根子岳山窓

(阿蘇住人の山行記です。)

阿蘇北外輪山花散策 4月28日(火)

2020年04月28日 23時31分27秒 | 阿蘇山系

阿蘇北外輪山花散策
(原野に咲くキスミレ・立金花・桜草の花園)

令和2年4月28日 快晴

かつて見た(2008年)、キスミレ(写真1写真2)の大群生地(像が鼻)
野焼き以来(今年の)、観察を続けているがその面影か全く現れて来ない・・・

今日を最後にその結末を見届けたい、
加えて、花園の立金花が最盛を迎えている頃と思い
コロナ自粛の期間であるが、あえて(人との出会いは、多分無いものと確信して)
花散策に出掛けることとした。

(行程) 自宅(発10:00)~像が鼻~原野のお花畑(着10:50~12:30)

【像が鼻直下の群生地】
像が鼻のキスミレ散策は2017.4.22日以来であるので、三年振りとなる。
今年の野焼き見学(3/21)は 像が鼻であったので、野焼き後の
キスミレ開花模様を蕾の顔出しから観察しょうと思い
野焼きの後、この地には3回(4/4・4/14・4/19)訪れたが
かつてのような華やかな群落を見ることは出来なかった。
何故なのか・・・
今年の野焼きが 例年になく ずれ込んだ為であろうか ?

【像が鼻から阿蘇五岳を望む】
牧野道を走行して次の目的地の花園へ向かう・・・

阿蘇北外輪山花散策・立金花 (2020.4.28)

【桜草】

【立金花】

【二輪草】

【立金花】
原野の窪地を蛇行して流れる小川に群生、
その光景が牧歌的で私の情感がたまらなく高揚・・・

【水辺の立金花】

  隣接する牧野に移動して更に散策  

阿蘇北外輪山花散策・桜草 (2020.4.28)

【キスミレ】

【桜草】

【背後に根子岳が現れる】
ここの牧野も窪地に流れる小川(涸れ沢)に沿うて群生・・
次々に花を追って上流に向かい、夢中で散策する。
ふと、背後を振り返ると根子岳の山姿・・・
こんなロケ-ションに出合うとは
意外な展開で感動そのものであった。

【キスミレ】

(散策を終えて)

コロナ自粛で気が咎める一日であったが、
人との出会いは案の定、全く無く、安堵した。
出合ったのは高原の 花(立金花)・花(桜草)・花(キスミレ)・花(二輪草)・・

昔を偲ぶ話であるが、
私が原野に咲く、立金花を初めて見た時の感動は、
今もなお忘れられない思い出として焼き付いている。
阿蘇原野に咲く山野草に魅入った原点は、
その情景から生まれたようである・・・(苦笑)

 今回散策した場所は、
その時の場所(現在は立入禁止の牧場となっている)
と比べると群落模様のスケール感は小さいが、
最盛期の花を愛でられ、コロナ自粛の中で大いなる癒しの散策となった。

(2020.5.21日 加筆 )

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東外輪山・願成就坂  4月10日(金)

2020年04月10日 22時31分50秒 | 阿蘇山系

東外輪山・願成就坂(がんじょうじゅさか)         
(その昔、坂梨集落の人々が牛馬を引いて往還した、外輪山上草原への坂道)

令和2年4月10日 晴

遅い阿蘇の春、阿蘇神社門前町の桜並木も満開の盛りは、
多分過ぎたであろう・・・。
コロナ自粛で街中での花見気分は、到底沸いてこない昨今である。
外輪山を眺めると山桜が四方八方の山肌(外輪壁)に淡い桜色が光り、
まさに「山笑う」景色が窺える・・・
その桜色に誘われ、自宅近くの「草の道」を歩き、
今年の花見気分を一人で味合おうと思い立った。

願成就坂は2回目(初回は2011.4.6) の歩きとなるが、
熊本地震(本震2016.4.16)後、初めてである。
坂(登路)は地震被災で相当荒れている事だろうと覚悟して登山口に取り付く。

(行程) 「願成就坂」入口(発10:25)→中腹の台地広場(着10:45~発10:55)→
   牧野ゲート(着11:20~牧野の丘陵散策~11:50発)→浄土寺牧公園駐車場(着12:30)

↑ [一の宮町史「草原と人々の営み」より転載]

【地理院地図】

【浄土寺牧公園に駐車】
登山口まで3分位 (画面の落葉木付近が取り付き点)

