おうち時間が長いので、昔の記憶の整理中。
広島カープのスクワット応援の発祥について私の記憶をかきます。
1991年のカープの優勝のときには
まだスクワットコールはありませんでした。
私の記憶では、スクワットコールの発生は
翌年1992年のシーズン中の出来事です。
翌年の1993年には私は広島を離れていましたので、
年代は1992年で間違いないと思います。
(今年はシーズンが始まらず昔の名場面の放送が多いので、1992年シーズンの再放送があれば検証できそうです)
大学4年だった当時、私を含めたバイト仲間の常席は、
外野席のライトとセンターの間(センター寄り)の中~上段でした。
(いつも、広島緋鯉会の周辺で応援していたと記憶しています)
シーズン中のどの時期ははっきりしませんが、夏頃だと思います。スクワットコールは最初から今の形で発生したわけではなく、その原型となる名前の連呼がまず発生しました。
当時は、選手の応援歌を歌って応援していましたが、その試合は、勝ち負けはよく覚えていませんが、一方的な展開で、もう勝負は決まっているという雰囲気の中での観戦でした。
スタンドの応援も、もう勝負は決まっているといった雰囲気の中で、私達の2列か3列前に座っていた、かなり酔っている感じの若い二人の男性が、応援歌の途中で、選手の名前の連呼を始めました(私の記憶では野村(か前田)です。当時は野村、前田の人気があがってきた時期で、野村、前田の応援はひときわ盛り上がっていました。あと、3文字の名前はリズムにのせて連呼しやすいです)
たとえば野村選手だったとすると
赤い闘志(のっむっらー)
赤い旋風まき(のっむっらー)
勝利目指して駆け抜けろ~
走れ野村~謙二郎~♪
といった具合です。
(二人組みの左のほうが特にはしゃいでいて、右がなだめていたようにも思います。そのはしゃいでたほうがTシャツだったので、季節は夏かなと。メガホンは縦にふるのではなく、右に左にワッショイワッショイやってました)
その当時の応援は選手の応援歌をみんなで歌うスタイルだったので、その中で、歌の途中で名前を連呼することは、応援の歌を邪魔するもので、掟破りの、みんなの応援を妨害する行為でした。
私もバイト仲間達も、最初はあいつら酔ってうるさいなと感じていました。
ただ、当時のライトスタンドは、ビールを片手に応援する若い人が中心で、紙ふぶきも撒き放題で紙コップに紙ふぶきが入るのを避けるために、点が入ると紙コップに手で蓋をしないといけないようなところでした。
その中で、おそらく回も後半でみんなお酒が回ってきていたことや、勝敗が決まっている中での応援(試合見てても楽しくないし)であることもあって、私たちのグループでもその試合で名前を連呼するようになりました。このときが、スクワットコールのうち、コールの原型の発生と思います。
最初はマユをしかめていた私達も、後半になると名前の連呼が面白くなり、またコールしに行こうぜといった感覚でいたことを覚えています。
しばらくしてバイト帰りに再び球場に足を運ぶと、名前の連呼は続いていて、スタイルも少し変わり、メガホンをたてに振り名前を連呼するスタイルになっていました。
まず驚いたのが、連呼が続き、広がっていることでした。少なくとも前の日に来たお客さんが次の日も続けて来ていなければ、あの連呼は負け試合のヤケッパチ応援で終わりです。広島には毎日来ているお客さんがいるのだなと思いました。
メガホンを縦にふりながら名前をコールするスタイルは、
それまでも山崎隆造の、「せーのっ りゅーぞー」で、やってたので
自然にみんなやってたのかなと思います。
(りゅーで メガホンを頭のうしろにひいで、ぞーで前に腕を伸ばす)
応援歌を一回歌った後、2回目の応援歌の前半で座ったままメガホンを振りながら名前を呼び、一人は1回、4人で分担して4回のような形で4回名前を連呼して、後半は歌を歌うスタイルで、コールによる応援と応援歌の応援との折衷様式でした。
繰返しになりますが、カープの応援は、やはり応援歌を歌って応援するスタイルが本流ですので、前半は名前を連呼しても、後半は応援歌を大切に歌って選手を応援すべきと考えていました。
しばらくこの形が続きましたが、次第に一人がコール1回では足りず、4回のうち2回コールするようになりました。スクワットコールの、2人一組で2回ずつ、計前半4回コールの型がこの時期に誕生しました。
(ただ、残念なことに、この時期に名前をコールする時に座ったままか立っていたかの記憶があいまいです。4人グループで1回ずつ立っていたような記憶もあります。このときにもし立っていたら、スクワットコールの原型はこのときに発生していたことになります。)
