3月25日金 大山道を歩く第7カ目 前半 長津田宿 王子神社 福泉寺 馬の背ほか
長津田宿 戦国時代には宿場としてあったとされる。大山道(矢倉沢道)と神奈川道(八王子道)が交差する交通の要所として発展した。江田宿とともに江戸から最初の宿泊地とされた。幕末から明治にかけて宿屋兼荷継1戸、酒屋兼荷継1戸、宿屋2戸、籠屋1戸があった。また商人として小間物、繭生糸、鶏卵、豆腐、足袋、センベイヤキ、酢、駄菓子、餅屋、濁酒、質屋、荒物、魚屋、蕎麦屋、焼芋、種物、ローソク、酒造、絞油を営業する家があり、職人として大工、桶屋、鍛冶屋、木挽、建具が営まれたという。昭和28年大火により宿場は全焼した。
長津田宿上宿常夜灯 元街道沿いにあったが道路の拡幅工事のため大石神社の境内に移設された。
大石神社
創建年代は不詳。在原業平を祀ったとされ大石権現神社といった。ご神体は大石であると言い、武蔵国と相模国が境界を巡り争いがあり大石神社は武蔵国になったという。
大石神社の裏手にある御野立跡 大正10年、当時皇太子(のちの昭和天皇)が陸軍の演習を視察された所。
旧大山道 長津田小学校南側の台地の裾を縫うように道があった。
旧大山道の表示柱
王子神社 創建年代は不詳。熊野信仰の神社といい、地元の有力者岡野氏により保護されたという。
福泉寺 寺伝によると明應元年 (西暦 1492 年) 3 月 15 日、 尊祐という僧により開山。地元の豪族で小田原北条氏の家臣岡野氏に保護された。 村の鎮守王子権現の別当寺。江戸時代には四石五斗の朱印状を受ける。明治維新後は衰退した。明治後半に山崎戒心という僧が小さな建物を建て復興。昭和 45 年に現在の本堂が再建され、順次 戒壇巡りをはじめ ぼけ封じ観音やポックリ大師等建立された。旧大山道からは外れているが立ち寄って見学した。
お茶をいただきながら住職夫人から寺の縁起などを聴いた。
楮の花
すずかけ台駅近くの尾根を行く。通称「馬の背」というが古くから「馬瀬」という小名であった。
やっと今回の中間地点を過ぎた。
円成寺 小田原北条氏の家臣中山修理亮が出家して開基したと言われる。元禄13年(1700)に鋳造された梵鐘がある。後半へ続く。