根子岳山窓

(阿蘇住人の山行記です。)

小倉坂・キスミレ散策 4月2日(火)

2024年04月02日 23時16分39秒 | 阿蘇山系

小倉坂・キスミレ散策   

令和6年4月2日 晴れのち曇り

(行程) 大観の森(発10:20)→蛇の道→ミルクロード(着11:30)→扇谷展望所
    (着11:50~昼食~発12:30)→カルデラ縁突端の尾根に架かる吊り梯子
    →大観の森(着13:20)

<< 黄スミレのテレビニュ-ス >>
野焼きから一か月位でおおよそ咲き始める黄スミレであるので
そろそろかな?と気になる今日この頃であった。
夕方のテレビで「大観峰のキスミレが見頃を迎えている・・・」
とのニュースが流れていた。早速、相棒の石ちゃんに電話すると
彼もテレビを見ていた模様で明日、花散策決行となる。

<< 今日の目的地は >>
黄スミレの群生地は、北外輪山原野のあちらこちらに沢山在るが
山景観とキスミレ観賞を歩きながら楽しみ
併せて冒険心も味合うコ-スとして、
前年にも歩いた小倉坂(草の道)からミルクロ-ドに上がり、
扇谷展望所を経て、カルデラ壁に架かる吊り梯子で降下する
周回登山を選定した。

北外輪山・小倉坂の「蛇の道」

【満開の桜の先に根子岳と高岳: 大観の森の駐車場にて】
熊本市内より1週間以上遅れて咲くのが阿蘇の桜であるが
今年は熊本市内より早く咲いたようである。
(開花前の寒暖差が阿蘇は大きかったせいであろう・・・)
3/28日に車の買い替え(新車納入)で大津町の
桜並木通り(県道30号 大津~植木線) 通ったが
未だ蕾、宮地の駅前通りの桜は見頃を迎えていた。

【大観の森からスタート】
小倉坂(草の道)を辿り、正面の扇谷へと向かう
登路沿いにはポツポツとキスミレの花・・・

 

【野焼きの跡地に黄スミレの斜面が広がる】

【上の画像をアップで】

【扇谷の「蛇の道」】

【復路で下る、カルデラ壁に架かる吊り梯子とロープ】
扇谷からズームで撮影

 

【扇谷のカルデラ壁にて】

【蛇の道沿いの黄スミレ】

ここから、
ミルクロ-ドに上がり扇谷展望所に向かう。  ↓ 

【扇谷展望所から「蛇の道」を望む】

【蛇の道の先には大観峰が窺える】

 

【上の画像をアングルを変えて撮影】

【黄スミレと蛇の道】

【上の画像をアングルを変えて撮影】

扇谷展望所から離れ
ここから奥の展望所(扇谷展望所跡)に下る。↓ 

【春りんどう】

 

【奥の展望所からカルデラ壁側に流れ落ちる尾根筋】

【尾根末端からカルデラ壁に架かる吊り梯子で激降下】

【吊り梯子を振り返る】
鉄骨の吊り梯子は数箇所壊れているのでロ-プで安全確保

【カルデラ壁の激坂を下る】
野焼きの後の、今しか辿れないカルデラ壁の原野

 

【登路から眺める蛇の道】

【登路から眺める扇谷と蛇の道】

【登路沿いに咲く千本槍(センボンヤリ)】
緊張続きの激坂下りで視付けた癒しの花・・・

(過去の山行歴)
① 2023年03月05日 阿蘇北外輪山一斉野焼き(阿蘇市小倉の「大観の森」一帯)
② 2023年03月29日 扇谷 (阿蘇市小倉)・(野焼き後の原野歩きと草の道踏査)

(2024.04.11 加筆)

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東外輪山・いざり坂 4月9日(土)

2022年04月10日 18時27分02秒 | 阿蘇山系

草の道・いざり坂 
(その昔、北坂梨集落の人々が牛馬を引いて往還した、外輪山牧野への坂道)

令和4年4月9日 快晴

先輩宅の庭花を見に行った折り、先週登った「いざり坂」
の話(福寿草の群生地)をしたところ、先輩も其処を観たいという事となり
再び「いざり坂」の山行となった。

私にも二つの課題が残っていた
①いざり坂を登り詰め、牧野の末端(ミルクロ-ド側)を見届けていなかった事。
②牧野(一区牧場)入口に在るといういざり坂の馬頭観音を確認する事。・・・・
いざり坂にあった馬頭観音 – 阿蘇草原写真館 (aso-sougencenter.jp)

