根子岳山窓

(阿蘇住人の山行記です。)

阿蘇山野草展の開催について(お知らせ)

2014年04月12日 00時39分02秒 | インポート

              仙酔峡つつじ祭協賛・阿蘇山野草展の開催について          
            ( 
阿蘇山野草会による展示・即売 )

[ポスタ-は阿蘇市の観光パンフの一部分です]SJpg2_2      

・期日 5月3日(土)~10日(土)   
・場所  阿蘇神社境内

 ご観覧をお待ちしております。

   

  *「阿蘇山野草会」ブログ 
  

    *昨年の会場模様→阿蘇インタネット放送局より取材がありました
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(5/12追記) 多数のご来展ありがとうございました。
          来年もお待ちしております。

         ※阿蘇インタネット放送局(WEVTV-ASO )取材の映像です。
               平成26年阿蘇山野草展 ←(クリック)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

コメント

三国山 4月9日(水)

2014年04月09日 23時03分32秒 | インポート

                                   三国山 (みくにやま・994m)   

                          快晴
  *三国山への登山口 (宿ケ峰尾峠・やどがみねおとうげ) (Yahoo地図検索)

(アクセス)宮地(発6:45)→上津江町・オ-トポリス(着7:25)→酒呑童子山登山口(8:10)
         →(崖崩れで
通行遮断・引き返す)→中津江振興局を経て鯛生金山経由で
         宿ケ峰尾峠 (着9:10)         

(行程) 宿ヶ峰尾不動明王鳥居(発9:25)→三国山頂上(着10:15~
発10:20)→山口越
   (着10:45)→鬼の洞分岐→縦走路二つ目のピ-クで折り返す(着11:30)→
   奇岩の岩頭(着12:00~発12:35)→鬼の洞散策(着13:00~発13:25)→
      三国山頂上(着14:05~発14:15
)→宿ヶ峰尾不動明王鳥居(着14:50)
       
・・・・・復路は菊池経由で帰宅(着17:00)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〇八方ケ岳頂上から徹爺さんと眺めた三国山・国見山、その山名の魅力からしても
 いつかは「登りたい山の候補」として徹爺さんに伝えていた。
 うららかな好天日を狙って徹爺さんから電話の誘いがあり即決行となった。
〇登山口までの車の走行は徹爺さんが20年位前に走られた「上津江町・オ-トポリ
 ス」から入り、
酒呑童子山登山口が在る
「カシノキヅル峠」経由の最短距離を走ることとなった。
 天気も良し、ルンルン気分で峠道を上がるが酒呑童子山登山口を過ぎ50m位の先で
 崖崩れに出遭う。
 倒れていた立看板には「通行止め」と書かれている・・・。
 あぁ~やるせない!! せめて、峠入口にでも何らかの案内書きがあればよかった
 な・の・に・・・。
 そんな疲労感を登高意欲に気持ちを切り替えて、麓のフイッシングパ-クに戻
 り、R
387号線からR442号線に入り、鯛生金山を経て宿ヶ峰尾峠(県道9号線)に
 9時10分に着く。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

▼「宿ヶ峰尾不動明王」鳥居の横に駐車して、鳥居をくぐり参道を登り詰めると
不動明王が祀られたお堂に至る。
 登山口はお堂の右に道標があり、灌木林帯に入って行く。

[
酒呑童子山登山口を過ぎて100m位の地点で崖崩れ] [宿ヶ峰尾不動明王鳥居を潜って]

P1040675_editedP1040678_edited

 

 

 

 

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼緩やかな登路は雑木林の中に杉桧が混植する樹林帯で展望は無い。
 登路には、なぜか頻繁に倒木が道を塞ぐ、小ピ-クを踏んで
一旦は下がるが
直ぐに登り返しの強い傾斜が続く。
 稜線に上がると登路は右にカ-ブして痩せ尾根を快適に歩く。
 樹林越しに国見山方角への稜線が見え隠れする。
 露岩やロ-プ場を過ぎると正面に三国山頂上が見えてきた。

