根子岳山窓

(阿蘇住人の山行記です。)

阿蘇品坂 3月15日(月)

2021年03月15日 23時39分15秒 | 阿蘇山系

草の道・阿蘇品坂
(その昔、阿蘇品集落の人々が牛馬を引いて往還した、外輪山牧野への坂道)

令和3年3月15日 快晴

(行程) 阿蘇品坂登山口(発11:45)→五合目付近の広場(着12:30~昼食~発12:50)
             →外輪山頂部・牧野(着13:20)→市道出合(着13:30~発13:40)→
     外輪山側・阿蘇品坂入口(着13:50)→阿蘇品坂登山口(着15:00)

前回(2016.7.28日)登った時は、夏場で道は藪に閉ざされ、
登高を断念した思い出が残る。
草木が燃え出す前の「この時季」を見逃すと道探しに難儀する
だろうと思い、相棒の石ちゃんを誘って決行。

山行記には載せなかったが、3月10日・西湯浦集落の
草の道「岳ん戸坂」に挑でいた・・・
参考とする地図情報もなく入山したため、「草の道」は探し出せず
右往左往して難儀し、下山した。(写真)

今日の阿蘇品坂も確たる登山口の情報もなく、前回のル-トを辿ること
として石ちゃんの軽トラで阿蘇品の集落に入る。
「普門寺」沿いの山道に差し掛かつた所で
地元の老夫婦と出会い、
念のため阿蘇品坂について尋ねると、幸いにも尋ねた場所が
阿蘇品坂の入り口で、石畳みを指されて案内された。
親しみ感あふれる夫婦で
昔は、牛馬を引いて牧野まで登っていました・・・
奥様も登っておられたのですかと尋ねると
子供も連れて登っていました・・
道の模様を尋ねると
石畳みを過ぎた、先の道は分かりにくいかも、
鹿・猪が多か、年に一回は区役で手入れしている・・
とのことであった。

ここで、村人と出会わなかったら前回のル-トを辿り、
大変な事になって「岳ん戸坂」の二の舞を踏んでいたであろう・・・ 
そんな想いは一転して、
晴れ晴れとした気色で阿蘇品坂の石畳みに足を踏み入れた。

【草の道】
出典:「阿蘇草原キッズ・プロジェクト 草原環境学習基本プログラム」
からキャプチャー
https://www.aso-sougen.com/kyougikai/news/131015/008.pdf

【自宅近くの農道から確認】
左の山体には古閑坂・右の山体には大門坂が走る。

【阿蘇品坂登山口】
この曲がり角で村人と出会い、道を尋ねた。
よく見ると草の道を現わす石畳みがコンクリトの際から延びている。
前回は、これに気づかずコンクリト道を右に曲がって車を走らせた・・・
この位置は、普門寺 の寺標を左に見て通過し、
最上段に在る民家の塀際が左に見える。 

【入山から10分】
枯れ枝のしたは石畳みが続く

【鬱蒼とした杉林に苔生した石畳み】

【登路を振り返る】

【登路沿いの崖には、巨大溶岩群が座る】
このような状景が数か所に渡って立ち並ぶ・・・
まさにカルデラ壁を実感させられる貴重な雰囲気を体感する。

【工事名が記された標柱】
平成21年度阿蘇管内山地災害
総合減災対策治山事業火山地域第4号工事
平成21度の工事であるので
九州北部豪雨災害(平成24)・熊本地震(平成28)
にも耐えて景観が保全されている。

いにしえの集落の人々が汗で築いた、草の道の石畳みが
崩壊することもなく立派な形で残っている。
まさに阿蘇ジオパ-クに相応しい文化遺産と確信した。

【登山口から35分】
石畳みはまだまだ続く

【平坦な広場】
石畳みの登路はジグザクを繰り返しながら広場直下まで続いた。
林に囲まれた広場で昼食タイム。

【広場から延びる登路を北上する】
道幅も狭隘になり石畳みを見ることは無い

【樹木の間から阿蘇谷の田園が見える】

【道なりに歩くが、「草の道」では無いようである】
多分この道は流水で浸食された河床のようである・・・
この先からは、道を探し探しながら
杉・檜の植林帯の急斜面に付けられた踏み跡・獣道を辿り、
外輪山頂部に至る。
頂部からは稜線を西から東に水平移動して
牧野に出る。

