キャッチャーミットをなかなか強請るコトが出来んで
紙でキャッチャーミットやプロテクターを作る程
キャッチャーに憧れを抱かせてくれたコト。
「南海に来てくれたらなぁ…」
っちゅう風に思てたワシの願いが叶って
緑のユニフォームを着てくれたコト。
生で観れんかったケドも
小五の誕生日の日に
プロ入り初ホームランを初打席で
当時黄金期のチームのローテーションピッチャーから
場外に叩き込んでくれたコト。
大阪球場の球団事務所から自転車を運び出し
我々ちびっこファンを掻き分け
全力疾走でミナミの街を駆け抜けた姿。
1983年の首位打者争い。更にその年
オールスター第二戦で先発バッテリーを組んだコト。
1986年の三塁手挑戦。
1988年に寂しそうに大阪球場のグランドを去ったコト。
総て忘れるコトが出来ん、宝モンです。
御自身は、プロ野球より少年野球や高校生の
指導者に関心を持たれてたみたいですが
あなたのバッティングセンスや野球感。
現役時代はキャッチャーとしてのスキルは
弱肩や肥満による守備範囲の狭さもあり酷評されてましたが
リード面や理論の面で、どんなコーチになるか
ワシ的には興味がありました。
それに体重のコトもあり、様々なトレーニングや
練習を経験されてるし、あのカラダで運動量の多い
捕手や三塁手を経験されたっちゅうコトで
"利"の面を多く持たれてると思てました。
プロの指導者としての貴方を観れんまま
こんな早く、こんな記事を書くコトになるのは
残念であり、哀しみの極みです。
早過ぎます! 寂し過ぎます! 悲し過ぎます!
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