[急傾斜の登りが続く]       [山腹を登り上げ、痩せ尾根の稜線歩きに変わる]
P1040680_editedP1040681_edited

 

 

 

 

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼頂上は平らな小広場となり、一等三角点が建っていて肥後、豊後、筑後の三国の境界となっている。
 展望は八方ケ岳が近くに見えるが山体の全容は見えてはいない。
 休憩後、早々に国見山への縦走路に向かい、西方角に歩くこと5分位で肩らしき場所に至る。
 ここからの眺望は頂上以上のビュ-ポイトとなり、
八方ケ岳の特異な山容と遠望に鞍岳・高岳・根子岳が春霞の中に微かに確認出来た。

[三国山頂上]                  [縦走路の肩から八方ケ岳を望む]
P1040682_editedP1040685_edited

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼この肩から右下に急降下して、樹林帯の山腹を下り、鞍部から細い尾根を緩やかにアップダウンして稜線 最底部の鞍部となる山口越えに着く。
 更に、落ち葉の登路を踏み「鬼の洞」分岐を左に見過ごして緩やかに登って行く。
▼急登の露岩を踏み上がると岩稜のピ-クとなり、視界が一気に開け、眼下には山域の山並みが広がり三国山からの縦走路も望まれ、遠望には涌蓋山・阿蘇五岳・鞍岳の山姿も確認出来た。

[縦走路鞍部となる山口越え分岐]  [登り上げると一つ目のピ-クとなる岩稜に至る]
P1040688_edited_2P1040690_edited

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[岩稜からの展望:阿蘇五岳と鞍岳も見える]   [三国山からの縦走路を振り返る]
P1040692_editedP1040693_edited

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼更に痩せ尾根を西進すると直ぐに登路から直立してそそり立つ奇岩が現れ、奇岩の基部から天を仰ぐが見えるのは岩壁のみで、突端は視野に入らない程の大岩(岩峰)であった。
▼登路は奇岩の基部を捲いて、露岩の岩場を踏み緩やかに高度を上げて歩く。
 灌木の尾根道沿いには石楠花の木が目立つてきて、
花の時季には見栄えがする尾根歩きが楽しまられる だろうと思われた。
 奇岩から10分も歩くと 登路は平坦な落ち葉の道となり、前方には国見山が樹林の隙間から見える場所に 至った。
  ここから鞍部に下り 、登り返して国見山に至るのであるが、所要時間は片道1時間はかかるであろうと思われる・・・。
 帰宅時間を考慮して此処で国見山は断念することとした。(11:55)
▼折り返しして先ほどの奇岩の場所に戻ると・・・・。
 尾根筋から容易に奇岩(岩峰)の岩頭に辿れる岩場が延びており、
積み重なる岩塊を踏んで岩頭に立つことが出来た。
 素晴らしい・・・。まさに全方位の眺望(ただし国見山は縦走路上の樹林に遮られ見えなかった)でこの縦走路必見のポイントと確信した。
▼奇岩入口に映える枝ぶりの良い松の根元でランチタイムを取り景観を堪能し、復路で「鬼の洞」に立ち寄り、
 三国山頂上を再び踏んで2:50分に宿ケ峰尾峠に下山した。

[復路で岩頭に立った奇岩の、岩峰の基部]  [岩峰の岩頭に立つ・展望抜群]
P1040696_editedP1040703_edited

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[岩頭から八方ケ岳を望む]         [岩頭から釈迦岳・御前岳を望む]
P1040699_editedP1040706_edited

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[岩峰の岩頭を振り返る]             [鬼の洞入口を散策]
P1040711_editedP1040712_edited_2

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[三国山頂上にて:復路で撮影]     [峠直下の車道から最盛の山桜を味合う]
P1040722_edited_3P1040726_edited