【稜線上にある牧野への出口】

【牧野側から登路を振り返る】

【登路と牧野の境に在る看板】

【牧野ゲ-トからNTT無線塔が建っている丘陵を望む】

ここから復路にて

【遠景に根子岳を望む】
牧野ゲートから阿蘇品坂への入り口に戻る

【復路で登路を再確認する】
往路では気づか無かった、右への道を検証する。
「草の道」に相応しい道幅が山頂部に向かって延びている・・
従って、往路で辿った道は「草の道」では無かったのであろう。

【上記の分岐直下にチヨロチヨロ流れる水場あり】

【西国霊場 阿蘇15番札所 の寺標】

【普門寺(ふもんじ)本堂】

【堂幅】

登山を終えての考察 

1)藪化しているかっての「草の道」は入山する人も少なく
ネットによる登山情報も余り見当たらないのが現実のようである。
従って登山口探しも、下調べなく
前回の登山口に向かった次第であった。
村人と出会わなかったら
大きな「見当違いのル-ト」を歩く事となっていたであろう・・・
そのことを反省して帰宅後、時間をかけて地図等を調べた
その結果、「外輪山地形復元調査」なる貴重な資料も拝見
する事に至った。

2)これまで登った「草の道」の中で、「石畳み」が最も美しくいにしえの
名残を維持している坂では、なかったのではなかろうか・・・

【ハイカーズマップより】

Google マップより】
ル-ト図は私のイメージで作成

【自宅近くの農道から撮影】
ル-ト図はイメージで作成しているので正確ではない。

【阿蘇品坂登路図】
出典:「阿蘇山を眺めて暮らす自由人!> 外輪山地形復元調査」
からキャプチャ-
https://blog.goo.ne.jp/freedom_aso/e/615f5e67deae1c4630932e69ba4c6a71

Ж 参考にしたサイト
   阿蘇草原保全活動センター 草原情報館
   草の道 – 阿蘇草原写真館 (aso-sougencenter.jp)

(私が過去に歩いた「草の道」)
  2011.01.14 栗の木坂
  2011.02.22 三野坂
  2011.03.27 古閑坂
  2011.04.06 願成就坂
  2016.03.22 木落坂~片隅坂
  2016.07.07 古閑坂
  2016.07.28 阿蘇品坂・磐名木坂
⓼  2021.01.19 阿蘇北外輪山・兜岩
⑨  2021.01.31 九州自然歩道・外輪壁ル-ト
⑩  2021.02.09 阿蘇北外輪山・ようち坂

(2021.03.21 加筆)

コメント

北向山 2月24日(水)

2021年02月24日 23時18分09秒 | 阿蘇山系

北向山(796.50m)  
(山腹の古道「南郷往還」杉並木散策)

(行程) 俵山峠駐車場(発.10:50)→北向山頂上(着11:35)→南郷往還道分岐を越えて次なるピーク
    (着12:30~昼食~発12:50)→往還道杉並木散策(着13:00~発13:35)→
    北向山頂上(着14:50)→登山口下山(15:15)

北向山への山行は2015(平成27)年に登って、その翌年が
熊本地震(2016.4.16)であった。
地震直後(2016.5.15)に眺めた北向山は、稜線部からの崩落で
幾筋も地肌が剥き出しになり地震の恐ろしさを驚愕する
光景であった。(写真①写真②)

その後の北向山は熊本市内に行き交う時に「じっ‐と眺めて」
山行可能かどうかの様子見をするだけに終わっていた。(2017.9.1の写真.③)

