あそこまで自分を完璧な作品に仕立て上げる、
その強い気持ちはどこから来るのか?
結局は「負けず嫌い」、ということか?
どこまで行っても、さらに上を求める気持ち?
でも、「(自分より愚かな)他人から何か言われたくない」、
という気持ち?もあるのかも。
だとすれば、ナカタをあそこまで頑なにしたのは、
マスコミをはじめとする、日本人なのだ。
イチローにも同じようなことは言える。
愚かな質問や、愚かなコメントへのイラつき。
彼らは実際のところ、天才である。
天才ゆえのイラつき。
日本という社会は、それが増幅される。
出る杭が打たれる、足を引っ張られる社会。
イチローがナカタよりは幸せだとしたら、
野球とサッカーという種目の違いかもしれない。
分業が行き渡り、自分の仕事をきっちりと
すれば高く評価される野球。
その意味でも、日本の野球よりも大リーグだったのだろう。
6年連続オールスター出場のイチロー。
それに較べて、サッカーでは、よくわからないが、
すべての選手に対して、ある意味、
「出過ぎる」ことが要求される、のではないか?
手が使えないため、1人でできることはあまりにも少ない。
誰もが、自分でイマジネーションを働かせ、
自分で考えて、自分のスペースを作り、ボールを要求しなければ、
ボールを持っている選手はすぐに潰されてしまう。
高い技術を持った選手同士が、強く自己主張して、
それではじめて、連携が成り立つのだろう。
しかし、そこでも、
頑なになっていては、連携は難しい。
それに加えて、野球とサッカーでは、
日本の状況にも大きな違いがある。
長い歴史を持ち、大リーグよりは下とはいえ、
かなり高い技術レベルに達している日本の野球。
それに対して、サッカーは、未だ、
世界の中では、田舎のレベルだろう。
だから、ナカタは、
日本のサッカーのレベルを全体的に上げる、
という、これまたとても難しい問題に
取り組まなければならなかった。
その中で、大きなフラストレーションを抱えた
としても、無理は無い。
当然のことだが、自己主張することと、
頑なになることは、本来は別のことだ。
でも、ナカタやイチローに見られるように、
それが結びついてしまいやすい、というのが、
今の日本の社会のひとつの特性なのかもしれない。
才能あふれた自己主張できる力を持った個を、
頑なにさせたり、慢心させたりせずに、
社会全体としてどう活かしてゆくのか、
という問題についてのコンセンサスが、
共有されていないような気がする。
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