【願成就坂への取り付き点】(下山時で撮影)
以前来た時(2011年・平23)は登山口案内板
が建っていたのであるが、熊本地震(2016年・平28)
で消失したのであろうか・・・?
入口が少々藪化し竹笹が覆い被り、登路選定に不安感を覚える・・・

【登り始めの登路】
入口を過ぎれば直ぐに安定した登路に変わる。

【登路沿いの石仏】

【石畳みの坂道】
いにしえの雰囲気を感じさせる道となるが、
倒れた竹が道をふさぐ・・・

【登路に張り出した大岩=「荷つき岩」】
「朝草切り」をした草を牛に6輪背負わせて願成就坂を下ると
荷がこの岩に付くので「荷つき岩」と呼んでいた。
(一の宮町史「草原と人々の営み・坂つくり」より転載) 

【登路より山桜を望む】

【崩落した巨石が古道を塞ぐ】
熊本地震で左側の岩崖から崩落したものと思われる。

【中腹の台地広場・小尾根上から山桜を望む】
中腹の台地広場から右に張り出た小尾根上に座す
地蔵菩薩(男)と観音菩薩(女)を拝もうと小尾根を辿るが
二体の菩薩は跡形もなく消えて無くなっている。
たぶん、熊本地震で崩落したのであろう・・・

↑【中腹台地広場に座す石仏】
刻まれている文字は(判読した文字のみをピックアップ)
享保四 己亥矢
觀世音寺
  坂梨村中   

 

【外輪山上に登り上げる】
前回来たときは、荒れた草道であったが道幅も拡張整備され、
道路沿いの標柱には「24・25年度災害対策特別緊急事業~」
と記されているので平成24年・2012.7..12日の九州北部豪雨災害関連で
整備されたのであろう・・・

【前記の場所から「卯が鼻」を望む】
左眼下には、57号線「滝室坂」が見える。

【牧野への入り口】
整備された林道のY字路を右に歩き、牧野ゲートに入る。

【牧野ゲ-トからの登路を振り返る】
眼下は阿蘇谷と坂梨集落の一角

【根子岳・高岳を望む】
野焼きの後に現われた「牛馬道」の模様が素晴らしい・・・
野焼き直後だけに観られる彩りの景観

↑【丘陵から「波野」方面を望む】
左端には滝室坂の峠道が見える。

【満開の・・・浄土寺牧公園の桜】

【車窓から願成就坂の登路を振り返る】

 

(参考資料 :願成就坂に関する記事)
阿蘇ペディア>干し草小積み  (←阿蘇ペディアhp)
一部抜粋
とくに坂梨の願成就坂を登る日は大変。
宮地駅6時発波野行きの汽車が外輪山の願成就坂トンネルで汽笛を鳴らす時刻には、
既に坂を登り切っておかなければいけなかった」と、
当時の作業の厳しさを語っています。

(私が過去に歩いた「草の道」)
  2011.01.14 栗の木坂
  2011.02.22 三野坂
  2011.03.27 古閑坂
  2011.04.06 願成就坂
  2016.03.22 木落坂~片隅坂
  2016.07.07 古閑坂
  2016.07.28 阿蘇品坂・磐名木坂

(2020.5.16日 加筆)

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卯が鼻  4月4日(土)

2020年04月04日 23時53分36秒 | 阿蘇山系

卯が鼻(774m) 
(阿蘇福寿草散策)

令和2年4月4日 快晴

野焼き後の外輪山には花の群落地が数多く現れ、山野草の宝庫となる。
福寿草を始めにキスミレ・桜草・立金花・・・等々の花散策に事欠かない。

 今日の目的地は卯が鼻で過去(2009.4.2)に観た福寿草の群生地2か所
(卯が鼻への登路沿い ②馬場豆札牧場) が花の見頃と思い散策に出掛けた。

途中、経路を回り道して像が鼻のキスミレとミルクロ-ド沿いの
花園(立金花・桜草・キスミレ)を下見することとした。

(行程) (1)自宅(発10:00)~像が鼻~ミルクロ-ド沿いのお花畑(着10:50)
             (2) 卯が鼻登山口(発11:20)→卯が鼻頂上(着12:20~発12:45)→登山口(着13:40)
             (3)馬場・豆札牧場ゲート(発13:40)→福寿草群生地→馬場・豆札牧場ゲート(着14:15)

