本当はじっくり見たいところだが、今日の予定はあとトルコ記念館、潮岬があるので一通り見て、食事をして次に向かおうかと思ったら駐車場を出たところにあるレストランは1時半がオーダーストップとなっていて、しかも室内で工事をしているようだった。全然商売気を感じない、ウィークデイだからだろうか?仕方ないので朝食べる予定だった野菜果物ジュースとバナナとクリームをはさんだビスケットを車で食べて、次の目的地に向かう。トルコ記念館は紀伊大島という島にある。紀伊大島は砂州がつながって出来た半島から少し離れた島で、海中の橋でつながっている。トルコ記念館とは今から約125年前に日本に友好のためにオスマントルコから派遣されたエルトゥールル号が大島の灯台近くで座礁沈没した海難事故を大島の人たちが自分たちの生活を顧みず必死の救助活動を行い、それが日本とトルコとの友好の始まりとなったことを記念して建てられた記念館である。1985年のイラク危機の時に日本が救援機を送らないでいるところを自国民より日本人を優先して救援機をトルコた送ってくれたということだ。
トルコ記念館を出て、もう少し先に行くとトルコの物産店があったので、トルコアイスを食べたがもっちりした感じだった。そしてもっと先に日本の灯台を設計した英国人技師のための官舎が100円で見学できるようになっていたので、100円払ってガイドさんの説明を聞いた。どうにか崖をよじ登って助けを求めたトルコの人たちがここで暖をとったという暖炉あとなどがあった。その後潮岬に行くと、タワーがあったけれどそこはもう時間でしまっていたのでその前の広い芝生をなるべく海側に行って写真をとったりした。するとちょっとした建物があったのでなんだろうと思って入ってみると、昔串本町の人たちがオーストラリアに白蝶貝などを採取に働きにいっていたのだそうだが、そのことを記録した展示がある記念館のような施設だった。過酷な労働や差別待遇などもあり大変だったようだ。潮岬灯台は駐車場だけで300円で中も見れないので、遠くから写真だけをとった。
潮岬から串本町の温泉施設にナビを設定すると、他にももっと近そうな道があるのに、元来た道を示すので、知らないところだからと思いナビに従ったが、ナビでは行けることになっている道も実際は進入禁止だったり、車一台が通るのがやっとの道が多く、ナビの地図を見ながら結局自分で判断してどうにか温泉に入り、そこで飲食店の案内パンフレットを貰い、ナビが上手く案内できないが、地図をみながら地元のファミレスみたいなところで、漁師丼を食べた。その後ちょっと飲み物でもと24時間営業というスーパーに行ってみたら、紀伊半島の先で交通の便が良くないせいか、商品価格が高めだった。その後2日目の宿泊地橋杭岩道の駅にいった。いよいよ初めての車中泊だった。もう暗くなっていたので準備をするのが結構大変だった。なんとなく道側に止めたら、夜遅くまで通る車の音と、足元にハンドルがあるのが邪魔でなかなか寝付かれなかった。




トルコ記念館を出て、もう少し先に行くとトルコの物産店があったので、トルコアイスを食べたがもっちりした感じだった。そしてもっと先に日本の灯台を設計した英国人技師のための官舎が100円で見学できるようになっていたので、100円払ってガイドさんの説明を聞いた。どうにか崖をよじ登って助けを求めたトルコの人たちがここで暖をとったという暖炉あとなどがあった。その後潮岬に行くと、タワーがあったけれどそこはもう時間でしまっていたのでその前の広い芝生をなるべく海側に行って写真をとったりした。するとちょっとした建物があったのでなんだろうと思って入ってみると、昔串本町の人たちがオーストラリアに白蝶貝などを採取に働きにいっていたのだそうだが、そのことを記録した展示がある記念館のような施設だった。過酷な労働や差別待遇などもあり大変だったようだ。潮岬灯台は駐車場だけで300円で中も見れないので、遠くから写真だけをとった。
潮岬から串本町の温泉施設にナビを設定すると、他にももっと近そうな道があるのに、元来た道を示すので、知らないところだからと思いナビに従ったが、ナビでは行けることになっている道も実際は進入禁止だったり、車一台が通るのがやっとの道が多く、ナビの地図を見ながら結局自分で判断してどうにか温泉に入り、そこで飲食店の案内パンフレットを貰い、ナビが上手く案内できないが、地図をみながら地元のファミレスみたいなところで、漁師丼を食べた。その後ちょっと飲み物でもと24時間営業というスーパーに行ってみたら、紀伊半島の先で交通の便が良くないせいか、商品価格が高めだった。その後2日目の宿泊地橋杭岩道の駅にいった。いよいよ初めての車中泊だった。もう暗くなっていたので準備をするのが結構大変だった。なんとなく道側に止めたら、夜遅くまで通る車の音と、足元にハンドルがあるのが邪魔でなかなか寝付かれなかった。




