福島県立いわき総合高等学校演劇部 福岡公演
【Final Fantasy for Ⅺ.Ⅲ.MMⅪ】
観てきました。
テレビや新聞、調べて探してまた調べてその先に見てきたあの日からの出来事を
目の当たりにしその渦中で色んな事情の中で過ごしてきた彼らの
彼らの中からしか生まれ得なかった作品が すっくと 足の指先まで力強くしっかりと立って
舞台の上に在りました。
それは とても明るくて元気で 楽しくておかしくて
苦しくて切なくて 心細くて不安で
疑問や不信感いっぱいで 怒りもいっぱいで。
どれだけのことを彼らが感じ続け 考え続け 思い続けてきたのか
どれだけたくさんの人の思いと 寄り添いぶつかったり 葛藤したりしてきたのか。
そんなことを 純粋に感じながらも クススわははと声出して笑ってしまう数々のシーン。
まっすぐに響くセリフ。
くすぐってくれる 愛嬌のある人物たち。
痛快で爽快に動く役者たち。
音楽も照明もセットも小道具も衣装もメイクも
“今”観ている舞台に キリリとはまって 心地いいほど。
舞台でしか感じられないモノを改めて客席でたくさん感じられる作品でした。
ここに至るまでの事は どう想像しても足りないのだろうけど
それでも、想像して想像したおして 今日、受け止めたこの感覚を
まるっと 整頓などすぐにできなくていいから できるだけ深く刻んでおきたいと思います。
想像を超える事が起きたんだ。だから至らないのは仕方ない…
・・・のではなく、それを越える想像力をつかったことない所まで使って
これからも つながって寄り添っていけたら。芯に響く作品でした。
歩を止めず走り続ける主人公のラストシーン。大事にしたいシーンでした。
アフタートークで 先生や部員の方の話を聴くこともできました。
震災直後 彼らの中にはどうしようもない「怒り」と「絶望感」しかなかった と。
久しぶりに学校に集まり、友達と一緒に掃除をする生徒の
楽しそうな顔を見て、どうにかしなくちゃならないと 部活を再開した と。
絶望や怒りをそのまま舞台に上げても むしろリアリティがない!と感じ
よし、遊ぼう!と 思い みんなで作り上げてきた作品である。と。
楽しんで 苦しんで おもしろたのしを作ってきたものだと感じた理由の
ほんの一部でしょうが、言葉にして聴くことができて 嬉しかったです。
マイクを持って話すかれらのあどけない照れた表情。
「これからのことが 全く考えられなかった」という一言。
口々に「被災したといえど みなそれぞれに事情が違う」という言葉。
私の想像力は まだまだ全然足りないのだと 話を聞いてる間感じていました。
想像力は鍛えられるのかわからないけれど 鍛えるでなく
広げ、深め、彩りあざやかに、こまやかに 世界を見渡し、踏み出していくカギになる
チカラなのだろうと 想像力にあふれる舞台を見て 強く思いました。
福岡まで上演に来てくれたこと、本当に感謝します。