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(2014/04/30 加筆)

コメント (2)

障子嶽~大津山②

2014年03月23日 23時57分00秒 | インポート

 障子嶽城跡(215m)~小原城跡(289m)~�摎嶽城跡(256m)    (単独) 
        (南関郷の城跡巡り里山トレッキングと古希同窓会)

(行程)①瓦屋敷・熊野神社入口(9:15)→障子嶽権現社の碑(9:20)      
    障子嶽城跡
(9:50)→中山分岐→小原城跡(10:45)→中山分岐→
    
林道出合(10:55)→大権現の碑(着11:25)→早馬神社(着11:40)→
        国道
443号・中山集落(11:45)~(国道を歩いて次なる大津山へ移動)
    
②大津山神社鳥居(12:10)→大津山頂上(12:45~発13:20)
    大津山神社(13:40)
② ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

〇中山集落から国道を歩いて約25分で次なる山、大津山の鳥居入口に着く。
 参道の左側の丘陵地が母校なる地、南関第一中学校の跡地である。
 現在は「南関町B&G海洋センタ-」が在るが、入口は往時を偲ぶ面影が残り、
 校庭に上がる坂道は当時のままの姿であった。

[大津山阿蘇神社の鳥居と大津山]  [参道左側の道が、昔し校庭に上がる坂道]
P1040637_editedP1040638_edited_3       

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〇ちなみに、母校である南関小学校の校歌は、北原白秋・作詞、山田耕作・作曲
 で 「翠したたる 大津山・・・」と詠まれている。
 その大津山は私がガキの頃、近所の仲間たちと「チャンバラごっこ」で駆け回
 った遊びの山でもあった。

     [南関小学校の校歌(昭和12年作)] (昭和30年に南関第一小学校に改称)
P1040805_editedPhoto_3 

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼故郷を離れて大津山に登るのは今回で2回目である。
 前回(2007/06/30)は北尾根登山口からの楽勝コ-ス(子供の頃には無かった
 ル-トで公園化された時に整備されたものと思われる) であったので、今回は
 昔から登っていた正面登山口から登ることとした。
▼楼門をくぐり、境内の風情のある景観を眺めながら石段を登り上げると大津山
 阿蘇神社の拝殿が鎮座する。
 拝殿の左側から斜め下に分かれる小道を辿ると「登山口6丁半」と刻まれた石
 柱の道標が目に入る。                    
[楼門 ]                       [正面登山口の道標]      
P1040641_editedP1040639_edited_2

 

 

 

 

 

 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

▼公園化された登路は迷うことなく道なりに登って行くと直ぐに明治神宮遥拝所
 の拝殿が鎮座する。
 眼下には南関盆地の中心部が展望できる開放的な境内広場となっていて、
  登路は境内を通り裏側へと進むが、山道であった昔の面影は全く消え去り、
 コンクリト製の丸木段が永延と頂上まで整備されていた。
 「子供の頃に駆け登った、あの道を・・・」という想いで来たのであるが、期待が
 外れて公園化された散策コ-スに様変わりしていた次第であった。
▼辿るル-トはおおかた昔のままで急傾斜の山腹をジグザクに登って行く。
 登路の両端は密植する椎・樫の自然林で急傾斜を付けて山腹の奥深くまで広
 がっていて、
 子供心で記憶した情景と樹木が加えた年輪をダブラセ、懐古しながらゆっくりと
 歩いた・・・。
▼山頂直下の「二の丸」付近は子供の頃「タ-ザンごつこ」で遊んだ思い出の場所である。
 立ち寄ろうと思い、足を運んだがブッシュ化していたので引き返して頂上に至っ
 た。
 
[山頂まで続いている遊歩道(頂上まで後100m)] [大津山(別名:舞鶴山)頂上]
P1040643_editedP1040644_edited

 

 

 

 