地震から5年が経ち、
登路の地層も地固めされて来て、安定しているだろう・・・
危険は承知のうえでせめて一度は崩落現場を視ておきたい・・・
南郷往還道は何処まで辿れるか?
巨木の杉並木はどうなっているだろうか?
工事進行中の立野ダムや3月開通予定の新大阿蘇橋そして昨年10月に
開通した57号線等々の立野火口瀬全景を山の上から眺めたい・・・
そんな思いを込めて、
相棒の石ちゃんを誘って一路、南阿蘇から七曲峠を目指す。

   北向山(796m) の南郷往還道・杉並木散策(2021年2月24日)  2の1   

北向山(796m) の南郷往還道・杉並木散策(2021年2月24日)  2の2
【往還道の登路はここで消滅】

【南阿蘇やすらぎロード(七曲峠直下)からの展望】
左から烏帽子岳・御竈門山・夜峰山

【俵山峠登山口】

【北向山頂上直下の登路】 

【北向山頂上】 
正面が「北向谷」への取り付き

【山稜に亀裂が入っている頂上直下の登路】
亀裂は谷側と尾根上の二方向に走ってる。

【亀裂が入ってる箇所からの展望】 
眼下に観える「立野火口瀬」の全景と遠望に九重連山

【黒川に架かる新阿蘇大橋(2021年3月7日開通予定)】

【立野ダム(2022年完成予定)工事現場と思われる】 
ダムによらない治水ができるのでは・・・ 
(参考)布田川断層帯北向山断層
阿蘇カルデラ内まで延びているらしい・・・

【登路際から崩落し断崖絶壁となっている】

【稜線部から崩落し、散乱した岩石が深い谷底に流れている】

【尾根頂部・崩壊地の登路】

【切り立った断崖の谷筋をつくり谷底は視えない】

【昼食した場所を振り返る】 
狭い鞍部に在る「南郷谷への分岐」を通過して
更に戸下温泉方角に登り返し、最初のピーク広場で昼食。
昼食後、ここで折り返し南郷谷分岐に戻る。

【鞍部となっている南郷谷分岐
画面右(戸下温泉側)・左(北向山頂上方向) 
鞍部に走る窪みが南郷往還道となり
手前(南郷谷:南阿蘇村久木野)・正面(北向谷:大津町)

(考察)
頂上から北東に尾根を下り、南郷谷と北向谷の分岐点を
南郷谷分岐」と私が勝手につけた名前である
(登山資料を探しても地名の特定が無いので)が・・・
南郷往還を歩いた「いにしえ」の村人からすれば
一番高い標高に位置する峠道となっているので「南郷往還峠」と
称した方が昔の旅人には相応しいのかと思う次第であった。

そしてこの峠の窪みは
尾根上部を切土(きりど)した、切通し(きりどおし)の地形の形状と判断した。

ここから正面方向(北向谷)に進み、
往還道の杉並木を以下散策 ↓

【阿蘇北向谷原始林】

【登路から望む眼下の立野火口瀬】

【数鹿流ヶ滝(すがるがたき)】

【登路断絶で最後に愛でる杉並木】

【登路行止り】 
急峻な崩落で地すべり崩壊

【57号線立野から登路を振り返る】

【2015年地震前に登った時の写真と見比べる】
南郷往還路の杉並木がハッキリ見える。

登山を終えて

1)北向山7合目付近を東西に横断する古道「南郷往還」は
中央部分が完全に消滅し(地震による山崩れで)再びこの古道を 
完走することは永久に失われた。

2)北向山頂上から今回歩いた北東に下る尾根は、
地震による崩壊(樹林帯域が崩落)で北向谷側の展望が開け、
登路も明るく、見定めが効き、歩き易くなった。
加えて、登路沿いには測量用(行政の境界)と思われる赤テ-プが
頻繁に標してあるので明快な登路となっている。

【参考資料①】
北向山スギ等遺伝資源希少個体群保護林:九州森林管理局 (maff.go.jp) より抜粋
7合目付近には旧藩時代に植えられたスギの並木道があり、当時南郷谷から年貢米を運んだ史跡(南郷往還)といわれている。