(行程)  登山口(発11:20)→外輪山山頂牧野(着12:30~昼食~発13:30)→
          ミルクロ-ド出合・酒仰場(着13:40)→牧野出口(発14:00)→登山口(着15:00)


いざり坂のル-ト(イメージ) Google マップ 

【外輪山山復を照らす山桜】
裾野の集落は三野・北坂梨集落・・・
「いざり坂」は右のピークとなる。

【石垣と石畳みが連続する草の道】
快適に歩く先輩・・・

【天高く彩る山桜】
赤みを帯びた若葉が極上の彩りを呈し、
何とも言えない美しいさである・・・
いづれも高木で天をあおいでの花見三昧。

【若葉が萌黄色の山桜】

【黄スミレ】

【花の名前は ?】

【ミルクロ-ド出合】
いざり坂を登り詰め、外輪山山頂部に広がる牧野の中を東進し
ミルクロ-ドに至る。(課題①修了)
課題②の「馬頭観音」は周囲を探すが見当たらない・・・
(帰宅後、更に調べると「一区牧場」はこの場所にあらずして
ミルクロ-ドを北進し1km先に位置していた)

ミルクロ-ド出合 Google マップ 

【復路で気づいた山桜・この山一番の高木】

下山後「円通禅寺」の芝桜を見学
今朝、自宅前で会った人(美ジョガー)から紹介され、帰路の途中立ち寄る。
ピンク一色で広い境内が染められ、見応え抜群の景観であった。

(2022.04.13日 加筆)

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阿蘇北外輪山の野焼き 3月6日(日)

2022年03月06日 22時53分35秒 | 阿蘇山系

阿蘇北外輪山の野焼き  
(草の道・狩尾坂の野焼き)

令和4年3月6日 快晴

(行程) 狩尾牧野(着13:30~野焼き見学~発15:30)

阿蘇の一斉野焼きは先週が「阿蘇五岳山麓」そして今日は朝6時、
阿蘇市のお知らせ端末から「北外輪山一帯」の野焼きが
本日実施されるとの放送が流れた。

一斉野焼きは、野焼き日和に(雨・風)合わせて再三順延されるのが
例年のパタ-ンであるが、今年は事無く予定通りに実施されることとなった。
今日は少々風が強い(予報では4~5 m/秒)ようであるが・・・

野焼きを観ないと阿蘇の寒い冬のから抜け出せないのが
私の気分である。
それなのに、なぜか昨年に限って見学していない(笑)

私の野焼き見学の定番は「像が鼻」であるが、
今年は昨年初めて登った草の道「狩尾坂」登り口手前に広がる
原野を見学することとした。
その狙いは、
原野から駆け上がる急峻な山肌を燃やす炎の光景である。
(山名は、たぶん「ボタ野・882m」であろう?)

阿蘇北外輪山の野焼き(草の道・狩尾坂) 2022年3月6日

【自宅裏路地から眺める野焼きの煙】
私が定番として野焼き見学をする像が鼻(左の煙)
火付けは9時に始まるので佳境に入る時間帯・・・
午前中に外輪山山頂部とその北側原野が焼かれ、
午後になると阿蘇谷側に移動して外輪壁側に火の手が上がる。
本日の見学場所は狩尾坂(外輪壁側)であるので
午後から自宅を出発

【溶岩岩の猿】
牧野入口(砂防ダム工事現場)に駐車して
「狩尾坂」に向かう牧野道から猿岩を眺める。

【炎を従えて阿蘇谷を眺める

【右の山斜面が狩尾坂ル-ト
正面ピ-クの山は、左半分が焼かれている。
(本日見学する場所の最上部にて)

【急峻な山裾に火が入る】

【森林限界線の野焼き】
風向きによっては、いつ起きてもおかしくない森林火災の恐れ

【移動してゆく野焼き隊】
外輪壁(カルデラ壁)を焼き尽くし、牧野側に火が入る

【火の手が速い】

【圧巻の野焼き風景】
本日期待していた通りの光景が燃え上がる。
山の稜線と山裾の原野から、炎がせめぎ合う。
(この山は、たぶん「ボタ野・882m」であろう?)