【これからドライブする像が鼻】
野焼き後のキスミレ開花状況を下見するため
「小嵐山」経由でドライブ。
遠景は「大観峰」

【「黒川」河川沿いの菜の花】

【野焼き一週間後の山肌】
野焼き跡の黒焦げの世界から、様変わりしつつある原野の風景色。

【水辺の立金花】
像が鼻を離れ、ドライブの途中でミルクロ-ド沿の
お花畑に立ち寄る。
立金花もキスミレも未だ咲き初めで花もまばら、
桜草は芽立ち始めの状態。


【キスミレ】

【牧野(車道)からの風景】
やまなみハイウェイ・城山展望所付近から
牧野を横断する市道に入り、馬場・豆札牧場側の
卯が鼻登山口に向かう途中からの展望。

 

【馬場・豆札牧場】
ここに駐車して、対面のミルクロ-ド沿いの
牧場ゲ-トを乗り越えて取り付く。

【卯ノ鼻頂上】

阿蘇北外輪山・卯の鼻 令和2年4月4日

【卯ノ鼻頂上からの展望】

【頂上直下に咲くコブシ】

【頂上に咲く福寿草】

【ハンググライダー】
卯が鼻山頂広場と並列する隣の高台がフライトエリアとして昨年オ-プンしたらしい。
福岡から三人で来られ、フライト順番待機中の一人の青年と出会う。
私の方から話しかけたのであるが、青年が私に近寄って来られたので
手を振ってセーブすると青年もコロナと悟り(密接・密集・密閉の三密)
暗黙の了解で対話・・・

【復路で望む阿蘇五岳】

下山後、馬場・豆札牧場の牧野に群生する
阿蘇 福寿草を鑑賞  

【今から咲き始める、阿蘇福寿草】
九州脊梁山地の福寿草は2月頃の雪の中で咲くが
阿蘇は、野焼き後に一斉に咲き出す特性がある。
品種は同じミチノクフクジュウソウ(陸奥福寿草)と思われるが
阿蘇の自然(野焼き)に適応した咲き方に進化したのであろうか ?
それ故に私は敢えて「阿蘇福寿草」と名付けている。

【遠景の稜線は九重連邦】

【自宅近くの農道から卯が鼻を振り返る】

(散策を終えて)

1)像が鼻のキスミレは野焼き後2週間となるが、
花はポツポツで群生地とは似つかない程のまばらの開花。
ミルクロ-ド沿いの花園に群生する立金花・桜草は
まだ先で今月末頃かと思われる・・・

2)今回の卯が鼻へのル-トは栗の木坂ル-トではなくて
ミルクロ-ドから取り付く「馬場・豆札牧場」ゲ-ト側から歩いた。

ル-トの中間位に位置する一つ目の福寿草群生地は
当時、幼木であった杉・檜が成長してかつての群落地に覆いかぶさり
(野焼きが行われない場所であるので・・)
過去の姿の群生は見られず、狭い範囲での生き残りの株だけを
散見する程度であった。(残念)

 3)最直近で登った卯が鼻は2016.3.12鉄爺さんと登った時
であるので4年振りとなるが
卯が鼻頂上部の風景の様変わりには、驚くものがあった・・・
頂上に至る最後の登路は二つに分岐され、
三角点に至る道とハンググライダーフライト場に繋がる道(新設の車道)
とに分かれ、かつての藪漕ぎ道が遊歩道みたいに整備されていた。

 (参考) YouTube動画:卯の鼻ハンググライダーフライト
    https://www.youtube.com/watch?v=uAce_lTuONg

 (2020.5.11日 加筆)

 

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阿蘇「像ケ鼻」の野焼き 3月21日(土)

2020年03月21日 22時13分16秒 | 阿蘇山系

阿蘇・北外輪山「像が鼻」の野焼き 

令和2年3月21日 快晴

(行程) 像ケ鼻牧野の駐車広場(着8:30)→木落酪農組合による火入れ(9:10)→
    像ケ鼻の原野を散策後下山(11:00)

阿蘇の一斉野焼きは当初2/23日の予定であったが野焼き条件に合わず、
週末には決行延期の知らせが幾度ともなく続いていた。
今日は好天気に恵まれ市役所の「お知らせ端末」から流れる
「本日決行」の放送を聞き自宅を8時に出発。

野焼き見学は過去7回体験しているが直近の2回は
外輪壁(カルデラ壁)に位置する「狩尾地区牧野」(2019.3.24)
の急斜面を駆け上る炎を楽しんだ・・・
今年は、初めて私が野焼きを見学した「像が鼻」(2009.3.21)
2016年以来、四年振り行くこととした。

