私がこの病に苦しんだのは確か中2の頃。
私は小学生の頃から気分が悪くなってもそれを言うのが苦手でした。なので小学時代から今までで早退をしたことは1回のみ。
友達と遊んでる時も言えない。
なんか“折角楽しんでるのに言ったら気分害さないかな”とか“授業の邪魔になるんじゃないかな”とかそういった考えが脳裏に過ぎってしまうのが昔からの癖。
家にいる時も気分悪くなったら親に言う事はなく部屋に閉じこもる。
恐らくそういったことがあだとなったのだろう。中2の授業中に「気分わるくなってしまったらどうしよう」等思うようになりそれが恐怖感に変わりました。集会や始業式等立ってる時間が長い場面では凄く苦痛。また高校の時には授業中はずっとパニック状態で過呼吸を起こしかけながらも授業を受けてる日が毎日ありました。
助けを求めれる人も同じ病気で苦しんでる人も周りにはいなく当時中学生や高校生だった自分には病院に行くお金もない。親は精神科という響きの病院は当時あまり好まなかった。やっと行く決心がついたのはバイトにも響いてきた高2の秋。自転車で40分かけて行きました。
そこで初めて“パニック障害”と診断されました。
中2から苦しめられたこの病ですが抜け出せない空間に起こることが多く例えば電車。気分が悪くなっても席がなかったり当分停らない電車は地獄で避けてきたり授業は足を組んだり飲み物を飲んで受けてました。何かしてないと落ち着かない状態なのでじっとしてると気が気ではいられない。
勿論なにかに没頭してると楽なのですがそこに入るまでが厳しい。
中3の2学期。私はこの大事な時期に不登校になりかけるのでした。
自分で言うのもなんですが真面目真面目と言われて怒られることもなかった。そんな私が中3の後半だけで遅刻60回というおかしな数を出すのでした。もちろん事情を知らない担任は驚き養護教諭と話す機会もありましたが上手く言えずずるずると生きていくのでした。「今まで何やってきたんだっけ」という考えを背負って。
パニック障害から鬱になるというのは本当のことみたいです。
パニック障害という病気は中川家の剛(お兄さんのほう)の話で聞いておりましたが相当の苦痛。電車の中、エレベーター、映画館、授業、公園等有りと有らゆる人の集まる場所は私にとっては地獄そのもので発作が起こる度に酷い時は立てなくなってしまったりするので周りにも迷惑をかけてしまう。発作が続くのネガティブになり人と遊ぶことが憂鬱になってしまい心を閉ざしてしまう。
周りからは昔はよく「気のもちよう」だとか言われました。勿論自分もそう思ってました。気のもちようでも不安なものはどう足掻いたって不安です。例えば地震=怖いという概念を地震=楽しいと思えと言ってるのと同じことで無理なことです。地震でもパニックになってしまうと気分悪くなるどころか酷いと吐いてしまうほど。
今でも薬を飲まないと緊張したりすると吐き気に襲われたりして外に出ることが億劫になってしまいます。人と絡むことも拒みます。
私は人と話すことが好きで遊ぶことも大好きです。そういった人にとってはこの病は苦痛でしかないです。
心臓に疾患を持っているとそれもまた荷物になってしまい余計憂鬱に。
以前友達と遊んだ時に遠くからきてくれた友達でしたがこの病のことを理解してくれてる人で「私は適当なことしてるから気分優れなかったら全然来なくてもいいし遊んでる最中に具合悪くなったらちゃんと言ってね」と言ってくれて凄く救われました。逆に「楽しみ!」とか言ってしまうとその人にとってそれは煽りになってしまいます。遠くからわざわざ来て「折角来たのに来れないとか自己管理出来てないんじゃないの!」なんて思うこともあるかも知れません。
ただパニック障害のつらさだけでもこのブログを通して分かって頂けたら幸いです。
人に迷惑かけるんじゃないか、倒れるんじゃないか、吐いちゃうんじゃないか、過呼吸起こすかも、死ぬのが怖い
こういった感情が一気にこみ上げてくるものがその病です。
最近は某場所では上の立場の人間で昔は使命感にかられてましたが今は「任せよ」と思うと肩の荷が少しでもおりるんです。競走とか焦るのも発作を誘発してしまうのでゆっくりやっています。時間にゆとりを。
このような感じで日々このパニック障害と戦っています。