【牧野道そばに炎が舞う】

【炎から、逃げながらの撮影】
炎の向きが急遽変わり、熱風が迫る・・・

【燃え盛った火の跡を見つめる野焼き隊】

【煙り佇む山姿】
野焼き集団(狩尾一区)は退散するが残り火は燃え盛る。

見学を終えて 

野焼きは、阿蘇の春を告げる風物詩でもあるがその風物詩に付き物が
「山火事」と「サイレン」そして庭に舞い散る「燃え殻」・・・・

毎年のように鳴り響くサイレンは今年も例外ではなかった。
阿蘇市のお知らせ端末からは
消防団出動要請の放送が今年も繰り返され
「西湯浦」「古城地区 古閑牧野」
の山林火災の知らせが報じられた。

夕方のテレビでは
「野焼きによる全身やけどを負った・・・」とのニュース

牧野組合や野焼き支援ボランティアの人々の苦労は並々ならないものを感ずる。

ANNニュース)阿蘇市一の宮町の原野で午前11時半すぎ、
「火にあおられてけが人が出ている」と通報があった。
警察によるとけがをしたのは地元の男性2人でこのうち60代男性は
全身にやけどを負った。2人は野焼きの火付け役だったということだ。

(2022.03.18日 加筆)

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草の道・立山坂 2月28日(月)

2022年02月28日 22時34分28秒 | 阿蘇山系

草の道・立山坂 (たちやまざか) 
(その昔、手野集落の人々が牛馬を引いて往還した、外輪山牧野への坂道)

令和4年2月28日 快晴

市役所の広報誌(2021.9月号)で古城地区手野にある
「たるたんの滝」が紹介されていたので、
我が家の前を毎日ウォーキングされる顔なじみの方に(昔の古城村出身)
尋ねると立山坂の途中に在るとの事であった。
詳しく聞けば、立山坂はまさに、
いにしえの草の道であることが分かった。
立山坂の隣の集落からは平井坂という草の道が走り、そのまた東には
土井坂が在ることも教えて頂いた。

頻繁に発生(阿蘇26日16件)しているコロナ禍の中であるので、
今回は山友の石ちゃんは誘わず単独で立山坂を踏査することとした。

(行程) 手野集落(発10:55)→垂谷の滝(着11:20~11:25発)→Y字路分岐
    (着11:50~道探しに迷う~発12:00)→山の神(着12:20~発12:25)→
    やまなみハイウェイ・小柏演習林入口(着12:30)
              往路に戻り、脇道分岐(着12:35~道探しに迷う~発13:30)→
              山の神(着13:35)→垂谷の滝(着14:15)→手野集落駐車地(着14:45)     
    

【「たるたんの滝」案内板標柱】
Google マップよりキャプチャ

【西手野集落の急な坂道からスタート】
集落入口の農家に立ち寄り、駐車地を訪ねると
庭先で沢山の里芋を水洗いしておられた御婆様(93才)
「この庭でよれればどうぞ・・・」
心温まる言葉に感謝して駐車。

山裾の傾斜地に立ち並ぶ集落には
山水が各戸の軒先に引かれ、水音が快い・・・

【柔くて美味しそうな阿蘇高菜】
 石垣の段々畑には、広々とした美しい高菜畑の景観

【コンクリト道の山道】
集落から続くコンクリト道は、遊歩道のように整備されている。

【登路沿いに鎮座される馬頭観音
宝冠には馬の顔

【道標「たるたんの滝350m」】

【急勾配の道が続く】

【急坂を登り詰めると「お堂」が見える】

【滝の手前横に座す不動明王像】

【垂谷(たるたん)の滝】

【独特な岩肌を呈する垂谷の滝】

【本格的な山道に入る】
滝沿いに建つ「お堂」を左に巻いて裏側に回ると
安定した道に上がる。

【安定した道幅が谷間に延びている】

【谷間の道は、右下の涸れ沢を遡上する方向に延びる】

【石畳みの登路を振り返る】
谷間の道と涸れ沢が合わさつた場所となるが
地面には石畳跡が露出(流路に洗われて露出したのであろうか?)

【谷間から抜け尾根への分岐坂・どちらに進むか迷う】
三叉路にも視えるが、右下側にはこれまで歩いて来た谷間の
涸れ沢に下る踏み跡がある。
正面のY字路はコンクリト道で草の道としては相応しくない判断し
涸れ沢側に下る事を決断。

【涸れ沢の遡上は、この砂防ダムに遮られ引き戻る】
前の画像のY字路の左を選定して山復に延びる
コンクリトの作業道を道なりに歩く。

【山の神】
コンクリト道から外輪山上端に上がる草原の道沿いに鎮座する。

【「奉寄進大山」と刻まれている】
「奉寄進・きしんたてまつる」は分かるが「大山」は
何を意味するのか ?