【参考資料②】 
大津町役場HP より転載 
藩政時代、南郷往還は大津と阿蘇南郷谷を結ぶただ1本の重要な往還(道路)でした。 
鶴口(大津)から吐(引水)の東稲荷神社、吹田、大林を経て白川を渡り外牧神社横から南郷往還に入り北向山に続く急坂を東に登り、岩戸神社の崖山を通って北向山山頂近くを横切りながら、長陽、久木野(南阿蘇村)へ通じていました。
この往還を南郷の人々は、上納米を馬の背に上大津のお蔵まで運んでいました。

(2021.03.02 加筆)

コメント

阿蘇北外輪山・ようち坂 2月9日(火)

2021年02月09日 23時02分18秒 | 阿蘇山系

阿蘇北外輪山・ようち坂     
 (西湯浦集落から辿る「草の道」)

令和3年2月9日 快晴

(行程) 登山口(旧テレワ-クセンタ-発11:00)→三叉路(着11:45)→森林限界(着12:20)
           →展望岩(着12:30~昼食~発12:50)→外輪山縁(着13:18)→ミルクロ-ド(着13:30~発13:40)
           →外輪山縁(着13:50)→ロータリ-アクトの森・看板(着14:
30)→麓の民家(着15:00)
           →村人との立ち話(着15:18~発15:30)→登山口(着15:40)
                  *大まかな実歩行時間 (往路2時間・復路1時間40分)
 

前回歩いた九州自然歩道は、西小園集落から登る「草の道」
で あつたであろうと、想定(確信に近い)した。
其処で「坂の名前」を知ろうとネットで調べている中、
今度は湯浦集落から登る「夜討ち坂」という名前の草の道があることを
「九州地方環境事務所」のサイトでヒットした。

早速、相棒の石ちゃんを誘って風も無い好天気を狙って本日決行。

(参考資料)  「九州地方環境事務所」のサイトから抜粋  
(略)・・・阿蘇の谷内と北外輪山の草原をつなぐ
「草道(くさみち)」を歩きます。

昔、道路や車などが整備されていない頃、
草原から里へ草を運ぶために人力で道が造られ、
通称「草道」と呼ばれています。
今はほとんど使われることはありませんが、・・・(略)

【登山口に繋がる車道から仰ぐ】
「阿蘇ゆたっと村」手前の集落から、今日
どの頂に登り上げるのか 分からないままに山稜を撮影

【登山口】
旧テレワ-クセンタ-・下側の駐車場に駐車。
取付き口はセンタ-の東か西か迷ったが西側から出発。

【下山後、今日のル-トを確認(イメージ)】

【登り始めの登路】
踏み跡も安定しており道幅も「草の道」に相応しい雰囲気があり、
「夜討ち坂」ル-トに乗って歩いていたかと思っていたが
目印の赤テープは多方向に点々とし、踏み跡も分散して行く。
赤テ-プはどうやら作業用テープのようである・・・
段々と道は細り「草の道」で無い事に気づく、その後は
尾根筋を選んで北上して行く。

【出発から40分の登路】
ここまで幾つかの登路選定に、迷う場面にぶち当たったが、
常に尾根上を歩くこととした。
ここで小尾根は止まり、緩やかに鞍部に下る。

【突然と「夜討ち坂」に出合う】
(前画面の)尾根から鞍部に下り檜林の斜面を登り返すと、
突然と幅のある道が現れる。
明らかに「草の道」と分かる道である。
初めて出合った「夜討ち坂」・・・
疑心暗鬼に辿った今までの登路から解放され
喜びひとしおの安堵感を覚えた。

そこから数歩歩くとY字型の分岐となる。 
(裾野に下る2本とこれから北上して行く登路との三叉路)

