性が付与されることがよくあります。
いえ、むしろほとんどのミュージシャンはその「PV」も1つの作品にしようと、あらかじめ考えて製作しているように思えます。



つまり「PV」そのものも、1つの作品として見て欲しいと思っている人が多くいる。
そしてゲーム業界にそんな人がいてもおかしくはなかった・・・


さて、ゲームの販促ではなく1つの映像作品として見てもらいたいのが、この「侍」のPVなのです。


はじめて視聴した際には、別の映像が上書きされてるのかと思いました・・・笑

でもたま~に上書きされて、見たかったPVが残ってなかったりするんですよ・・・(実話)この話題はまた今度にでも・・・






さて、ここからPVの紹介です。
まあ確かに侍っぽいと言えばそうなのですがー・・・










和に混じったサイバーパンクな格好をした女子高生が、刀を持って佇む。(見えにくいけど)



電線だらけで動きにくそう・・・



不可思議なゴーグルらしきものをつけてユラユラと動く・・・




と、突然どこかの世界にダイブイン!!





下町へとダイブしたらしい・・・
あちこちの路地を駆け回るように。






他社製品が写りこみすぎていませんか!?
と、どうやら本当にそこらの街中で撮影をしているのがこのシーンでわかります笑




多様なコトバに包まれる女子高生。



そのまま下町の世界に女子高生が入り込む。




神社で携帯を出したかと思えば、



何かの番号を打ち込んでアンテナを伸ばし・・・




あらま日本刀に変身!!








キャラのカットがセリフと共に入る。








敵が登場すると刀を振り始める女子高生



切られる・・・







最後に正面に向かって刀を振り下ろし、






自分が切られて






おわり・・・







結局ゲームの中身はさっぱりわからずじまいじゃないかー・・・








と、思ったらちゃんと後半部分があったり。




平成13年の中目黒・・・

アクワイアの遠藤社長がスパイクに突撃!!




ナレーションがここから始まります。前半はテクノな音楽が流れてました。



「デコトラ伝説シリーズや、コリンマクラーレシリーズ、ファイヤープロレスリングなどでセンスの光るこだわりの作品を世に送り出してきたスパイクと、」




「天誅シリーズではゲーム性とグラフィックで、高いクオリティの作品づくりを証明したアクワイア。その両者が満を持して発売する新感覚アドベンチャーゲーム、侍。」








「プレイヤーが遭遇する事件は同じ時刻にあちらこちらで起こります。プレイヤーの選択が、ものがたりに反映されるさまざまな結末に導き出すのです。」






あとはキャラ作りの多様性、戦闘システムの豊富さの解説。
やはりこの自由感を売りにした作品だったのでしょうね。





「このようにマルチシナリオシステムにより、プレイヤーは主演はおろか演出までも手がけ、まるで一本の映画を創作する興奮を覚えることでしょう。」





と、前半は不思議な
いえ、見方を変えれば「PVらしいPV」があって、後半は普通に紹介系のPVでまとめられたビデオでした。


正直ゲームのPVでこういった芸術性を重要視したPVって少ないんですよね。
ゲームだって創作作品と言えるのに、わかりやすい紹介系がメインになってしまう。確かに前半部分だけだと何のゲームだかわからないから、わかりやすさが大事なのは納得といえば納得なのですがね・・・
そんな中でスパイク・アクワイア作品の自由感が、実はPVからも見て取れるのではないのでしょうか?


PVとは何か、販促のあり方とは、そんなことを考えさせてくれるすばらしいプロモーションビデオでした!!