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼頂上には先客の二組の夫婦と大牟田から来られたお子さん連れの若い青年
 と出会う。
 頂上からの展望は、霞んで良くは見えなかったが先ほど歩いた障子嶽からの
 縦走路と、いずれ歩くであろう二城山までの稜線を眺めて堪能した。

[頂上から障子嶽~二城山の縦走路を望む]   [頂上から旧南関町と遠景の三池山]
P1040650_editedP1040651_edited

 

 

 

 

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[大牟田市からお出での愉快なお子さんと・・]   [藟嶽(つづらがだけ)城跡]
P1040646_editedP1040652_edited

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〇下山後は実家に戻る道すがら、昨夜、山鹿からの帰り道、電話で酒飲みに誘
 った(店が閉まっていたので不発・・) 高校・柔道部仲間の石原君宅に寄り旧交
 を温めた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
( 古希同窓会・3 月22日・玉名「ホテルしらさぎ」にて)

〇還暦同窓会(2005年2月・セキヤヒルズ・44名参加)以降、2回(2007年6月・
 2012年11月)の同窓会を重ね今回の古希同窓会となった。
 卒業生127名中35名が集まり、配付された卒業生名簿には逝去者が16名もい
 た。
 その中でも一週間前に亡くなったS君(元、役場勤務)の訃報を新聞欄で知った
 時は、私にとって大きなショックであった。
  なぜならば、高校卒業以来一度も顔お見ていなかった彼であるので、今回の
 「古希同窓会で会えるのでは・・・」という期待があったからである。
 田村正和に似た「彼の、あの笑顔を」見て、語り合いたかったのに・・・(合掌)。
〇学び舎を共にした小中9年間の追憶とその後歩いた人生の語りは、同窓生仲
 間であるからこそ忌憚なく話せる至福の時間である。
・中学野球部で人気者だったK君、癌を患い私の命はあと2年間ですと話す・・・。
・酪農家に嫁いだF子さん、2.000頭の牛を飼っている・・・。
・北原白秋の生誕地と同じ村の出のT子さん、まだ現役でタクシ-会社に勤務・・。
・クラス(クラス替えが無かった小学6年間)のガキ大将(苦笑)であったT君、
 関連子会社の社長まで登り上げ、退職後は料理教室に通い、家庭では炊事・
 茶碗洗いのすべてを自分がやって奥様孝行しているという・・・。
・高校教師であったS君、障子嶽~二城山縦走は展望の少ないル-トであるが
 郷土史跡との出合いがあるから皆に紹介して欲しいとの事、今は区長の仕事
 で忙しい・・・・。
 話す事は尽きない・・・あっという間の3時間で15時30分にお開きとなった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
P1040583_editedP1040578_edited

 

 

 

 

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[坂口ちゃんの挨拶で・・いざ、開宴!]   [山鹿温泉で同窓生が開くスナックに立ち寄る] 
P1040580_edited P1040577_edited_4 P1040590_edited_4                      

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(2014/04/30 加筆)

障子嶽~大津山 に戻る

コメント (2)

障子嶽~大津山① 3月23日(日)

2014年03月23日 23時54分37秒 | インポート

    障子嶽城跡(215m)~小原城跡(289m)~藟嶽城跡(256m)    (単独) 
        (南関郷の城跡巡り里山トレッキングと古希同窓会)       
                       快晴
       * 障子嶽登山口の地図  ←(Yahoo地図検索)
(行程)①瓦屋敷・熊野神社入口(9:15)→障子嶽権現社の碑(9:20)      
    障子嶽城跡
(9:50)→中山分岐→小原城跡(10:45)→中山分岐→
    
林道出合(10:55)→大権現の碑(着11:25)→早馬神社(着11:40)→
        国道
443号・中山集落(11:45)~(国道を歩いて次なる大津山へ移動)
    