【交差点からつづら折り気味に登って行く】

【草の道に付き物の「石垣造り」を確認】

【登路を振り返る】
まさに牛馬が通った、いにしえの情景が偲ばれる・・・

【落石が杉の大木をなぎ倒して登路を塞ぐ】
熊本地震(2016年・平成28))によるものと考えられる。

【巨岩の岩屋】
登路の崖側に座る巨岩で落石?
した二つの岩が
持ち合うような岩組

【登路は藪に覆われ通行不可】

【藪道を回避して杉林の急崖を直登】

【再び草の道に戻る】
回避した場所を上から眺めると
ヘアピンカ-プの草の道が窺えた。

【ここから森林限界を超える】
急勾配のカルデラ壁を辿る草の道となるが
見えるのはススキの藪・・・
草の道はどのように付けられているのだろうか ?
踏み跡は薄い・・・

【彼方此方(あちこち)と道を探すが】
草の道は、東方向に延び西に折り返す道であるという
イメージは持っていたが
東への道は酷い藪、仕方なく直登を試みるが
此れも崩壊地に突き当り見通しが立たない始末。
元の場所に引き返し、更に東方向にヤブゴキの連続・・・

【巨岩の岩頭で中食】
かっての村人もここで食をした事であろう・・・

【東方向に延びる水道管を発見】
森林限界付近から草の道らしき登路は踏まず、
藪の合い間に散見する岩を越えたりして行く中に
錆化した水道管が崖際に敷設あり・・・

【水道管はここで西方向に曲がる】
水道管の曲がり角の奥は谷になり行止り、
管は道際の道しるべらしくも思え、草の道の存在を確認。
(画面下側に、微かに見える石畳の上に管が視える)

【石垣づくりをまたまた発見】 
菅の曲がり角から西方向に足を進め
(もちろん藪・落石・崩壊地と闘いながら) 
崩壊した草の道を辿る。

【外輪山縁(カルデラ壁淵)に到着】

【登路を振り返る】
凄い冒険の草の道を歩いた
なぁ~・・・

【外輪山縁からミルクロ-ド側に進む】
地割れしている地面(熊本地震であろう ?)

【牧野の登路】

【ミルクロ-ド沿いに至る】

【夜討ち坂・ミルクロ-ド側入り口】

【ミルクロ-ド】
パトカ-の模型が見える

【広大な牧野が広がる】
かっての村人達はこの原野で草を刈り
牛馬の背に乗せ「夜討ち坂」を下ったであろう・・

ここから復路

【夜討ち坂へ下る】

 

阿蘇北外輪山・草の道「夜討ち坂」を辿る。

以下、下山路始末記 

復路は出来る限り草の道を忠実に辿って帰る気持ちでいたが、
先行をリードする相棒の石ちゃんは
草の道上端の東に延びる中間ぐらいの位置から
ススキの根っ子に掴まりながら滑るようにして
直滑降し始めた。(石ちゃんのいつものお得意パタ-ン)

結果的に、往路とは全く別の道を探りながらの最短距離
で麓に着く。
着地は出発した所の隣の集落であった。(笑)

【麓近くの登路で出合った標識】

【出発地と離れた隣の集落へ下山】
ここから西に歩くこと約30分で駐車場着

【道を尋ねた集落の人: 顔掲載了解済】
(草の道に関するお話を笑顔で説明された)
・熊本地震前までは夜討ち坂を区役で手入れしていた・・
・自分も夜討ち坂を登って「一駄六輪」の草刈をしていた
・西湯浦に「岳ん戸坂」・東湯浦に「○○坂」が在る。 

登山を終えて

初めての「夜討ち坂」散策であったが、登山道は熊本地震で相当崩壊した 
らしくその後の登山者も稀のようで藪化が深く進行していた。 
森林限界を越えた地点からの藪漕ぎは、悪戦苦闘の連続であった。

「夜討ち坂」最上端の登路では、 
いつ落石してもおかしくないような溶岩の塊が登路沿いの崖上に露出し、 
命の危険を感じる場面にも遭遇した。 
従って危険承知者以外の登山者には、お勧めするコ-スではありません。