【「文化4 丁年」文字が視えるが】
文化4年であれば、今から215年前の西暦1807年
明治元年から遡ると、約60年前となるが・・・

【山の神を過ぎて草原道から根子岳を振り返る】

【立山坂の終点地】
山の神から約5分で「やまなみハイウェイ」に至る。

【立山坂牧野入口と柏演習林入口が対面している】
Google マップよりキャプチャ

【「熊本県立阿蘇中央高等学校小柏演習林入口」の標柱】
昔の熊本県立阿蘇農業高等学校・小柏(おがしわ)演習林
林科の生徒が通った、思い出の地であろう・・・

【小柏演習林入口から九重連山を展望する】

ここから復路にて 

【やまなみハイウェイから離れて30m位の地点】
画面に走るこの道は、
①砂防ダム工事用の作業道と思われる節(ふし)があったので
かっての草の道を忠実に辿ろう思い、画面の右に進む。
②尾根上に延びる、幅のある道を下降して行くが、行先の果
ては尾根突端の切れ落ちた崖となり、
谷底には砂防ダムが視える。敢え無く引き返す。
③戻り道でも草の道らしき道筋を四方八歩探しながら歩く
が、突然と最初の入り口に戻っていた始末。
この間、一時間を道迷いに費やした。

【駐車した農家】
心温かい親切なおば様は、朝洗っいられた里芋を
家の中で整理されておられた。
「お茶を飲んでいきなっせ・・・」
と何度も勧められる。(感謝・感謝)

おば様(93才)のお話し
・「朝早く立山坂を登り、牧草を積んで帰った。 」
・「横断道路ができるまでは、この坂道が一番の近道
で産山村の学生はこの坂を歩いて通学」
・「阿蘇農学校小柏演習林に行き交う生徒で賑わっていた」

【地理院地図で登路のイメージを示す】

登路の概要 

集落からの山道には遊歩道(コンクリト)が整備され
30分位の急登を辿れば「垂谷(たるたん)の滝」に着く

滝を過ぎれば谷間を歩くこととなるが、
草の道と思われる道が沢沿いに延びる。
石畳みも遺り、古(いにしえ)の景観を醸し出している。

谷間を上がり、山復に至るとコンクリトの作業道が
外輪山山頂部まで続く。

どこの道のりが草の道であったのであろうか判別が
つかないままに
到達点の「やまなみハイウェイ」に着く。

(2022.03.12日 加筆)

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狩尾集落から登る草の道 12月15日(水)

2021年12月15日 22時26分55秒 | 阿蘇山系

阿蘇北外輪山「狩尾原野」に至る草の道 
(狩尾集落から北外輪山のカルデラ壁を辿る)

令和3年12月15日 快晴

庭作業(自宅の)ばかりでは、どうしても足腰にこわばりが生じて来る・・・
その解消法として「山に登る」ことが私しの対処方法である。(苦笑)

明日は風も無く快晴の予報・・
思い立ったら直ぐにでも行ける近くの山は、
外輪山の外輪壁を登る「草の道」である。

まだまだ未探索の草の道がたくさん残っている。
その一つでもある立山坂(古城集落)を探索(踏査)しょうと思い
相棒の石ちゃんに電話すると、兼ねて石ちゃんから聞いていた
「狩尾の草の道」の方を薦められ、行先変更とした。

狩尾のこの坂は、石ちゃんが子供の頃(中学・昭和29年)
「親父に連れられて牛を引いて登った・・・」との事であった。

(行程)  作業道(砂防ダム)路肩駐車地(発10:15)→涸れ沢渡渉(着11:00)→
    外輪山山頂部(着12:00~昼食・ミルクロ-ド散策)→
              「草の道」山頂部入口(発13:00)→駐車地(14:35)

