前向きに生きてます ~肺アスペルギルス症

子供の頃から病弱で・・
今は喘息、肺アスペルギルス、気管支拡張症です。
でも前向きに生きて行きますよ~

入院していた子供たち

2012-04-16 20:21:56 | 国立療養所 恵那病院
あと、糖尿病の子供や、私と同じ喘息の子供が大勢いました。
どちらかと言うと、喘息の子供は、昼間は元気なので、みんな走り回っていました。

食べるものも制限がないので、元気いっぱいなのですが、夕方や、夜になると
みんな、喘息の発作が出てきて、苦しそうでした。

私も同じで、夜になると、発作が出て、看護師さんの詰め所に行って
ネブライザーや、太い注射器にネオフィリンを入れたやつを血管にゆっくり入れます
今なら、点滴で時間を掛けて入れるのでしょうが、昔は看護師さんの裁量にかかっていました。
早く入れると、発作は早く治まるのですが、心臓がバクバクしてしばらく止まりませんでした。
これを打つと寿命が1日ずつ、短くなるよと言われた事もありました。
そうやって眠りにつきました。
そんな時に、糖尿病や、腎臓の悪い子たちは、普通に寝ていたので、羨ましかったです。

つづく・・

母に連れられて

2012-04-09 20:48:18 | 国立療養所 恵那病院
私は小学生の時、喘息の発作でまともに学校に行けない程でした。
いつも休んでいました。
父親もこの頃、喘息の発作止めのスプレーを使いすぎて、亡くなった頃でした。
小学校4年生の時、私は母に連れられて、恵那の療養所に行きました。
その頃の、療養所は木造で古くて、なんとなく寂しい所でした。
私が子供なので看護師さんはとてもやさしくしてくれました。
入院した部屋は2人部屋で先にいた人は私よりお兄さんでした、たぶん高校生ぐらいだったと思います。
ラジカセで、井上陽水を聞いていました。
しばらく母がいてくれたのですが、夕方に母が帰り、一人になった時に、すごく寂しくて、その夜は泣いてばかりいました。
泣いてばかりいたので、隣のお兄さんがいい加減に泣くな!といわれた事を覚えています。
その後もしばらくホームシックだったと思います。

つづく・・・

恵那の国立療養所で暮らした事を思いだして・・・

2012-04-09 20:40:40 | 国立療養所 恵那病院
最近になって私が子供の頃、療養所で暮らした事があります
もう、40年も前の事です、現在の私立恵那病院です。
忘れてしまいそうなので、昔の記憶を思い出しながら、少しずつ書いていこうと思います。

まずあの頃にあった出来事を思い出して記入しておきます
・入院の時(すごく寂しかった)
・古い病棟の様子(相当古い病棟)
・入院していた子供たち
・すごく古い養護学校
・結核病棟(赤い食器)
・古い病院の売店
・肝試し大会(古い病院から古い学校まで)
・パターゴルフ
・紙飛行機大会
・カッターナイフ(指が切れた)
・ボイラーが壊れた(カップラーメン)
・秘密基地を作って叱られた
・わんぱくだった
・学校帰りにあけび取り
・うなぎや鮎の食事がいつも出てた
・子供の売店の買い方
・病院内の床屋さん(めちゃ下手)
・催眠術(こっくりさん)
・標本事件(病院内探検)
・食虫植物(病院の敷地内)
・ちょっと怖い体育館(今でも不思議)
・グラスファイバー(きれいなライト)
・CB無線(恵那市の人と初めて話した)
・恵那峡に遠足(大きな岩)
・近くの食堂(無断で食事して店主に叱られた)
・見習いの看護師さん(優しかった)
・膀胱炎(おしっこが真っ赤っか)
・新しい病棟(綺麗な病棟ができた)
・新しい学校(綺麗な学校ができた)
・夜の病院探検
・カリエスの子(足が悪くて松葉杖だった)
・買ってもらった飛行機