世田谷城跡保存会

世田谷城跡保存会は平成17年に設立し城跡の保存と復元の活動を行っています。
 

大山道を歩く

2022年03月26日 16時23分50秒 | 歴史探訪

3月25日金 大山道を歩く第7カ目 前半 長津田宿 王子神社 福泉寺 馬の背ほか

長津田宿 戦国時代には宿場としてあったとされる。大山道(矢倉沢道)と神奈川道(八王子道)が交差する交通の要所として発展した。江田宿とともに江戸から最初の宿泊地とされた。幕末から明治にかけて宿屋兼荷継1戸、酒屋兼荷継1戸、宿屋2戸、籠屋1戸があった。また商人として小間物、繭生糸、鶏卵、豆腐、足袋、センベイヤキ、酢、駄菓子、餅屋、濁酒、質屋、荒物、魚屋、蕎麦屋、焼芋、種物、ローソク、酒造、絞油を営業する家があり、職人として大工、桶屋、鍛冶屋、木挽、建具が営まれたという。昭和28年大火により宿場は全焼した。

長津田宿上宿常夜灯 元街道沿いにあったが道路の拡幅工事のため大石神社の境内に移設された。

大石神社

創建年代は不詳。在原業平を祀ったとされ大石権現神社といった。ご神体は大石であると言い、武蔵国と相模国が境界を巡り争いがあり大石神社は武蔵国になったという。

大石神社の裏手にある御野立跡 大正10年、当時皇太子(のちの昭和天皇)が陸軍の演習を視察された所。

旧大山道 長津田小学校南側の台地の裾を縫うように道があった。

旧大山道の表示柱

王子神社 創建年代は不詳。熊野信仰の神社といい、地元の有力者岡野氏により保護されたという。

福泉寺 寺伝によると明應元年 (西暦 1492 年) 3 月 15 日、 尊祐という僧により開山。地元の豪族で小田原北条氏の家臣岡野氏に保護された。 村の鎮守王子権現の別当寺。江戸時代には四石五斗の朱印状を受ける。明治維新後は衰退した。明治後半に山崎戒心という僧が小さな建物を建て復興。昭和 45 年に現在の本堂が再建され、順次 戒壇巡りをはじめ ぼけ封じ観音やポックリ大師等建立された。旧大山道からは外れているが立ち寄って見学した。

お茶をいただきながら住職夫人から寺の縁起などを聴いた。

楮の花

すずかけ台駅近くの尾根を行く。通称「馬の背」というが古くから「馬瀬」という小名であった。

やっと今回の中間地点を過ぎた。

円成寺 小田原北条氏の家臣中山修理亮が出家して開基したと言われる。元禄13年(1700)に鋳造された梵鐘がある。後半へ続く。

 


大山道を歩く第7回目のお知らせ

2022年03月23日 07時27分10秒 | 歴史探訪

大山道を歩くも第7回目を実施します。参加ご希望の方はコメントからお知らせください。折り返し参加条件をお知らせします。

第7日 3月25日(金) 東急田園都市線長津田駅正面改札口12:30集合 17:00小田急線鶴間駅解散 徒歩距離約13km 

主な行程 長津田駅→長津田宿跡→常夜灯→大石神社→福泉寺→圓成寺→観音寺→ふるさと館→阿夫利神社分霊所→鶴林寺→鶴間駅 

 

主催 世田谷城跡保存会 東京徒士組の会


三宿のまち歴(歴史・人物)を編集中 三宿城跡

2022年03月18日 16時00分22秒 | 三宿

世田谷区三宿の歴史・人物について探索しています。いろいろと見えてきたので、少しずつお知らせします。

まずは三宿城跡(現世田谷区三宿2丁目一帯にあった。遺構等は壊滅状態))についてです。北沢川と烏山川に囲まれた舌状台地上(最も高い標高35m)に築城されています。おおよそですが三宿2丁目の一帯が該当します。明治42年の測図に大きい土塁(添付図面参照)が描かれています。また近くからは箱堀が発見されています。しかし文献は新編武蔵風土記のほかはなく、遺構は開発により失われてしまい正確な縄張りもわかりません。しかしスケール、基本的な区画などから深大寺城(調布市)と酷似していることが分かりました。どうも上杉氏の関係した城ではないかと推定してみました。上杉氏と姻戚関係を作った吉良成高の頃かと考えています。なお三宿神社と三宿の森一帯の構造が解明のポイントになると診ています。

明治42年測図

三宿神社

 


大山道を歩く

2022年03月13日 14時56分39秒 | 歴史探訪

3月11日(金)大山道を歩く第6回目。市ヶ尾地蔵堂、旅籠綿屋、渡辺崋山が一服した恩田茶屋跡、長津田宿常夜灯、大林寺にある後北条氏家臣岡野家墓所を巡りました。

大林寺では偶然お会いしたご住職に庭園を案内していただきました。感謝‼

3年前に大山道を企画してようやく6回目。あと4回で大山阿夫利神社奥の院の登拝を達成する予定です。


谷口雄太先生 中世吉良氏勉強会 開催

2022年03月06日 11時30分33秒 | 講演会の記録

世田谷城跡保存会は活動の一環として東京大学大学院研究員で世田谷区史編纂委員を務める谷口雄太先生を講師としてお招きし勉強会を開催いたしました。また世田谷区史編纂事業の問題について意見交換をしました。

日時 令和4年3月4日金曜日午後2時から

会場 世田谷区ひだまり友遊館3F第6会議室

参加者 世田谷城跡保存会会員、世田谷区誌研究会会員、一般参加者など30名

第一部 「中世吉良氏研究のいま」

『都市的な場と有徳人』 町、湊、宿、市場などを拠点として中心的な役割を担っていた商人などの富裕層が都市を形成。草戸千軒、十三湊、品川湊、江戸など。

『吉良氏と有徳人』武蔵吉良氏は、こうした都市を形成し活動していた富裕層との交流を通じて支配者としての立場を維持。

第二部 「世田谷区史編纂事業の現状と問題点」

平成29年度から世田谷区は区史編纂事業を進めてきたが非常に多くの問題が噴出している。様々な問題がなぜ起きたのか、また解決されないのか。谷口雄太先生、世田谷区議会桃野芳文議員、大場秀浩氏に語ってもらい意見交換しました。

世田谷区史編纂問題とは世田谷区職員による著作物の無断使用、素手で資料を取り扱うなど不適切な行為、職員による独断的な運営等が問題とされ、産経新聞、読売新聞でそれぞれ報道される。自治体の歴史編纂史上、このようなことが報道されたのは初めて。詳細はこちらをご覧ください。https://togetter.com/li/1434617 または https://t.co/lsv1o9vquB

また、報道された事件とは別に、一部職員及び委員によるパワハラ行為が特定の委員に対して長期にわたって行われていたことが被害を受けた委員から情報提供があった。内容は正に人権を蹂躙する行為でありゆるされるものではない。第二部ではこの2点について具体的の報告と意見の交換を行い、会員が情報を共有し被害者の支援、応援を行うこととした。

勉強会のまとめはこちらもご覧ください https://twitter.com/1krJhA4ouTZ40FO