104歳の医師である日野原先生と
103歳の美術家である篠田桃紅さんの対談をやっていた。
少し前なら、想像を絶することだが、
日本は良い国、なのだろう。
日野原先生は、
「自分の命を他の誰かのために使う」
と言う。
これはキリスト教的だ。
篠田さんは、対照的に
「自分のためだけに生きてきた」
というようなことを言う。
自分の感性を信じ、
自分の芸術を追及する美術家らしい。
自分の命を誰かのために使う
自分の命を自分のために使う
そして、どちらも輝いている。
これは、反対のように見えて、同じことなのだろうか?
* * *
たぶんこういうことではないか?
日野原先生は、誰かから感謝されたい、
誰かに良く思われたい、と思って
自分の命を誰かのために使っているわけではない。
自分で、そうする、と決めて、そうしているだけだ。
その結果、「ありがとう」と言われれば嬉しい。
人間はそうした、社会的な生き物だからだ。
しかし、その「ありがとう」を目的にしてはいない。
そういう意味では、日野原先生もまた、
篠田さんと同じように、自分のためだけに生きている。
自分で決めた生き方に沿って生きている。
他人の人生を生きていない。
他者からの感謝の言葉を、
他者の期待に応えることを、
自分の生の目的にしてはいけない。
他者の人生を生きることはできない。
自分の生の目的は、自分で決めたことをすること
以外にはありえない。
これは・・・アドラー心理学?
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tempo1078
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