像が鼻の野焼きは阿蘇谷を眼下にして外輪山縁(カルデラ縁)に
広がる丘陵を焼き、
縦横に燃え広がってゆく炎と野焼き後の台地(高原)に棚引く
煙の層流美を楽しむ事が出来る。

【像ケ鼻の3等三角点(790m)付近から根子岳を背景にして
野焼きを見学。令和2年3月21日 10:00撮影】

【火入れの始まり付近】

【スケール感の大きい野焼きが始まる】
根子岳・高岳を背景に、見渡す原野の全部(一部を除いて)か
焼け焦げてゆく・・・

【漆黒の丘陵と根子岳】
丘陵の稜線が野焼きの炎うで縁取りされ、
まるで月食を見るかのようである。

【見えていた根子岳も煙で隠れる】

【丘陵の先端部が「像が鼻」の三角点となる】
三角点を離れて阿蘇五岳を振り返るが、
五岳北斜面も、阿蘇谷一斉野焼きで 煙に包まれている。
ここから更に、
次の野焼き現場(牧野の奥地)を目指し
焼き立ての温もりが残る大地を踏んで
何の遮るものが無い原野を、
気の向くまま自由奔放にひたすらと歩く。

【像ケ鼻「蹴落牧野」の野焼きを見学、背景に
大観峰方角を遠望する。(令和2年3月21日・10:30分撮影)】

【奥地に延びる広大な牧野】
バックの外輪山は大観峰方面

【歩いた登路を振り返る】
像が鼻の三角点(黒焦げの左先端)から輪地切り(わちぎり)帯を歩き、
野焼きが終わった直後の山肌(右の黒焦げの丘陵)を散策

【二種類の火消し棒】
元来、カズラで編んでいたが、カズラ不足で
縄で作ったとの事であった。(左が縄作り)

(過去の野焼き見学)

① 2009.3.21 像が鼻
② 2014.3.16 木落牧野
③ 2016.2.27 草千里
④ 2016.2.28 仙酔峡
⑤ 2016.3.13 像が鼻
⑥ 2018.3.11 ラピュタの道直下
⑦ 2019.3.24 ラピュタの道直下

(2020.5.9日 加筆)

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根子岳・東峰~天狗のコル 11月6日(水)

2019年11月06日 22時24分01秒 | 阿蘇山系

根子岳・東峰(1408m)     
(東峰から天狗のコル縦走)

令和元年11月6日  快晴

(行程) 大戸尾根登山口(発8:00)→展望台(着9:40~発10:00)→東峰頂上(着10:25~発10:30)
            →蟻の戸渡り(着10:50)→稜線で昼食(着11:40~発11:50)→天狗のコル崩壊沿い
    (着12:15~発12:45)→東峰(着14:00)→登路沿いで「ツルウメモドキ」採取
    大戸尾根登山口(着16:00)

「天狗のコル」へのル-トは、
九州北部災害(平成24・2012.7.12)でヤカタガウドル-トが断絶、
熊本地震(平成28・2016.4.16)で見晴新道ル-トも崩落し、
阿蘇谷側から最短距離で登るこの二つのル-トが消滅した。

残された阿蘇谷側からのル-トは現在、
釣井尾根箱石尾根のみであるがいずれも東峰を経て
縦走路を踏まなければ「天狗のコル」には行けない状況である。

そんな事由で熊本地震以来「天狗のコル」への登高は
ご無沙汰仕舞いであった。

我が家のPC席から日毎に見上げる「天狗岩」・・・
熊本地震で崩落した岩盤が青白い岩肌をむき出しにしている・・・
何時かは、天狗のコル「岩盤崩落現場」を
自分の目で見たいという欲望が続いていた。

心配していた脚力、
先週登った三俣山で自信が持てたようであるので、
昨年実現しなった「根子岳・東峰~天狗のコル」縦走を、
今回、紅葉観賞を兼ねて相棒の石ちゃんを誘い決行することとした。

今朝はかなり冷え込みで霜が広がっている。
我が家を7時出発予定であったが今朝の冷え込みで
石ちゃんの軽トラのフロントガラスが
凍結していて20分位遅れて到着・・・
登山口駐車場は既に満杯、牧野道最上部の空き地に割り込み
駐車(軽トラは利便がよいものである)。

根子岳縦走路を歩くことは2011年以来であるので
8年振りである。
もちろん熊本地震後は初めてであるので縦走路の登路状況に不安があり、
トラロ-プ(12m×4本)とハ-ネスを携えての山行となった。