ところで「風さん」から頂いた宿題(坂の名前の由来)は 
ネットサーフィンでヒットしたサイト 
(乙女の靴音>自然歩道を歩こう ~ようち坂~)によれば

「・・・阿蘇家と菊池家が端辺にて領土を分割することになり

阿蘇大明神は牛で外輪山を越える為に、この坂を夜明け前に出発した

(夜のうちに登ったのか、夜打ちを掛けたという意味なのか定かではない)

資料より抜粋・・・」

との記述がありました。

注) 端辺とはツームシ山付近の「端辺原野」と思われる(元の私見です)

(2021.02.17 加筆)

コメント (5)

九州自然歩道・外輪壁ル-ト 1月31日(日)

2021年01月31日 23時01分11秒 | 阿蘇山系

九州自然歩道・阿蘇北外輪山ル-ト
(内牧~ミルクロ-ド)

令和3年1月31日 快晴

(行程) 九州自然歩道登山口(発11:25)→最初の砂防ダム出合(着11:35)→
             尾根行止り(着12:50~昼食~発13:10)→道標(着13:25)→ロ-プ場(着14:00)→
    道標(着14:10)→渓谷の行止り:頂上ル-トへの分岐点
            (着14:15~周囲を散策~発14:30)→登山口へ下山(着15:40)
    *大まかな実歩行時間(往路2時間30分・復路1時間10分)

先日登った兜岩頂上から眺めた北側眼下の景観・・・
外輪山淵から外輪壁に流れ下る枯れ野と樹林帯の長いスロープが
山裾の集落まで続き、広大なパノラマが展開されていた。
その景観の中に九州自然歩道が走っていることは、
薄々は知ってはいたが余り気にかけていなかった。

ところが、兜岩に繋がる草の道の「坂の名前」をネットで
調べる中、下記の二つの地図(①②)をヒットし、
登山口が判明したので好天気を狙って本日決行。

九州自然歩道ポータル「ハイカーズマップ」

蛸鹿歳時記「兜岩展望台県道分岐-西小園集落 通行止め」

(参考資料)
九州地方環境事務所
九州自然歩道通行止区間詳細図(阿蘇・菊池渓谷探勝コ-ス)

平成28年熊本地震により熊本県阿蘇市及び菊池市の九州自然歩道の一部区間において、
落石等により通行ができない区間が発生しています。
通行できない区間は、別添の資料に示す区間で、復旧の目途はたっていませんので、
利用を控えてください。

湯浦川沿いの車道から仰ぐ】
どのようにして辿るか・・・心騒ぐ

【市道?  から離れ山道に入る】
西小園公民館を左に見て通過し、すぐに
「エバラポンプ」看板の工場の角から左折・・・
(この画像は帰宅後、Googleマップから切取る、往路では
九州自然歩道の道標は小さくて気づかなかった)

【途中の道標】

【九州自然歩道案内図・内牧~菊池渓谷コ-ス】
ここからミルクロ-ドまで3.3km

【左に取り付く、直進は砂防ダム工事現場】

【登路の入り口】
コンクリトの作業道を歩く

【左に自然歩道の標識を見て、杉林の緩やかな坂】

【コンクリト作業道の行止まり】
左下には砂防ダムの堰堤が見えるが登路らしき道は無い、
正面の杉林に入るが藪化して自然歩道が延びているとは
とても思え無い・・・
道探しに右往左往して「前の画像」の位置まで引き返す。
標識の対面側(右)の杉林に入るが踏み跡は無い・・・
自然歩道らしきものは探せないまま、
仕方なく兜岩方角を目指して小高い尾根へと足を運んだ

