何十年前にリアルタイムで見ましたが…早速録画!
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昭和51年、薬師寺金堂再建のはなしですが…いろいろな物語がここに詰められています。
1300年前に建てられたものですが戦国時代に焼け落ちてしまい400年間もの間、仮の金堂でした。
雨漏れはするし、再建するにしてもお金がかかるし、どんな建物なのか資料もありません。あるのは一冊の古文書と遺跡のみ…。
昭和42年、薬師寺に新住職高田好胤が誕生し、長年の悲願である薬師寺建立を目指します。
資金10億円は、一人一人の力を合わせた金堂でなければ意味がないということで一般の方の写経を1款1000円、100万人を集めることを目指します。企業からの資金援助は受けないこととしました。
その為に、たくさんのTVに出演し、時にはタレント坊主とたたかれますが…。
信念で動いているので、何を言われようと気にしません。
昭和40年代、高度成長期、鉄、コンクリート工事に携わる人が多く、今世紀最大の木造建築には人が集まりません。
30人必要だった宮大工ですが起工式から三カ月たっても集まらなかったようです。
やっと全国から若い宮大工が集まりましたが…。
棟梁、西岡常一は何一つ教えません。怒りもしないし、教えもしない…。
0からつくり上げるのに…木と対話しろ、自分で考えろと!…。
意地と執念のぶつかり合いです。
そして、時には仲間同士で本当にぶつかることもあったようです。いろんな性格の人もいますし…。
それも西岡棟梁はわかっていて、人を組ませているようでしたが…。
こんなことを言ってます。
「建物は、よい木ばかりでは建たない」
「つかいにくい人間でも…」
「木の癖組は人組なり、人組は人の癖組、それが棟梁の仕事」
褒めて育てる人、怒って育てる人はいるが…。
西岡棟梁は、私を感動させて育ててくれた…と当時若かった宮大工が回顧しています。
そして、高さ22m、巾27m、7階建ての建物と匹敵する鳳凰の羽ばたきのある薬師寺金堂が完成するのでした。
西岡常一棟梁が若い宮大工に送った言葉です。
「若者につぐ、親方に授けられるべからず、親方を乗り越える工夫を切磋琢磨せよ、これ匠の真髄なり」
「これからも自分の頭で考え、行動せよ!」
そんな風に私に語りかけているようで、奮起させられました。