私がはっきり記憶しているのは次の出来事です。
しばらく、応援歌の前半は4回コールで、後半は応援歌
たとえば前田選手だと、
まっえっだっ
まっえっだっ
まっえっだっ
まっえっだっ
もう爆発寸前なのさ前田のパワー♪
という応援の時期が続いていたのですが、
あるとき、応援が盛り上がってきた中で、ライトとセンターの中間あたりの、ほぼ最上段にいた若い女性が、4回目のコールの後、ちょうど曲後半のワンフレーズ目のときに、
まえだー っと立って叫んだのです。(すみません。野村選手だったかもしれませんが記憶が定かではありません。とにかく当時は2人の人気が飛びぬけていました。)
正確に言うと、後ろからの叫びに驚いた私が後ろを振り返ると、上段で、若い女性が二人たっていました。言っちゃったという感じで、恥ずかしそうにすぐ座った様子を覚えています。二人とも同じ服を着ていたので、制服の女子高生だろうなと感じました。
このときの恥ずかしそうな様子が、初めて立ったからなのか、4回コールの後に始めて名前を叫んだからなのか覚えていないのですが、遅くともこのときには名前を呼びながら立つスタイル、スクワットコールの原型ができたのではないでしょうか。
その後も、その女性たちは、特定の選手のときだけ立って叫んでいた記憶があります。(前田選手か野村選手だったと思います)。
それを周囲がまね、ほかの選手のときにも広がっていき、また、後半1回が、後半2回にと変わっていきました。
そのときは、前半に2回立つのもしんどいのに、またもう一回立つんかねといったことを仲間と話した記憶があります。
(あれ、そうするとやっぱりその前から立ってたのかな?)
この頃に、1回選手の応援歌を聞いた後に、前半4回はメガホンを振りながら名前をコールした後、後半に2回、立ちながらメガホンを振った手を前に伸ばしながら、名前を叫ぶパターンができあがりました。
基本は2人一組で
A まっえっだっ
B まっえっだっ
A まっえっだっ
B まっえっだっ
A まえだーっ!
B まえだーっ!
前田のパワー♪ です。
スクワット応援の今の形ができあがりました。
ただ、何度も繰返しになりますが、これまでの広島の応援は、選手の応援歌を歌うパターンです。
これに対して、右翼スタンドの一部が造反して名前の連呼を始めたことだけでも掟破りなのに、前半の4回連呼に加えて、後半に立ち上がって2回叫ぶ、しかも叫んだ後は、パンッ パンッ パンパンパンとメガホンを5回たたくだけで全く応援歌を歌わない、最初に一回応援歌を聴くけれどそれは多分タイミングを計っているだけというスタイルは、それまでの応援を冒涜するものでしたし、座って見ているお客さんの視線を妨害するものでもありました。(実際この時期には、試合の後半でお酒が回って立てなくなってグッタリ座っていると、前の客が立って試合が見えないということもありました。)
このころ、応援団の方は、それまでの伝統の応援を壊すような応援が徐々に広まっていき、立って他人に迷惑をかけるような応援スタイルにまでなってきたことからか、お客さんが立って応援を始めたときに、「座れ座れ」「ダメダメ」といったジェスチャーをされていました。このジェスチャーは記憶に残っています。(応援団の方からすれば、応援歌を演奏しているのであって、コールの伴奏をしているのではないという思いもあったのではないかと思います)
ただ、スクワットコールは、選手の応援歌を知らない人でも応援できることから広まっていきました。その後広島の名物応援となったのは皆さんご存知のとおりです。
ここまで書いて思い出したのですが、当時の私は、1991年の広島カープ優勝と、優勝後の本通りの応援団のパレードに魅了されてカープファンになった、にわかファンでした。(優勝した夜は、応援団の方が選手の応援歌を何回も演奏しながら、夜中まで本通りをパレードしていました。運よく優勝試合を球場で見ることができた私は、パレードの後をずっとついていきました)
そのため、翌1992年のシーズンには選手の応援歌もよく覚えておらず、バイト仲間の生粋の東広島人に教えてもらって人気の選手の応援歌は歌えるようになったものの、交替の選手がでてきたときは、応援歌にあわせてゴニョゴニョ言っていて、応援しづらさも感じていました。その中で、応援歌を知らずとも応援できる連呼パターンは、簡単に盛り上がることができる応援でした。
もしかすると、スクワット応援が広まったのは、1991年に広島カープが優勝し、翌年には応援歌も知らないにわかファンが増えたことが要因かもしれません。