 

↑ 【登路から釜割尾根を望む】
紅葉を囲むグリ-ンの杉林が、濃厚な色彩を放って美しい・・・
右下には前原牧場の牧野が視えている(牧道の終点が釜割尾根ル-トの登山口)

↑ 【登路から九重連山(左から稲星山・白口岳・北大船山・大船山・黒岳)を望む】

↑ 【「ワクド石」直下の展望台から対岸の南峰を望む 】
※ワクド石とは釜割尾根(前原牧場コ-ス) を登り詰め、
大戸尾根ル-トとの合流点に座す溶岩

↑ 【南峰のズーム】
根子岳の紅葉の特徴は、鮮やかな黄葉の樹木
(壇香梅:ダンコウバイ・油瀝青:アブラチャン・白文字・黒文字)が
豊富で黄金色に照る山肌に魅了される・・・

↑ 南峰の登山ル-トを確認する】
南峰の背後に南外輪山清栄山そして遠望に九州山地を眺望。

↑ 【東峰頂上にて】

↑ 【頂上からこれから歩く、天狗岩縦走路を眺める】
連日吹き上がる火山灰(ヨナ)が今日も棚引いている・・・

↑ 【見晴新道分岐手前の主稜線から天狗岩を望む】

↑ 【上記画像の「天狗のコル」崩落部をズ-ムで撮影】 

↑ 【天狗のコル付近から地獄谷の紅葉を望む 】

 ↑ 【崩落現場先端から天狗のコルを眺める 】

↑ 【崩落部の源頭 】 

↑ 【崩落部の裾 】

 

 ↑ 【崩落現場最先端からヤカタガウドのメガネ岩を望む 】
竿河原から見ていた昔のメガネ岩は
熊本地震で上部は完全に崩落した模様である。
地震後に新たにメガネの空洞が出来上がったのであろうか・??

 ↑ 【 上記のズ-ム】

 ↑ 【天狗のコル付近から地獄谷源頭部の紅葉を眺める 】

 ↑ 【天狗のコルから地獄谷の下流側を望む 】

 ↑ 【復路の縦走路から天狗岩を振り返る 】

 ↑ 【復路の縦走路から天狗と棚引く噴煙を振り返る 】

↑ 【東峰頂上直近の縦走路からの展望 】
今日は終日「天高く馬肥える秋」で透明感もあり 
傾山や粗母山そして遠景に大崩山も確認できた。

↑ 【復路で再度、釜割尾根を望む】
西日に映える杉林、往路で見た時より美しい・・・
私の好きな一景

↑ 【登路沿いで採取した「ツルウメモドキ」】
赤い実と黄色の皮のコントラストが派手な色彩を放ち、
一年間位は色落ちしないので
部屋に飾るのに最適な一品・・・

(登山を終えて)

1)「天狗のコル」への縦走路は、熊本地震による災害は見受けられず、
 昔のままの登路を歩くことが出来、持参したロ-プを使用することは全く無かった。

2)天狗のコルに阿蘇谷側から直登で近づくには、「見晴新道に新しいル-トを開拓」
    するしかない(願望)

       私の好きな見晴新道、「見晴台」までは従来通りのル-トで心配なく行ける
      ので今後も利用したいものである。

3)今日の山行で一番感動したものは、
 親しい二人(山の先輩)に偶然にも同時に遭遇した事・・・
  
展望台で写真撮りをしていたら下山して来られた川上さん、
    登って来られた藤井さん、ほぼ同時
に鉢合わせした事が奇遇に思えて、
    嬉しいひと時の語らいであった。

   ж 藤井さんのグログ→「阿蘇のやまびと

 

4)相継いで阿蘇の大地を襲った九州北部豪雨や熊本地震・・・
 根子岳登山の代表的ル-トであったヤカタガウドも断絶し、
 天狗のコルから立ち聳える天狗岩の岸壁が崩落し傷跡剥き出しの山肌、
 先人達が眺めた山姿さえ変えた未曾有の天災地変・・・

 経験しえないような出来事(山容が変遷する山の歴史)
 私の人生は身をもって体験した事となる。

 そんな想いを巡らす「天狗のコル」現場検証であった。

 

(天狗のコルから眺めた紅葉・思い出の山行歴)

平成20年・2008.11.01 根子岳・天狗のコル(ヤカタガウドコ-ス)

平成22年・2010.11.03 根子岳・障子(見晴新道~ヤカタガウドへの周回)

(2019.12.15加筆)

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