前向きに生きてます ~肺アスペルギルス症

子供の頃から病弱で・・
今は喘息、肺アスペルギルス、気管支拡張症です。
でも前向きに生きて行きますよ~

入院していた子供たち

2012-04-16 20:21:56 | 国立療養所 恵那病院
あと、糖尿病の子供や、私と同じ喘息の子供が大勢いました。
どちらかと言うと、喘息の子供は、昼間は元気なので、みんな走り回っていました。

食べるものも制限がないので、元気いっぱいなのですが、夕方や、夜になると
みんな、喘息の発作が出てきて、苦しそうでした。

私も同じで、夜になると、発作が出て、看護師さんの詰め所に行って
ネブライザーや、太い注射器にネオフィリンを入れたやつを血管にゆっくり入れます
今なら、点滴で時間を掛けて入れるのでしょうが、昔は看護師さんの裁量にかかっていました。
早く入れると、発作は早く治まるのですが、心臓がバクバクしてしばらく止まりませんでした。
これを打つと寿命が1日ずつ、短くなるよと言われた事もありました。
そうやって眠りにつきました。
そんな時に、糖尿病や、腎臓の悪い子たちは、普通に寝ていたので、羨ましかったです。

つづく・・

気胸の治療

2012-04-13 19:02:46 | 気胸の時
一人で車に乗って行きつけの病院に休日診療で行きました。
胸痛はありましたが、呼吸はたいして苦しくなかったので
先生には、2日程前から調子が悪いですと言ったところ
とりあえず、胸のレントゲンを撮りましょうといわれ
待合室で待っていたところ、再度呼ばれ、右の肺が完全につぶれちゃってるね、と
言われました、写真を見せてもらうと、私でもわかるくらい、肺がしぼんだ風船みたいに小さくなって
しまってました。
もう、こうなると入院だね、と言われ、その当日から入院になりました。
入院してからは、絶対安静と言われて、病院のベッドで安静にしていました。
治療が始まったのは、2日後でした。
当日、いきなり車椅子を引いた看護師さんが来て、これから処置室に行きますと
言われて、車椅子に乗って外来の処置室に行きました。
そこに先生がいて、これから胸にドレーンを入れますと言われました。
ベッドに横になり、右側の胸を消毒して、長い針の注射器で麻酔を打たれました。
最初は、う!と言うくらい痛かったが、すぐ、麻酔が効いて痛みはなくなりました。
その後、メスで右胸の横を少し切られ、そこから、びっくりするくらい太いチューブを
入れていきます。
だいぶ入ったところで、なんか、ブツ!っと言うような感じがしました。

つづく・・

子供病棟

2012-04-10 20:53:08 | 恵那養護学校
入院した所は、子供病棟で、小学生から中学生の子供ばかり大勢でした、
中には私と同じ喘息の子や、ネフローゼの子、糖尿病の子供が主にいました。
ネフローゼの子はみんな顔が浮腫んでいました。
ネフローゼの子は一人ずつ、おしっこを貯めるビンがあって、みんなそこに尿を貯めていました。
見ると、おしっこが濁っていました、蛋白が出ていたようです。

療養所で、しばらくした時にいつの間にか、ホームシックも収まってました。
みんな、子供ばかりなので、すぐ友達になって、一緒に遊びはじめました。

療養所に併設してこれも古い養護学校がありました、小中学校の子供は全員その学校に行きました。
療養所から、屋根つきの渡り廊下を通って学校まで行けるようになっていました。
距離にして、300メートルぐらいだったでしょうか、途中に使われなくなった
結核病棟を通らなければならないのですが、そこが妙に怖くて走って行った覚えがあります。
冬の夕方になるとすぐ暗くなるので、帰りが怖かったものです。

つづく・・・

気胸をやりました

2012-04-09 21:01:59 | 気胸の時
去年の8月に人生初めての気胸になりました。
その頃、仕事も忙しく、体調も悪くてすごく疲れていました。
金曜日に会社から帰る頃に、呼吸がいつもになく苦しくなって、胸痛も普段より酷く
家に着いたときは最悪な状態でしたが、なんとか、夕食をすませベッドに行って
しばらく座ってましたが、あまりに呼吸ができないので、おかしいと思いながら
その日は、そのまま寝てしまいました。
次の日も相変わらず、呼吸が苦しくて、胸の痛みもあったのですが、以前もこんな感じの
時があったので、その日も、家でごろごろして、過ごしました。
日曜日になっても、相変わらず、調子が悪いので、見かねた家内が病院に行ったら?と
言いました。
確かにいつもとちょっと違うと思ったので、ちょっと行ってくると
軽い気持ちで一人で車に乗って出かけました。

つづく・・

母に連れられて

2012-04-09 20:48:18 | 国立療養所 恵那病院
私は小学生の時、喘息の発作でまともに学校に行けない程でした。
いつも休んでいました。
父親もこの頃、喘息の発作止めのスプレーを使いすぎて、亡くなった頃でした。
小学校4年生の時、私は母に連れられて、恵那の療養所に行きました。
その頃の、療養所は木造で古くて、なんとなく寂しい所でした。
私が子供なので看護師さんはとてもやさしくしてくれました。
入院した部屋は2人部屋で先にいた人は私よりお兄さんでした、たぶん高校生ぐらいだったと思います。
ラジカセで、井上陽水を聞いていました。
しばらく母がいてくれたのですが、夕方に母が帰り、一人になった時に、すごく寂しくて、その夜は泣いてばかりいました。
泣いてばかりいたので、隣のお兄さんがいい加減に泣くな!といわれた事を覚えています。
その後もしばらくホームシックだったと思います。

つづく・・・

恵那の国立療養所で暮らした事を思いだして・・・

2012-04-09 20:40:40 | 国立療養所 恵那病院
最近になって私が子供の頃、療養所で暮らした事があります
もう、40年も前の事です、現在の私立恵那病院です。
忘れてしまいそうなので、昔の記憶を思い出しながら、少しずつ書いていこうと思います。

まずあの頃にあった出来事を思い出して記入しておきます
・入院の時(すごく寂しかった)
・古い病棟の様子(相当古い病棟)
・入院していた子供たち
・すごく古い養護学校
・結核病棟(赤い食器)
・古い病院の売店
・肝試し大会(古い病院から古い学校まで)
・パターゴルフ
・紙飛行機大会
・カッターナイフ(指が切れた)
・ボイラーが壊れた(カップラーメン)
・秘密基地を作って叱られた
・わんぱくだった
・学校帰りにあけび取り
・うなぎや鮎の食事がいつも出てた
・子供の売店の買い方
・病院内の床屋さん(めちゃ下手)
・催眠術(こっくりさん)
・標本事件(病院内探検)
・食虫植物(病院の敷地内)
・ちょっと怖い体育館(今でも不思議)
・グラスファイバー(きれいなライト)
・CB無線(恵那市の人と初めて話した)
・恵那峡に遠足(大きな岩)
・近くの食堂(無断で食事して店主に叱られた)
・見習いの看護師さん(優しかった)
・膀胱炎(おしっこが真っ赤っか)
・新しい病棟(綺麗な病棟ができた)
・新しい学校(綺麗な学校ができた)
・夜の病院探検
・カリエスの子(足が悪くて松葉杖だった)
・買ってもらった飛行機