にわかファンでも簡単に応援できるスクワットコールだからこそ、その後、広島カープの応援をよく知らない方でも、球場で全力で応援できるすばらしい応援となり、今でも続いているのかなと思います。
なので、スクワットコールは(少なくとも原型は)1992年のシーズン中に始まったと記憶しています。起源については諸説あるようですが、誰かが考えてある時からはじめたものではなく、偶然に始まったものが皆が応援しやすいように少しずつ形を変えて、ファンがみんなで完成させたものだと思います。
このスクワットコールも、今となっては感染リスクが高だとのこと。
でも、全然心配していません。
広島ファンならば、広島市民球場ならば、また新しい応援が生まれるでしょう。
追記 2020年5月10日
上記発祥の日に、市民球場にいっていた人が、2004年に掲示板に投稿した記事を見つけました。細かいところは異なりますが大筋は私の記憶と一致しています。5月10日の日記もご覧ください。
追記
最初の記事では、負け試合と書いていましたが、はっきりとそこまで覚えていないので、一方的な展開だったと修正しました(一方的な展開で、勝ち負けへの興味があまりなくなった中で、面白い応援が始まったと思って乗った記憶が残っています)。
追記
簿記ゼミ講師 カトーのブログ さんというブログの
25年ぶりという記事に、スクワット応援発祥についての記載がありました。
この方のすごいところは、発祥と思われる日の試合展開を記憶されているところです。ブログ名やタイトルからはなかなか検索にかからないと思いますのでここでご紹介します。
先日スクワット応援の話題が会社で出まして
「あれ、5回目以降は俺ら発祥なんですよ!」って冗談交じりに言ったら
会社の先輩の一人が「それいつの試合だよ!」ってなりましたんで、
気になって調べてたらこのサイトにたどり着きましたw
結論から申し上げますと、私が弟と二人でライトスタンドでスクワット応援の二次?創作をした試合は次の通りです。
1992年8月2日 対巨人戦(16回戦)
https://2689web.com/1992/GC/GC16.html
要するに、この日の時点でライトスタンドではスクワット応援はあったということです。
今も続くスクワット応援で、例えば野村謙二郎なら当時は
「のむら!」「のむら!」「のむら!」「のむら!」
と、誰もが好きな場所から立ち上がって
メガホンやくりぬいた紙ジュース入れ片手に叫ぶ、お隣さんが立てば負けじと自分も立つ、遠くの大学生の兄ちゃんが少し崩せば、酔ったサラリーマンのオッサンがど正調で返す。
ところがあまりにもテンポが良いんで、当時ガキの私は目立つことに必死なもんで
「4回目が終わったら、応援団演奏でみんな立たなくなる!言うならここじゃ!」って弟と一緒に、4回目コールが終わったらすかさず「まえだー!」とか「コージ!」とか関係ない選手監督を叫ぶんです。
最初は回りも「この子大丈夫?」的に見てくるんで、親父も「みっともないからやめてくれ!」てなったんですが、そこは怖いもの知らずの11歳ですからおかまいなしです。
次第に右中間方向からもヤケクソOLが「まえださーん!」、上半身裸のバカが「カープうどん!」とかめちゃくちゃでしたね。
それはそれは得意げになったもんです。ええ、この日までは少なくとも市民球場外野スタンドの5回目以降のコールはありませんでした。
だって、誰の声もないチャンスだから、叫んだんだもんねw
あと、流行りませんでしたが、大野さんが投げてる時のあのタメの時に
「おぉぉぉぉぉぉっのぉ!」ってのもありましたな(遠い目
長文失礼いたしました。
私の記憶でも92のシーズン途中です。
書いてある通り負け試合濃厚な展開だったので合っていると思います。
92の途中で始まったのこの応援はシーズン終盤では定着して皆さんやってましたね!
達川さん引退試合でも!
93の市民球場開幕試合巨人戦でしたが、巨人ファンも対抗してこの応援をパクリ同じ応援をしていました!
当時のビデオ持ってましたので、間違いまりません!
5回目からの伸ばす連呼の所は
私の記憶では(そこまで自信はありません、間違ってたらごめんなさい)
95の横浜との開幕戦だったと思います。
ライトポール際の辺りの10人くらいがやっていたので
何やってるんだと思いながら、センターの方から見たのでそこの記憶はあります。
その後気が付けばその応援も定着しましたね!
なかなかスクワット応援の起源は曖昧で間違った記載も多いのできちんと検証される方が出たら良いですが、、、
長々失礼致しました。