②大津山神社鳥居(12:10)→大津山頂上(12:45~発13:20)
    大津山神社(13:40)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〇小中高と学び舎を共にした同窓生の島崎君(NPO法人A lifeなんかん」山登り 
 クラブ←動画YouTube
)から古里の山である「大津山から障子嶽そして二城山」 
 への「縦走路を整備した・・・」との話をかねてから聞いていたので実家に泊ま
 り、古希同窓会の翌日に登ることとした。
  昨夜の二次会の酒がまだ残っている状態であったが、今日登らなければ古
 希同窓会の思い出づくりとして後悔するだろうと思い、好天気に元気を貰い朝
 食後すぐに実家を出発した。
〇大津山も障子嶽もそれぞれに神社を配し、境内までは実家から歩いて10分
 で往ける、目と鼻の先の山である。
 子供の頃、大津山は「チャンバラごっこ」や「焚き物取り」、障子嶽は「メジロ落
 し」や「ヤマモモ採り」に夢中になってよく遊んだ故郷の山である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼今回のル-トは、二城山までの縦走路は距離(ヤフ-地図計測で大津山~二城山
 間の直線距離で約3.5km
)が長すぎるので、障子嶽から登り二城山までの凡そ1/3
 の距離に位置する善光寺山(別名、小原古城山)の小原城跡を踏み、中山集
 落に下り、そこから国道を歩いて大津山の正面登山口に取り付くこととした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[大津山~障子嶽~善光寺山~二城山までの縦走路]  [今回のトレッキングル-ト]

P1040661_editedjpgP1040660_editedjpg  

 


 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼障子嶽は別名「権現さん」で親しまれているが、町側から眺めるとその山姿が
 亀に似ていることから町方の人は「亀山」と呼んでいる人も多いようである。
 実家の法事の時、旦那寺である「真光寺」の住職に尋ねた際は「大津山の別
 名は舞鶴山であるので、隣の障子嶽は亀山と呼ばれているのでは・・・」
とのお話であった。

[実家の裏を流れる竜瀬川と大津山]   [今から登る障子嶽を仰ぐ]  
P1040592_editedP1040594_edited

 

 

 

 

 

 ①・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼実家の裏口から出て5分で瓦屋敷の熊野神社入口に着き、
ここから町道を離れ里道となる。
 「スタンプラリ-・難関突破十八社詣で」の「難関突破」と記された幟端を見て、
昔し辿った山道を歩くが、今は良く整備されている。 
[瓦屋敷・熊野神社入口]            [熊野神社(障子嶽権現社)参道]
P1040595_editedP1040598_edited

 

 

 

 

 


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼登山口は参道を登り詰め、熊野神社(障子嶽権現社)拝殿の左脇に建つ石碑
 の裏手が取付きとなる。
 登り口は明確な踏み跡が在るが直ぐに薄くなり、右方向に幾つかの踏み跡が
 延びているのでそれを辿るが藪化して消えていた。(ここは、紛れ易いポイント)
  私の子供の頃は、この方向にはミカン畑として開墾され始められていたが今
 は荒地の様であった。
▼登路は昔の山道を左斜めに進み、植林帯の緩やかな坂道を楮原(かごはら)集
 落側(北東)に進み、山腹を左に回り込む形で斜上して行く。
  右にカ-ブしてフラットになるとしばらくは水平移動の歩きとなり、登路右傾斜
 面の山腹の植生が雑木林へと変わっていく。
 進行方向の正面に杉と雑木の混交林が視える付近になると、直進方向(東)に
 も道らしきものが延びているが、ここは直進せずに方向を大きく変え、右(南)急
 斜面の山腹に付く踏み跡を辿って雑木林の中を直登気味に登って行く。
  障子嶽山頂部の北西の肩に上がると「二城山」への方向を標したラミネ-ト加
 工の案内が樹木に巻き付けられていた。
 此処までは、目印となるテ-プ等は気づかなかったので最初に出合った標識で
 、この標識は同窓会会場で縦走路地図を貰い、ル-ト説明をしてくれた島崎君 
 お手製の標識ということを聞いていた。