【狩尾集落から山道への進入口 :復路で撮影】
砂防ダム作業道路が外輪山裾野の牧野まで延びている。

【上記場所をGoogle マップにてキャプチャ)】
斜め右のコンクリト道を走る。

【路肩に駐車してここからスタート】
バックには広大な阿蘇谷と阿蘇の噴煙を従えて歩く。
枯れ野の山肌か美しい・・・

【登路沿いにはモンキーロックの姿が観える
カルデラ壁に優しい顔出を出して、
阿蘇谷を眺めている溶岩の猿・・・

【牧野を登り詰め、浅い谷筋の右岸を遡上】

【涸れ沢を左岸に渡渉】
正面頭上には涸れ滝の流路跡が覗える。

【長いロープが張られている】
沢を渡渉後は藪と崩壊地が現れ、草の道として本来在るべき
九十九折りの道
からはずれて、九十九折を直登するようにして崖斜面を辿る。


この場面は、崖斜面をロ-プ伝いに上がり草の道に這い上がった所。

【安定した「草の道」を歩く】

【登路から、車で走った作業道を眼下に望む】
入山して、初めて開いた展望風景

【一枚岩の巨大な岩壁】
岩が醸し出すパワ-を貰い、疲れが吹っ飛ぶ (笑)・・・

【背後を振り返る】
最奥のピークはボタ野(882m)であろうか ?

【藪で塞がっている草の道】

【藪で塞がっている方向を振り返る】
右下の崖斜面から草の道に這い上がる。

【高度を上げながら草の道を進む】

【九十九折の草の道を振り返る】
外輪山縁まで後15分位の登路

【外輪山頂部の原野に出る】
登路の出口から眺める景色・・・
石ちゃんが子供(中学)の時、草刈に来ていた頃は、
この場所は水溜まりが広がり「あまつつみ(雨堤・天堤)」と呼んでいたとの事。

【原野の左方向にはミルクロ-ドが走る】

【ミルクロ-ド沿いに建つ頌徳碑(しょうとくひ)】
碑文の詳細は判読出来ないが「下戻原野の整理」等々が刻まれている。
建立日は「? ? 昭和3年」の文字は視える「? ?」が判読出来ない・・・
(12.22日訂正)→その後の調べで 「昭和丁卯 弐年」の文字が判読された。
発起人(5名)の中に石ちゃんの「親戚の人の名が刻まれている」と呟いていた・・・
寄付金の最高額は「一金三円」と記されている。

下戻」とは(私なりの調べでは)→「国有土地森林原野下戻(したもどし)法」
(いったん官林となった森林原野のうち証拠あるものは民有に返すことを定めた)

頌徳碑が建つている位置は・・・】
兜岩とラピユタの道の中間ぐらい
(Google マップよりキャプチャ)

【ミルクロ-ド沿いの外輪山縁から望むの景色】
記念碑からラピユタの道方向に10分位歩いたカルデラ縁

【狩尾の草の道に下る入口】
ミルクロ-ドから記念碑を経て牧野を歩き、来た道に戻る。

【この涸れ沢に苦難の下山】
ここからは復路での始末記 
下山口からしばらくは目印のテ-プが頻繁に巻いてあってスムーズに
歩いたが、8合面付近になると藪化と度々出合い「草の道」を失う。
先導する石ちゃんのお得意は直滑降で下ることである。
(石ちゃんの特技は承知であるが、本当は「草の道」を忠実に下りたい願望なり)
カヤに掴まり、尻もちを付きながら、熊苺の棘・カズラに足を取られ苦難の登路
着地目標地の「涸れ滝」から500m位下流の「涸れ沢」に無事着地。

【下山場所から今日の噴煙を望む】

【今日歩いたル-ト図 (イメージ)】
Google マップよりキャプチャ

【地理院地図からキャプチャ】
これは昔の登山道で現在は崩壊地と藪化で
登山者が歩くル-トとは異なっている(注意)

登山を終えて 

砂防ダム工事用の作業道がカルデラ壁付近まで延びていたので
駐車地から登山口までは軽い歩きで済んだが、
その後の登り坂は藪と崩壊地がたびたび現れる。
本来在るべき十九折りの「草の道」も途中、途中で消え、
余儀なく「草の道」からハズレて、
直登する場面もあり悪戦苦闘の歩きであった。

道標と思われる木標を数か所で見掛けたが、
すべて表示板は無くなっている始末であった。
(入山禁止の意を含んで、関係者が外したのであろうか?)

其れであっても、登路の趣きには「草の道」として、
いにしえを偲ぶ風情を充分楽しむことが出来た。

(草の道とは)
その昔、狩尾集落の人々が牛馬を引いて往還した、外輪山牧野への坂道

(2021.12.21 加筆)

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