ガンバレ!ベンツ君

『ガンバレ!ベンツ君』へようこそ!
大したことは書いていませんが、楽しんでいってください!

水城から太宰府政庁

2011年02月06日 | 九州よかとこ
ども!こんばんは!
さてさて、昨日のことですが福岡方面から帰ってくる途中。
どうせなら普段行かないところに行ってみようということで、
水城と太宰府政庁を見学してきました。

さて最初は水城です。
ことの起こりは663年のこと…1350年も前か…
場所は朝鮮半島で行われました「白村江の戦い」
百済・倭(日本)の連合軍と唐・新羅の連合軍が、
朝鮮半島にあります白村江で合戦を行いました。
結果は百済・倭連合軍の大敗!
倭の軍は命からがら逃げ帰ったのです。

この結果、なんとなく国家だった倭国は日本へと大きく形を変えることになっていくのです。

で、その時、こっちが攻めるぐらいですから、向こうから攻められることだってあるだろう!
ということで太宰府を守るために作られた土塁(土盛り)が水城です。

で、実際に現存しているのがどのぐらいの規模かといいますと、遠くから撮ってみました。

手前に車がありますので比較しやすいでしょうか。近づいてみました。

トラックと比較できます。そして奥には小屋があります。
そして、こちらが北側の絵です。

これは南側の絵です。

南側の土塁に近づいてみました。

この写真で僕の立ってるところから上まで4メートルぐらいあります。
高さ的には一番下からだと10メートルぐらいだと思います。
この土塁の北と南には壕があったそうです。
で、土塁のそばから九州自動車道を撮ってみると、

微妙に手ぶれしててすみません。まずは高速道路とほぼ同じ高さであることに気付くと思います。
そして、高速道路の向こう側には同じように鬱そうとした木々が見えます。
そこに近づいた訳ではありませんが、おそらく土塁の名残ではないかと思われます。
Wikipediaによりますと、高さ10m強、幅80m、長さ1.2kmとありますので、結構なものだと思います。
おそらく万里の長城のぼろいところよりは遙かに立派な土塁だと思われます。
(万里の長城でも有名なところは石造りですが、全線がそうではありません。土塁部分もあります)
意外と見応えがありました。

余談ですが、水城は北から攻めてくる大陸からの脅威に対しての土塁ですが、
南側にも土塁があるんですよ。
場所は我が町「久留米」
その名も…上津土塁!めっちゃ小規模でしか残ってません。

さて、水城を後にしまして、太宰府政庁へ!
古くは外国と言えば、大陸もしくは朝鮮半島のこと(今でもか…)
で、太宰府は外交窓口として最高機関だったわけで、今で言えば外務省みたいなところ。(いいのかこの表現で)
ということで行ってきました!

広い!

とにかく広い!ひとつの建物というわけではありませんが、この広さはかなりの権威があったものと想像できます。
菅原道真公は本当に左遷だったのっか????ぐらいのことは思いますよ。


都督府と書いてあります。
中国的な都督と日本的な都督の意味は大きく異なります。
中国で都督というと将軍とか軍司令官とか言う意味ですが、
(レッドクリフでも都督という言葉がでてきたと思います)
日本では太宰府で一番偉い人という意味かな…まっ、偉い人ってことでは共通ですけど。

礎石のサイズから建物の巨大さが想像できます。
古い建物を見たときに礎石のサイズを覚えておくと、遺跡を見るときの参考になると思います。
東大寺とか比叡山なんて巨大な建物は柱の足下をよく見ましょう!

ということで、プチ歴史探訪の旅は終了です。
初めて行ったところばかりだし、歴史の裏を取りながらみてましたので
なかなか面白かったです。

ということで終了!

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
すげえ (吉永)
2011-02-06 22:55:46
 すごいですねえ。話には聞いていたけれど初めて見た。様子がよくわかります。
 いつかいってみようっと。
返信する
先生、こんばんは! (アキラ)
2011-02-07 00:32:16
こういうところですと、
iPhoneで情報を取りながら
見学するというのはとても有効ですね^_^;
社会科見学って有効な教育手段だと思いました!
返信する

コメントを投稿