[障子嶽権現社の碑の裏手が取付き]  [急登を登り上げた障子嶽北西稜線に付けられた道標]
P1040600_editedP1040601_edited

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼山頂部は椎や樫の木・椿・ヤマモモ等の自然林に囲まれた細長い平坦地が北
 西から東方向に続いている。
 展望は無いが明るい快適な場所となっていて、子供の頃この場所で初夏には
 ヤマモモ採り、秋にはメジロ落しをして楽しんだ思い出の場所であり、焼き付い
 た子供心の遊びか懐かしく蘇えた次第であった・・・。
  古希にしてこの場所に来るとは「予想だに」しなかった事であり、島崎君から
 二城山への縦走路の紹介があったればこそ、この郷愁感を味合う喜びが出来
 たのであろう・・・・島崎君に感謝・感謝。

[快適な山頂部稜線(子供の頃「メジロ落し」をしていた場所)]     [障子嶽城跡]
P1040603_edited P1040604_edited_2

 

 

 

 

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼子供の頃には知る由もなかった「障子嶽城跡」を踏み、ここから先の地は子供
 の頃は恐ろしくて入れなかった未踏のル-トである。
 縦走路は、山頂部の平坦から幾つかの緩やかなアップダウンを繰り返す稜線
 歩きで、善光寺山(小原城跡)までは南進して行くこととなる。
  要所、要所に目印テ-プが捲いてあるのでテ-プを探しながら、道に迷うこと
 なく小原城跡に至った。
[ここは、左下に赤テ-プあり]      [展望は無いが快適な稜線を南進して行く]
P1040607_edited_2P1040612_edited_2

 

 

 

 

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼樹木に提げられた木板には「小原城跡」と記され、ラミネ-ト加工の遺構測量
 地図もある・・・。自分なりに城郭をイメ-ジして城跡を離れ、次なる目的地であ
 る中山集落への下山路を探した。
  中山集落に下る分岐が判らない・・・・・。
 小原城跡手前(障子嶽寄り)50m位の地点に分岐らしいテ-プは捲いてあったが
 標識は無い・・・。
 念のため、島崎君に電話を入れ「このテ-プ」が分岐であるかの確認を取った
 始末であった。(苦笑)
  島崎君からは中山集落に下らず、二城山の麓まで車で迎えに来るので二城
 山までの縦走を勧められたが昨夜の酒による体力低下と大津山にも登りたい
 という思いがあったので縦走突破は次回の楽しみに残すこととした。
[中山分岐:登路から右(西)に下っている]  [分岐から二城山側に進み、2分で小原城跡に至る]
P1040613_editedP1040614_edited

 

 

 

 

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼下山路もテ-プを頼りに下るが、尾根道の踏み跡はハッキリしていて迷うこと
 なく約10分で林道(福山~二城山線)に至った。
▼竹林を右に見ながら林道を下るが、それらしき中山集落への分岐が見当たら
 ない。
 引き戻って、林道上手を探したが分岐は見当たらない・・・・。
 再び、島崎君に電話して尋ねる。
 「林道を下り、右に入る竹林を見過ごして更に下ると、左側にブロック石垣の法
 面に付けられた階段を上がる・・・」との説明であった。
  分岐探しの浪費時間は15分位はあったろうと思われる。
[小原城跡 遺構測量図]            [林道出合:林道を下る]
P1040615_editedP1040618_edited

 

 

 

 

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼無事に林道から離れ、分岐となる階段を登り上げと尾根道のピ-クと思われ
 る閑寂な小広場となっていた。
  広場の最上部には「鵜戸大権現」と刻まれた石碑が祀られていた。
 年号は「文政」と刻まれているので江戸時代のものであろう、
歴史を感ずるひと時であった。
[林道から離れ、左の石段を上る]  [石段を上がると直ぐに大権現の碑と出合う]
P1040619_edited P1040620_edited