【踏み跡は無いが小尾根上を登高する】
杉林に踏み入ってから30分位の登路

【尾根上に座る巨大岩体】
柱状節理を帯びる巨岩を右に巻いて巨岩の岩頭で一休み・・・

【登り詰めた尾根の突端で行き止まり】
展望の無い杉林の登路から抜け、明るい落葉林の尾根広場に至る。
尾根の突端正面には岩崖山が聳え、ここで行止り。
ここで昼食

【尾根広場から眼下を眺める】
左下には原野が広がり、枯れ野の中に自然歩道らしき道が窺えた。
昼食後、急勾配の崖斜面を滑り下るようにして降りて行く・・・

【登路を振り返る】
正面の杉林帯の尾根が登路で落葉林帯で昼食してここに下る。
九州自然歩道が突然と現れた・・・
だと(妥当)すると
自然歩道は谷筋に走っていたのではなかろうか ?

【登路からの展望】

【内牧温泉街を望む】

【阿蘇谷の田園風景と大観峰、遠景に九重連山】

【道標に出合い、胸をなでおろす・・・】

【登路を振り返る、左下に堰堤】

【樹木の先で自然歩道は跡形も無く消滅】
ジグザクの登路を1回重ねただけで登路は無くなり、
荒れ野の急斜面が広がる・・・

【自然歩道らしき面影の道に駆け上がる】
ヤブゴキの急斜面には崩落した岩やイノシシが掘ったと思われる穴
そして熊苺の棘が歩みを止め、苦難の場面が続いた。

【登路から兜岩を仰ぐ】

【ロープ場】
枯れ野の行止りから谷筋に移動して
河道に重なる岩を踏んで遡上

【ロ-プ場を振返る】
溯上の先には、石畳みが延びていた

【九州自然歩道の道標】

【つづら折りに続く石畳みや石垣の景観】
この様な道づくりは兜岩直下で出合った景観と同じで
昔の「草の道」と思われる・・・

【板状節理の岩崖と苔生しの癒し景観】

【板状節理と氷柱】

【頂上直下の分岐路を左に辿る】
頂上への登路は右と思われるが・・・
藪漕ぎで疲れ果てた体力は復路のため残し、
頂上踏破(ここから20分は掛かるであろう)を断念して、
分岐路付近を散策。

【散策路から頂上と思われる場所を展望】

【疲れ果てた自身(苦笑)】

【荒れ野の下山路】
熊苺の棘・崩落岩・イノシシの穴に
足を取られ、転ぶこと相棒の石ちゃんも私も2~3回。
右下の堰堤までは難儀が続く・・・

【登路から兜岩を眺める】

【登山口まで後、15分の下山風景】

【無事下山】

【往路では気が付かなかった道標】
車道から低位置に設置されている。
多分、道路の嵩上げが在ったのであろう?・・・

(2021.02.07日 加筆)

コメント

阿蘇北外輪山・兜岩 1月19日(火)

2021年01月19日 22時01分15秒 | 阿蘇山系

阿蘇北外輪山・兜岩(950m)

令和3年1月19日 快晴

阿蘇地方は低温注意報(氷点下5~7度)が出ていて水道管
凍結が心配される昨日・今日であった。
寝る前に蛇口を開け、水の垂れ流しを行うことが我が家の凍結防止策である。
阿蘇の寒さが身に染みる・・・

そんな昨今であったが、
今朝は冬晴れの穏やかな陽光が射し、風も無い(絶好の山日和)。
寒さから、にわかに解放された心地になり、
山行気分が湧いて来た・・・

そんな折、相棒の石ちゃんから電話があり
「17日兜岩に行ってきた・新しい道(ル-ト)が出来ていた」
との話であった。

兜岩は2010年以来登っていないが、
その後の九州北部豪雨(2012 年・平成 24 )で土砂災害が発生し
立ち入り禁止の領域と聞いていたので入山から遠ざかっていた。

電話の話を聞いて、直ぐにでも登りたい気持ちに駆られ
「今から登ろう」と誘い即実行となった。

(行程) 兜岩登山口(発13:00)→兜岩(着14:05~発14:20)→登山口(着15:10)
    →田子山(着15:20~発15:25)

