旧神奈川県立近代美術館(カマキン)が国の重要文化財に指定されると2020.11.6(金)付けの朝日新聞に載っていました。
1951年に完成されたこの美術館は、戦後初めての設計コンペ(競技)において板倉準三さんの案が選ばれました。
ピロティ―、池の水面が天井に反射して映るゆらぎ、階段の手すり、中庭、仕上げ材の使い方等々、すべてが見ごたえがあり、深く感銘しました。
師匠のル・コルビュジエが設計したような建築?いや、ル・コルビュジエを超えているといってもいいと思います。
上野にある国立西洋美術館(1959年竣工)はル・コルビュジエの設計になっていますが…。
コルビジェは1955年に1回しか日本に来ていません。
弟子にあたる前川國男、板倉準三、吉阪隆正が共同で協力建築家として参画し設計されたもので、当たり前ですがル・コルビュジエを感じます。
実際は、この3人が設計したもので2016年7月には世界文化遺産に登録されました。
旧神奈川県立近代美術館は1951年に開館し、国立西洋美術館よりも古い建築です。
鶴岡八幡宮のからの借地で2016年には更地にして返す契約を結んでいましたが…。
美術家や多くの市民の人に支持され、保存されることになりました。
改修されて八幡宮のミュージアムとして再始動したらまた伺いたい、何度でも見たい!
そう思っています。
今回、保存になったことは専門家が重要性を唱えるだけでは実現しないそうです…。
「愛着をもってくれた多くの人が大事だと言い続けてきたことが大きかった」と松隈洋教授(京都工芸繊維大)は言っています。
これを機に、文化財として美術館の使い方を考える必要があると言います。
「人気の高い戦前の重厚な建築に比べ、モダニズム建築は簡素に見えるかもしれないが工学的技術を生かし、人間のための普段使いの空間実現をさせた。その価値が出発点になれば」
と書いてあります。
(↑2015.6月にカマキンを訪れました)
さて、宮城県美術館は解体されるのでしょうか?
解体して、他の場所に新しく造る意味があるのでしょうか?
政治家一人の発案がスクラップを決めていいのでしょうか?
宮城県美術館の設計は前川國男です。
1920年代末、日本でル・コルビュジエの名がほとんど認知されていなかった頃、東京帝国大学を卒業したその日の夜、シベリア鉄道経由でパリに渡り、ル・コルビュジエとの対面を果たし、日本で最初の弟子になったのが1928年。
独学でフランス語を習得し、師の代わりに国際建築会議CIAMに出席するようになるまで、さほど時間がかからなかったようです。
師が唱えた、「ドミノシステム」や「近代建築の五原則」に深く共鳴し、帰国後それを実践していきます。
そして宮城県美術館ができた…。
宮城県美術館を壊して移転する意味が見つかりません。
「壊す」ことが前提になっているから…としか受け取れないのです…。
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