 

 

 

 

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[手水には「天保八年」と刻まれている] [金右衛門とか太郎左衛門とか・・時代が考証される・・・。]
P1040625_edited_4 P1040623_edited_5

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼登路はこの碑を背にして参道と思わせるような雰囲気のある尾根道を快適に
 下り、すぐに左にカ-プしながら谷筋に降りて行く。
  碑から10分位下り、涸れ沢を渉ると登路から少し離れた、左上に見えている
 お堂に立ち寄る。
 石碑には「早馬神社」と刻まれていた。
      ※帰宅後、調べたネット情報(千寿の楽しい歴史)では、
 「早馬(ハユマ)神社と呼び、牛馬の神様として信仰され、その源流は
 古代駅伝制の駅馬(ハユマ)にあると言われている」との記事が有った。
  
[大権現碑前から下る(参道と思わされるような道)]  [登路から視えるお堂(早馬神社)]
P1040626_edited P1040629_edited_2

 

 

 

 

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼早馬神社から約5分で、高速道路が並走する国道443号線・中山集落に
下山した。
[早馬神社と記されている]           [国道443号・中山集落に下山する]
P1040627_edited_2 P1040631_edited

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼中山集落から大津山へ向かう途中の、国道から眺めた大津山と障子嶽の景色
[国道・福山集落付近から                  [国道・古町集落から]
大津山(左)と障子嶽を望む]             障子嶽と歩いた稜線を振り返る]
P1040633_editedP1040634_edited

 

 

 

 

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 今回のこのル-トは、里山が連なる緩やかなアップダウンの稜線を歩いたが、
椎・樫が多く植生する森林の中の登路で展望は望めなかった。
 しかし、子供の頃は知らなかった城跡や歴史を感じさせられる重厚な石碑に出合い、
改めて郷土史に関心を抱く動機づけのトレッキングになったような気がした。
        ※帰宅後、ネット情報「城郭放浪記」で調べたら、
   「小原城の城主・小原鑑元が後に大津山城の城代となった・・・」
   との歴史を知り、小原城と大津山城の関わりが分かり感銘を受けた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(2014/04/29 加筆)

障子嶽~大津山 へ続く

コメント

木落牧野の野焼き 3月16日(日)

2014年03月16日 16時37分43秒 | インポート

          蹴落(けおとし) 木落(きおとし)牧野の野焼き (見物) 

          * 木落牧野への地図←(Yahoo地図検索) 

P1000596_edited(訂正) 「蹴落」というのは昔の呼称で、
     現在は「木落」との名称が正しいとの
     事。(市役所農政課にて3/17日確認済)

※右の記事は「阿蘇の七鼻」に関する資料 
  を市役所から入手した時のものです。
       (本日行われる野焼きの場所=像ケ鼻) → →
  関連記事は、
    「2012/03/29 松ケ鼻・遠見ケ鼻」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〇熊本は古来から「火の国」と呼ばれているが、まさに阿蘇の春は
               「阿蘇の大火文字焼き」や「阿蘇神社の火振り神事」の炎の祭典で始まる。
 中でも、農作業行事である野焼きの炎は
類を見ない圧巻さがある。(命の危険を伴うが・・・)
〇北外輪山の一斉野焼きは、3/2日の予定であったが気象条件で延期となり、
 南山(米塚方面)は3/9日に実施され、
北山は残雪のため更に延びて本日の予定となっていた。
 市役所の「お知らせ端末」で「予定通り実施します」との今朝の放送を聞いて、我
 が家を8時30分に出て過去に一度だけ見物したことがある像が鼻に向かった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
P1040431_edited_2P1040437_edited

 

 

 

 

 

P1040444_editedP1040446_edited

 

 

 

 

 

P1040449_edited P1040453_edited

 

 

 

 

 

P1040455_edited P1040478_edited

 

 

 

 

 

P1040489_edited P1040495_edited

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

コメント