阿蘇北外輪山・兜岩からの展望 (令和3年1月19日)

【国道212号・内牧より兜岩を仰ぐ】

【兜岩登山口】
向ノ平集会所(阿蘇市西小園)横からコンクリトの山道を走り、
田子山公園駐車場の東屋を左前方に見て、右に分岐すると
突き当りが登山口駐車場となり取り付く。

登り口は過去(2010年)に登った時と同じであっが、
その後の展開は全く様変わりし新しいル-トが開拓されていた。
以前は谷筋(現在は砂防ダムが構築されている)を歩き、
兜岩岩峰基部付近の急斜面を登り上げ
その後に、ジクザクの道を辿った記憶が残っていたが・・・
今回の新しいル-トは
最初から安定した広い道をジグザクを重ねて緩やかに歩いて行く。
最近伐採したのであろう切り口が新しい・・・

【登山口から13分の登路】
目印の赤テ-プが各所に付いている。

【登路沿いに座す、一本の凄い岩】
巨大な長方の台形で圧倒的な存在感に
目を見張るものがあった。

【阿蘇五岳と岩との「バランス景観」が素晴らしい】

【カルデラ壁(外輪壁)の巨大岩塊に立つ】

【造形美あふれる一本の巨大岩塊】
滑らかな岩肌で色艶が美しい・・・

【岩頭からの眺望】

【ロープ場】
ジクザクの登路をショ-トカット
して再び本来のル-トに戻る。
このル-トでなぜか此処だけがロ-プ場・・・

【外輪壁(カルデラ壁)を辿る】

【昔の「草の道」が漂う登路】
石畳や石垣が頻繁に出現する、もしかして昔の牛馬道かも ?

【稜線直下の登り】

【稜線部に上がる】
左がミルクロ-ト゛の牧野へ、
兜岩へは右に進む。

【兜岩の山体】
稜線から張り出した尾根を伝って兜岩へと辿る。

【兜岩からの眺望】

【眼下の内牧温泉街】
中央に流れる川は「黒川」

【外輪壁の淵に見える溶岩層を一望】
遠景の山に涌蓋山(小国富士)が見える。

【阿蘇谷の田園風景と阿蘇五岳】

【兜岩からミルクロ-ド側の外輪山を望む】

復路で田子山公園に立ち寄る

【山頂標識の右奥遠景に兜岩が見える】

【兜岩をアップ】

【田子山山頂に整備された「そらふね桟橋」】

【名前(宙船・そらふね)に相応しい景観を堪能】
直ぐ近くまで、車で行けるので一度は必見の価値あり・・・

(登山を終えて)

今回、歩いたル-トは藪化した道を最近切り開いたような様子
(伐採の切り口が新しい)が伺える・・・
山腹斜面(外輪壁)をジグザクに登って行く緩やかな山道、
そして道幅の広さを考えると、もしかして昔の
「草の道」ではないかと思われた(確信した)。
もしそうだとしたらば「坂の名前」を知りたい・・・。
(後日、地元の人に尋ねることとする)

(草の道とは)
「阿蘇谷の集落と外輪山上の草原を結ぶ坂道で、人と牛馬が一体となって
草を運んだ石畳の坂道はふるさとの文化遺産と言えます。
外輪山上の草を放牧や採草で利用するには、
牛馬も人もこの急坂を越えなければならず、
道の維持管理は集落の大切な仕事でした。
北外輪山の崖を伝う坂道は阿蘇一の宮町だけでも25を数えます。」
[一の宮町史「草原と人々の営み」より転載】

(私が過去に歩いた「草の道」)
①  2011.01.14 栗の木坂
②  2011.02.22 三野坂
③  2011.03.27 古閑坂
④  2011.04.06 願成就坂
⑤  2016.03.22 木落坂~片隅坂
⑥  2016.07.07 古閑坂
⑦  2016.07.28 阿蘇品坂・磐名木坂
⓼  2020.04.10 願成就坂

(2021.01.24日 加筆)

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